第12話 それから2節


 ティブロン村で過ごして、はや2節が過ぎました。

 初めて村を訪れた時には暖かいと感じた日差しが、今はジリジリとした熱を帯びて、海と大地を照らします。


 伯父様が使う初級の治癒術のお陰で、1節ほどで足と腕が痛みなく動かせるようになった頃、私はステラを演じる事に決めました。

 愚かな事をしたと家族に詫びる機会を頂いた恩に報いるには、それ以外の道が無かったからです。


「……ステラは君ほど髪が長くなかったから切ってもらう事になるが、良いか?」


 私がステラの代役を引き受けると、伯父様ははさみを持ってきました。


 髪――ウェス・アドニスでは、貴族の令嬢が髪を切るのは特別な意味を持ちます。


 亡くなった夫や子、恋人が一人で寂しい想いをしないようにと妻や娘、恋人が長い髪を切って棺に納める風習がある事から、断髪は『愛する人との別れ、あるいは死別』――そんな意味を持つのです。


 なので、子爵家の娘システィナであった私が髪を切れと言われたら躊躇したでしょう。

 ですが、寂れた漁村を治める、名ばかりの貴族の娘となったステラには必要ないもの――むしろ、あってはならない物でした。


 ここは潮風と日差しで髪が痛みやすいのです。

 整髪料等といった高価な物もありませんから丁寧に手入れする事も出来ません。


 再び食事を取れるようになっても、これまでの自分と共にあった美しく艶やかな髪は既になく。

 首の近くまで切り揃えてもらった時はむしろ頭が軽くなって、楽になったとしか思いませんでした。


 かつてメイド達を従えて本や卓上遊戯を楽しみ、花を慈しんでいたシスティナと、病で部屋に引き籠っていたステラは何もかもが違うのです。




 腕と足が癒えてからは、空が赤く染まりかける頃に伯父様が持ってきた食料を灯台にいるおばあ様に届ける日々が続きました。


 灯台の中は段幅が狭い螺旋階段がぐるぐると続いていて、最初の頃は伯父様に食料を持ってもらって途中途中休みながらやっと届けられた食料も、今は一人で途中で一回休憩を入れるだけで最上階まで上がれるようになりました。


 自分にやらなければならない事があると思うと、不思議と食欲も沸いてきました。

 寂れた村の印象からは想像できない程豊富な海産物を使った食事のお陰で、足も大分しっかりしてきたような気がします。


 そんな私の成長を、誰より喜んでくれたのはおばあ様でした。


「ああ、ステラ。今日もありがとうね」


 芋と魚を干した物、木の実を入れた袋をテーブルに置くと、おばあ様が杖を突いてよろよろと歩いてきました。


 顔には年齢相応の皺が刻まれ、高い鼻に曲がった腰、ギョロりとした海色の瞳――失礼ながら、最初お会いした時は絵本に出てくる年老いた魔女のようだと思ってしまいました。


 手が真っ青で顔にも所々青い染みがあるので、事情を知らなければ魔女より悍ましい魔族に見えたかもしれません。


「あんたも大分しっかり歩けるようになったねぇ。良かった、良かった……」


 おばあ様は初対面の時から疑う事なく私をステラだと思い込んでいます。

 本当に目も耳も悪いらしく、私の言葉もちゃんと届いているのかどうか分かりません。


 あまり口を大きく開くと舌の色の違いでバレてしまう可能性があるので、声を大きくする事もできません。


 ただ、ありがたい事におばあ様は私と深く話し込もうとはなさりませんでした。

 私と一言、二言話した後は再び灯台灯のある部屋へと戻り、朱色に照らされる部屋の中で海を眺めるのです。

 一瞬でも灯台の灯りが途切れさせてはならないと言わんばかりに。


 ただ、この日はちょっと違いました。


「ところでステラ……あの絵本は持って行かないのかい?」

「え?」

「ほら、そこの棚の一番下。また自分の足でここに戻って来たいから、残しておいてって言ってたじゃないか」


 言われた方に視線を向けると、棚の一番下に埃が溜まった薄水色の布がかかった木箱が収まっています。

 捲ってみると、数冊の絵本――どれも見覚えがあります。私がステラに送ったものです。


「そ……そうでした、とにかくここまで一人で登りきるのに必死で、すっかり忘れてました」

「またお貴族様みたいな喋り方して……元気になったんだからもっとハキハキ喋りなさい」

「うふふ、ごめんなさいおばあ様」


 口に手を当てて微笑んで誤魔化します。

 伯父様やステラが手で口を隠して喋っていた気持ちが今更ながら分かります。

 

(あ、ステラに読んであげた本もあるわ……)


 見覚えのある絵本の中で、特に懐かしい本を一冊手に取って開くと、苦い想い出がよみがえります。


 そう、この丁寧に書き込まれた色とりどりの花畑――きっとこの絵の美しさにステラは思わず口を開いて、それをマイシャに見られてしまったのでしょう。


 この続きも、読んであげたかった――今でも思い出す度に胸を刺す、痛い想い出です。


「まだ木箱ごとは持って行けそうにないから、少しずつ持って行くわ」

「そうかい……それなら今回のトイレのスライム交換はオズウェルに頼んだ方が良さそうだね」

「分かったわ。父上に伝えておくわ」


 灯台の高階層で暮らしていると聞いてトイレはどうしているのか気になったのですが、ツボに汚物を餌にするスライムを直接入れていると知った時は驚きました。


 確かにこの方法なら配管の劣化を心配しなくて無いし、スライムの寿命にもすぐに対応できるので合理的ではあるのですが――生理的に抵抗があります。

 

 こんな風に、ティブロン村に来てから平民と貴族の生活の違いを目の当たりして驚く事ばかりです。


 それでも寝たきりだった頃より大分意識がしっかりしてきている気がします。

 花として輝いていた頃に比べればまだぼんやりとしていますが。


 死んではいない――でも、活きているわけでもない。そんな感じでしょうか。

 私の生はこれからずっとこんな感じなのでしょうか?


 何処か靄がかかったままの心と、持てるだけの絵本を抱えて灯台から出ると、生温い潮風が吹き付けました。


 この辺りは障害物もなく、風が直接当たるのです。

 潮の香りにも、もうすっかり慣れました。


 住む場所が違えば環境も考え方も大分変わってくるもの。

 それをこの身で体験できたのは良かったかもしれない――と思っていると、岩場の方で、見慣れない人間の姿が視界に入りました。


 遠くて顔はよく見えませんが、朱色の髪に、朱色に染まった衣服を纏った、大人の男性――それを認識した瞬間、やはり体が強張ります。


 こう何回も硬直していれば慣れてくるもので、ゆっくりと慎重に後ずさりながら家に近づいた、その時、男性と目が合いました。


 そして男性がこちらの方に歩きだした瞬間、急速に血の気が引いていくのを感じます。


 こっちに歩いてくるその男性が怖くて、強張る体を震えながら強引に動かして、家の中に逃げ込みました。


「おじ……父上、父上……!!」


 必死に吐き出した声が部屋に響きますが、伯父様が出てくる気配は全くありません。


(そういえば……私がおばあ様の所に行く前に『集落で熱を出した子の様子を見に行ってくる』って、出かけて……)


 ――つまり、今、家の中には私しか、いない。


 パニックになりかかった、その時――ドアが激しくノックされました。


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