第11話 救い出してくれたのは・2 ※コンラッド視点


「コンラッド……お前が愚かでいられるのはここまでだ。次期領主としての役目を果たせ。これからのお前の行動によっては私は甥を養子に迎えてアドニス家を継がせる事も考えている」


 パーシヴァル卿とマイシャ嬢がやってくる直前、父はハッキリそう言った。

 父は私に失望していた。ギリギリの情が親子の縁を繋ぎ止めているのが痛い位に伝わってくる程に。


 システィナの父親であるパーシヴァル卿の冷めた視線は完全に私を見限っていた。


「……この度は、システィナの葬儀にも出ず……本当に、申し訳ありません……」

「…………もう、過ぎた事です。くれぐれもマイシャには心無い態度を取らないようお願いします」


 目線を合わせる事も出来ずに紡ぎだした謝罪の言葉に、一切の感情を感じさせない言葉が返される。

 当然だ。システィナを死なせたばかりか、もう一人の娘まで差し出さねばならない怒りは想像を絶するものだろう。

 この顔合わせが終わった後、私が死ねば、この方も多少胸がすくだろう。



「それで……パーシヴァル卿。婚約者の交替を受け入れてくれたのはありがたいですが、毎年一千万ベルガーの資金援助とは……なかなか厳しい条件を持ってこられましたな」

「そうですか? 元々支払う予定だったシスティナの療養費と慰謝料と思えば、このくらいの金は大した事ないのでは?」

「……そうですな。とはいえ、毎年一千万……こちらも常に潤っている訳ではありませんし」

「援助が難しい年は帳簿を見せて頂ければ、情勢も鑑みてその年は無理のない額に調整しましょう」

「…………まあ、良いでしょう。そちらには色々融通を利かせてもらっている。ここで誠意を見せなければ、他に見せる場もありませんからな」


 無意味な話が耳を通り過ぎていく。

 そんな私の態度を見かねたのか、父もパーシヴァル卿も一層冷たい視線を向けてくるのが分かる。

 マイシャ嬢が声をあげたのは、そんな時だった。


「……アドニス伯、コンラッド様の顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」

「ああ……申し訳ない。システィナ嬢が誘拐されて以降、ずっとこんな感じでしてな。マイシャ嬢、良ければコンラッドを連れ出していただけないか」

「分かりました。それでは私、コンラッド様のお部屋を拝見したいです。案内していただけますか?」


 マイシャ嬢とはシスティナと話す時に何度か共に会話している。

 けして知らぬ仲ではないとは言え、真正面から『男の部屋に行きたい』と言うマイシャ嬢に父達はぎょっとした顔を浮かべた。


 だが私はそんな行動を嫌悪する心すら麻痺していた。

 ただ、死ぬ前に確認しておきたい事があった。


 だからマイシャ嬢がお望みでしたら、と了承し、部屋へと案内した。





「……お酒の臭いが凄いですね。お体は大切になさった方がいいですわ」


 私の部屋に入るなり、マイシャ嬢は眉を顰めて鼻に手を当てた。

 放置している封を開けた酒瓶から放たれる匂いはずっと部屋にいる時は気にならなかったが、別の場所から戻ってくるとかなり鼻につく。


 まあ、そんな事はもうどうでもいい――ベッドに腰かけてマイシャ嬢に向き直ると、彼女は私の隣に座った。


 たおやかで麗しい、静かな美を湛えるシスティナとは違い、真っ直ぐ鮮烈に光り輝く動の美を振りまくマイシャ嬢ならではの大胆さにも心は全く動かされない。


「……何故、この話を引き受けた?」

「何故、とは……しがない商人貴族の娘が領主様の命令を拒否できるはずがありませんわ」

「君にすれば、私は姉を守れなかったどころか、姉を死に至らしめた憎むべき男だろう……!? 姉を殺した私が落ちぶれるのを蔑み、笑い者にし続ける気か!?」


 どうせ死ぬのなら、最後に――と心の内を吐き出してみれば、マイシャ嬢はきょとんとした表情を浮かべた。


 まさか、何も考えずに縁談を受けたのか――? そんな疑問が頭をよぎる中、マイシャ嬢は視線を伏せて、小さく首を横に振った。


「……いいえ、コンラッド様。こうなったのはわたしのせいなのです」

「……どういう、意味だ?」


 こうなったのは、私のせいだ。

 私が、システィナ嬢を賊から守れなかったからだ。


 賊が襲ってきたのは、父に恨みを持つ者達がアドニス家の名誉を貶めようとしたからで――


「まさか、君も賊に関わって」

「違います……!! わたしは神に誓ってそんな事してません!!」


 嫌な予感を即座に否定されて、安堵する。

 システィナはマイシャ嬢をとても可愛がっていた。そんな心優しい姉を陥れたのだとしたら、あまりにシスティナが哀れ過ぎる。


 しかし、私の安堵に反してマイシャ嬢は目にいっぱいの涙を溜めてポツリポツリと言葉を零した。


「ただ……わたし……星がよく流れる夜にお姉様ではなく、わたしがコンラッド様と添い遂げたい……そんな叶わぬ願いを込めた事があって……それが叶ってしまったのです」


 予想外の言葉にまた体が緊張する。

 私を想っていた――というのは、心当たりがある。


 マイシャ嬢の視線や態度からは、私に慕情や憧れの視線を向ける令嬢と同じような物を感じ取っていた。

 ただ、システィナを妬んだり嫌がらせをしている様子は無かったから憧れ程度の感情なのだろうと思っていたが。


「わたし、こんな事になるなんて思ってなかった……でも今更、願いを反故にしてはより悍ましい災厄が降りかかるような気がしてならないのです」


 私の手にそっと重ねられたマイシャ嬢の手は、微かに震えている。

 顔を見上げれば、目にいっぱい溜めた涙がボロボロと零れ落ちた。


「縁談のお話が来た時、これはわたしの罪だと思いました。コンラッド様が己の非力を悔いるように、私はコンラッド様と添い遂げたいと願った事を悔いながら生きようと決めたのです……貴方様に抱えさせてしまった罪を、わたしにも背負わせてください。コンラッド様と共に、お姉様の為に償いたいのです」


 星への願い事など、言い伝えに過ぎない。少しでも願った事が叶うのなら、この世界はもっと波乱に満ちている。


 だが――ここに、悪人がいる。

 私と同じように、彼女を貶めて、死に至らしめてしまった悪人が。


「こんな事、お父様にもお兄様にも言えなくて……でも、コンラッド様が自身の罪を悔いて潰されそうになっているのを見て、わたしの罪を打ち明けずにはいられませんでした……」

「マイシャ嬢……」


 自分と同じように罪悪感に押し潰されそうになっている彼女に、急激に庇護欲が搔き立てられていく。


「こんな事になっても、貴方への想いを打ち消す事も出来ない自分を憎く思います。貴方を憎いと思う気持ちが全くない訳ではないのですが、でも、元々はわたしが願ってしまったせいで……」

「……君のせいじゃない。君だけのせいじゃない。私の方が罪はずっと重い」


 そっともう片方の手をマイシャ嬢の手に重ねれば、彼女はホッとしたように微笑んだ。


 マイシャ嬢も、システィナのように儚い表情もできるのだな――と見惚れていると、力強い言葉を紡いだ。


「コンラッド様……どうか、これ以上ご自分を責めないで。わたしがこんな事を言えた立場ではないのですが、お姉様はとてもお優しい方……家族や友人の枷になることを何より嫌っておりました。コンラッド様が不幸になる事など、お姉様は絶対に望んでおりませんわ」

「……確かに、システィナはとても優しかった。君達家族の事も深く愛していた。だからどうか、マイシャ嬢も……自分をこれ以上責めないでほしい」

「ありがとうございます……そう言って頂けると、とても、救われますわ。わたし、ずっと、ずっと誰にも言えなくて、苦しくて……!!」


 泣きついてきたマイシャ嬢を私はそのまま受け入れ、抱擁した。

 私はその苦しさも、辛さもよく知っている。取り返しのつかない罪を犯してしまった辛さを。

 

 ただ星に願っただけのマイシャ嬢がここまで追いつめられているのも、元をただせば私のせいだ。

 私のせいなのに、もう自分を責めないでと言ってくれる、システィナが私が不幸になる事を望んでいないと言ってくれるマイシャ嬢に、私は償いたい。


 償い――このまま私が死ねば、マイシャ嬢まで不幸になってしまう。

 罪を犯した私が、このまま死んでいいはずがない。


 せめて彼女が愛していたマイシャ嬢を幸せにする事が、彼女が愛していたこの街を栄えさせる事が、私の償いなのだろう。


 ああ、ようやく――ようやく光が見えた気がする。


 システィナが誘拐された時から光を失った心に、ようやく暖かな光が、戻ってきた。


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