第36話 想定外の二人旅


 春に入って雪が少しずつ溶けていき、村人達が灯台まで歩いて来れるようになった頃。

 私は伯父様に頼んで村人達との会議に参加させてもらいました。


 これまで何度もこの家を訪れている人達相手という事もあって、拒絶感はだいぶ軽減されています。


 スミで染めた青のワンピースを纏った私を見て村人達は驚いていました。

 それもそのはず。シミではなく、隅から隅まで綺麗に染まった青の衣服を村の人達は初めて見たのですから。


 ワンピースの生地は贔屓目に見ても質の良い物ではありませんし、ステラの成長に合わせて継ぎはぎしたらしい部分が一層安っぽさを強調しています。

 それでも、この目の覚めるような青が気品と高級感を漂わせます。


 これがもし高級な生地や艶やかな生地を染めた物なら――と思うと、期待感で胸が膨らみます。


 期待を現実にする為の第一歩として、テーブルの上にスミフラシで染めた鮮やかな青の布や皿貝の貝殻を広げ、これを近くの都市ウェサ・クヴァレで売りに出して村興むらおこししたい、と村の人達に説明します。


 スミフラシのスミは一度乾けば色移りしない、毒性が無い事などは村の人達も分かっているので基本的な質問が来る事はありませんでしたが――


「確かに、こうやって全体に染まってれば綺麗だけど……あんな生物のスミで染めた物を買う物好き、いるのか?」

「大丈夫。タコやイカ、貝だってグロテスクだけど皆気にせずに食べるでしょう?」

「確かに……生きてるタコやイカに噛み付けって言われたら無理だけど、茹でたタコの足には平気で被りつくなぁ」

「これもそれと同じ。貴族だって虫が繭や巣を作る為に吐き出した美しい糸を紡いだ生地や衣服を好んで纏ってるんですよ」


 それはその生地がどうやって作られているか知らない貴族が大半だから、という事情もあるのですが。


 知っても気にしない人間は気にしない、だけど気にする人間は気にする――その辺り気がかりではありますが、現時点ではどうする事も出来ない部分です。


 そんな懸念を抱えつつ村の皆さんにスミフラシのスミの抽出や布染めなどに協力してほしいとお願いすると、皆さん快く了承してくれました。


 傷んだ毛皮や防寒具で厳しい冬を乗り越えた直後、というタイミングも良かったようです。

 これでお金を稼げれば新しい毛皮や防寒具を買える、と知った村人達は皆目を輝かせて家を出て行きました。




「父上……これから忙しくなりますね。すぐにでも近くの都市ウェサ・クヴァレに……」

「……ああ、その事なんだが、私は一緒に行けない」


 静かになった家の中、椅子に座って一息ついている伯父様に呼びかけると意外な言葉を返され。

 どうして、というより先に伯父様が言葉を重ねました。


「ウェサ・クヴァレまでは新聞を手に入れるだけなら馬に乗って日帰りで帰って来られるが、物を売買するとなると2、3日はかかるだろう……そうなると村で大事が起きた時に対処できない」


 確かに――荷を載せてない馬に乗って紙束を回収して帰ってくるだけと、荷を乗せた馬を引いて売ったり買ったりしてその荷を馬に乗せて帰ってくるのは違います。


 村長でもあり、治癒師でもあり、灯台守に食料を届ける役目もある伯父様が村を数日空けるのは極力避けたい事なのでしょう。

 私を助けた時は『ステラの病気を治せるかもしれない治癒師が見つかったから』と村人達の情に訴えかけて村を出てきたそうです。


「村には治癒師が必要だし、母にも食料を届ける必要もある……つまり、お前か私のどちらかは村に残る必要がある。そうなると私がここに残った方がいいだろう。私は物の価値など分からんし、売買については全くの素人だからな」


 伯父様も自分自身の事をよく分かっておいでのようです。

 伯父様が都市に同行して安心するのは私だけですが、村に残れば村人達が安心する――そう考えると食い下がる事などできません。


「分かりました。正直、一人で行くのは心細いですが……」

「いや、ちゃんとお前の護衛は用意している」


 伯父様の言葉に嫌な予感がした瞬間、部屋にノック音が響きました。

 伯父様が入るように促すと、目が覚めるような鮮やかな朱色の髪が視界に入ります。


「こっちの準備できました。いつでもウェサ・クヴァレに出発できますよ」


 明るい声でさも当然のようにウェサ・クヴァレに出発する――という事は。


「リュカさん……まさか、貴方が一緒に?」

「えっ……もしかしてステラさん、聞いてなかった?」


 きょとんとしているリュカさんから伯父様に視線を戻します。

 何故私に一言も相談してくれないのか――という怒りも込めて。


「……ここからウェサ・クヴァレへは魔物も滅多に出ない穏やかな道と言え、何の荷も持たない馬に乗った男と荷を乗せた馬を引く女とでは賊に襲われる確率が大違いだ。まして男に怯えるお前を一人で行かせる訳にいかんだろう」

『ですが……リュカさんは私達の関係を疑っています』


 伯父様の配慮はありがたいのですが、もしリュカさんが全てを知ってしまったら。

 それを利用できる、と考えたら。


 価値を失くした娘を死んだように見せかけ、もう一人の娘をアドニス家に無理やり嫁がせた――そんな風にメルカトール家が貶められる可能性があります。


『……それも心配ではあるが、他の村人では万一賊に襲われた時に力不足だ。私とステラの我儘を通そうとして君を失うような事があったら、君の家族に申し訳が立たない。そうなるくらいなら、バレた方がまだマシだ』


 伯父様が私を心配している事は分かるのです。分かるのです、が――


「あ、あの! 行くの俺だけじゃないから! リュルフとリュグルもいるし! ステラさんが疲れた時はリュルフに乗ればいいし、それにほら、荷物を乗せて帰ってくるんだろ? リュゴンも連れてけば荷物多くなった時に役に立つし! ステラさんが馬連れて行くより、ずっと多く荷物持って帰れるし!」


 念話による沈黙と気まずい雰囲気を察してか、リュカさんが慌てた様子でアピールしてきます。


 伯父様以外の人で、私の護衛も兼ねてくれる人――あまり会話した事のない村の男性と二人旅をするより、親交のあるリュカさんの方がいいのも間違いありません。


 リュカさんが何も詮索せず、普通に接してくれる分には全然嫌ではないのです。


「あっ、それと、俺の分の宿代とか食事代とか全然心配しなくていいから! 俺自分で稼げるし、もし野宿する時は俺が飯作るし、リュグル達と交替で見張りするし! 絶対俺を連れてった方がお得だって!」


 何だか、子犬が必死に連れてってと言っているような――そんな錯覚を覚えながらリュカさんの圧に押されていきます。


 荷物持ち、食事、見張り付き――至れり尽くせりの環境は願ってもない状況です。


 それに、ここまで言われて断ったらリュカさん、凄く落ち込むんだろうな――と思うと、可哀想というか、気の毒というか。


 私も何だか――寂しくなってしまいそうな気がして。


「そ、そこまで言って頂けるなら……お言葉に甘えてもよろしいですか?」

「もちろん! 良かった、断られたらこっそり着いていけって言われてたけど、それでもしステラさんにバレたら絶対嫌われちゃうよなと思ってたから……」

「まあ……」


 必死だった表情がパアッと明るい物に変わったリュカさんを微笑ましいと思いつつ、『こっそり着いていけ』と言ったであろう伯父様に視線を送ると、


「さて、私は漬けてある布を干してくるか……上手く薄青に染まっていればいいんだが……それじゃあ、二人とも気を付けて行きなさい」


 伯父様はわざとらしい言葉を残して外に出て行ってしまいました。


 こうして、私とリュカさんの想定外の二人旅が始まったのです。


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