第35話 期待と不安


 ティブロン村の冬は伯父様や村の人達が言っていた通り、厳しい物でした。


 ウェス・アドニスにも冬はありましたが、雪はあまり降らず、降ってもせいぜい足首ほどしか積もらず。

 けして外に出られない程吹雪く事などありませんでしたし、着込めば寒さも十分凌げる程で、体を温める魔法を使う事など一度もありませんでした。


 ですが、ここは温暖差が激しいと言われる大陸の最先端――数十年前に援助金があった頃に仕入れたらしい古臭い毛皮や所々破れた防寒着を目いっぱい着込んでもけして暖かいとは言い難く、あまりの寒さに保温魔法を使わないと寝られない程です。


 この魔法は伯父様にもお教えしたのですが、魔力をそこそこ消費する事もあり『怪我人が来た時に対応できないから』と使っていないようで。

 私もこの寒さに慣れたら保温魔法を使わずに寝られるようになるのでしょうか?


(村の人達は大丈夫かしら……)


 こんな寒い場所で、村人達はここより脆い建物で魔法も使えず傷んだ毛皮や防寒着を着て耐え凌いでいると思うと、気の毒で仕方ありません。


(春になったら子ども達に保温魔法を教えてあげないと……)


 魔力は誰もが持っている物ですが、知識が無いと魔法は使えません。

 そして魔法は便利ですが、危険な物でもあります。


 平民や賊達まで魔法を使えるようになっては反乱や争いの規模は大きなものとなり、私利私欲によって生じる事件の被害も大きなものになってしまいます。


 だから本来、魔法は平民に気軽に教えて良い物ではないのです。


 ですがこのような厳しい状況下で『命を救えるかもしれない魔法を教えない』なんて選択肢は選べません。

 ステラなら、きっと子ども達に教えてあげてほしいと思うはずです。


 貴族とて大半は護身用の防御壁や魔弾、応急処置の治癒術などを学ぶくらいで、それ以上の魔法を学びたい者は大金を払って魔導学校に通うのです。


 私は学校に通っていた訳ではありませんが、お父様がつけてくれた家庭教師がたまたま魔法にも詳しかったり、魔法に関する本が家にいっぱいあったのを読んでいたから人より少し多く魔法を使えるだけ。


 改めて過去の自分の立場がどれだけ恵まれていたか痛感し、そしてこの環境を与えてくれたお父様に感謝します。


(でも……子ども達に魔法を教えても、他の家の人達の環境は変わらない……)


 環境を大きく変えるにはやはりお金が必要です。

 どうすれば今あるお金を増やせるか、それには何が必要か、どうすればいいか――


 冬の間は授業も休みという事もあって、考える時間だけは山ほどあります。

 色々考えているうちにおばあ様に食料を届ける時間になりました。




 毛皮を纏って外に出ると厚い雲に覆われた空の下、見慣れた銀世界が広がります。


「あ、こんにちはステラさん!」

「キューイ!」

「キュ!」


 家の前で雪かきしていたリュカさんが、リュペンとニルルと一緒に片手をあげて挨拶してくれました。


「いつも本当にありがとうございます、リュカさん」


 すっかり挨拶代わりになっているお礼を言うと、リュカさんもニッコリ笑います。


「灯台の中に住まわせてくれるんだから、この位はしないと!」


 そう、雪が降りだす直前に『雪の重みでテントが潰れてしまいかねない。死なれると寝覚めも悪い』と伯父様がリュカさんのテントを灯台に移動させるように勧めたのです。

 その代わり毎日周辺の雪かきをしてほしい、という依頼も含めて。


 それ以来リュカさんは嫌な顔一つせず、むしろ活き活きした表情で毎日せっせと雪かきをしています。

 リュカさんに雪かきしてもらえなかったら腰の辺りまで積もった雪をかき分けて灯台まで進まなければならなかったので、本当に感謝しかありません。


 リュカさんは雪に慣れているようで、灯台に吹き付けた雪を利用して作った大きな雪洞を作り、そこにリュペンとニルルが住んでいます。


 2匹が凍え死んでは可哀想なので冬の間は家に入れようと思っていたのですが、彼ら特有の生臭さが室内に立ち込めるのでどうしたらいいかリュカさんに相談したら作ってくれたのです。


 更に伯父様や村の人達がスミフラシを取りやすいようにって、岩場までの雪かきまで――


(赤系統の魔力を持つ人達は情に厚い人が多いとは聞いていましたが……まさかここまでとは)


 そんなリュカさんに本当は感謝と尊敬の気持ちだけを抱いていたいのですが――リュカさんの言葉の節々から、私と伯父様の関係やアーティ兄様の事を疑問視しているのが伝わってきます。


 ですが大いに助けられている相手に不快を表すなんて失礼な事は出来ず。

 だからと言って私はステラじゃありません、なんて真実を打ち明ける訳にもいかず。


 気まずい感情を必死に抑えてただただ感謝を述べた後、足早に灯台の中に入るのが私に出来る精一杯の抵抗でした。




 灯台の中に入り、けして広くはない一階部分の大半を占める朱色のテントを横切って長い螺旋階段を上がりきると、おばあ様が灯台灯の傍にいるのが見えました。


 灯台の下の方は風が入ってこないので比較的暖かいのですが、展望台は吹き曝しの状態です。

 それでも灯台灯のすぐ傍は温かく、吹き込む風の冷たさから灯台守を守ってくれます。


「おばあ様、今日の食糧を持って来たわ。体は大丈夫?」

「ああ……大丈夫だよ。この子達もいるしねぇ」


 おばあ様の傍ではリュルフとリュグルが灯台灯の近くで暖を取っています。


「下にしばらく魔獣使いを住まわせると聞いた時は余計な事を、と思ったけどなかなかいい子達じゃないか」


 そう――リュカさんはおばあ様の話相手にもなっているのです。


 灯台に住まわせてもらうなら挨拶しないと、とリュカさんが言うので上がっておばあ様に紹介した時、リュグルとリュルフが灯台灯の温かさに惹かれて離れなくなったのがきっかけで仲良くなったようで。

 リュカさんも雪かきしてない時はここで温まっているそうです。


「食糧もあの子に頼んでいいんだよ?」

「駄目よ、これは私の役目だから……リュカさんにだってこれ以上迷惑かけられないわ」

「そうかい……あんたが運びたいって言うなら、私も無理にとは言わないけど……くれぐれも無理はしないでおくれ」


 警戒していた魔獣使いが思いのほか善人だった、という安心感もあるのでしょうがおばあ様の声はこれまで聞いた事が無いほど穏やかで優しいものでした。

 あの子、という言い方にも温かい物も感じます。


(短期間の間に人と打ち解けるばかりか、人の心を溶かせるリュカさんは、本当に凄い人……)


 どんな人にも魔獣にも優しくて、一生懸命で、暖かいお日様のような人――だからこそ怖いと思ってしまうのです。

 私の心もいつか溶かされてしまいそうで。


 でも――私の心が溶けて出てくるものは優しさではありません。

 とても人に言えないような秘密や、穢れによる苦しみや悲しみです。


 リュカさんと話すのが恐いのは、そんな誰にも見せたくない感情を、いつかポロッと露出してしまいそうな――そんな不安が心の底で渦巻くようになったから。


(……打ち明けられる事なら、良かったのに)


 打ち明けても受け止めてもらえそうな事なら、良かったのに。




 憂鬱な気持ちを抱えて家に戻ると、真っ青な布がテーブル一面に広がっていました。


「父上……これは完全に乾いたものですか?」

「ああ」


 腕を組んで真っ青な布を見下ろしている伯父様に声をかけると短く肯定されたので、試しに手袋越しに布を撫でてみます。

 すっかり乾いている布から手を放しても、手袋は青くなっていません。


 次に魔法で小さな水の球を作り出し、布に落としてみます。

 水を吸ってジワリと青みが増した部分に改めて触れてみますが、手袋は汚れた灰色のままです。


「一度乾けば濡れても色は移らない……というのは熱湯でも変わりませんか?」

「……これまでスミに染まった鍋で作った物が青に染まったのは見た事が無いな」

「では、日常生活の範囲であれば問題なさそうですね……」


 この村にある唯一無二の価値がある物――まず真っ先に思いついたのがスミフラシでした。

 人の肌に触れると落ちない厄介なスミはとても鮮やかな青を主張していて、染料として大きな可能性を秘めているのではないかと思ったのです。


 スミフラシを食べる人達が長生きしている事や奇病が流行った形跡もない事から、毒性が無いという事は推測していました。

 その推測通り、毒性検知の魔法をかけても反応はありません。


 この魔法はどんな微細な毒でも見つけ出せる、という万能な魔法ではありませんが、毒性検知で毒が検出されない物は市場に流通させても良い、とされているものです。


 お父様も兄様も商人が家に商品を持ち込んだ際、必ずこの魔法を使って毒性を確認していました。


 スミそのものや乾く前は取扱いに気を付けなければなりませんが、一度乾かした布や衣服が人の肌を青く染める事はない。

 そして、この村の殆どの人間がスミで手足が染まっているのでスミフラシを扱う事に一切抵抗がありません。

 

 この村に呪いをかけたスミフラシが、もしかしたらこの村を救ってくれるかも知れない。


(とは言え、楽観視はできません……この冬の間に何度も確認しなくては)


 未知の物を扱うという事は大きなリスクもはらんでいます。

 身に纏うものであれば猶更、気を払わなければなりません。

 万に一人でも肌を青く染めてしまう事があったら一大事です。


「父上、次はスミと海水を混ぜてどの位色に違いを出せるか確認しましょう。布は後どの位ありますか? 足りなければ私の服も……」


 ただ確認するだけでなく、それぞれに色の違いも出せれば染料としての価値は更に高まります。


「ああ、布だけでなく他の物も試してみましょう。小さな貝は装飾品にできますし、皿貝ならそのまま器にできますし……」


 冬のうちにあらゆる可能性を試し、春になったら近くの都市に赴いて売りに出す――そこまで考えた所で、不安と恐怖が押し寄せてきます。


 伯父様は正直、目利きの才も知識もありません。村人達もスミフラシの価値を分かっていません。

 目の前にある大きなチャンスを最大限に生かすには、私が直接都市に赴く必要があります。


 この目で都市や市場の雰囲気を把握したり、どのような物が売れているのか確認したり、この染料で染める布や糸、装飾品を作る細工道具を購入するには直接商人やお客様と話さなければなりません。


 その人達が皆女性だなんて都合のいい話は絶対にありません。

 男性の方が絶対に多い――そう考えると足が微かに震えます。


(……大丈夫、きっと大丈夫……いいえ、大丈夫にならなきゃいけない)


 これは、ステラの願いを叶える為には絶対に乗り越えなければならない事。

 私が抱える恐怖など、ステラに関係のない事です。


 そう心に言い聞かせた後、大きく息を吸って静かに吐き出すと、心に渦巻いていた不安は外に出て、足の震えが収まりました。


 そんな希望と不安が交互に押し寄せる長い冬が明けた後――ティブロン村に暖かな春が訪れました。


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