第10話 救い出してくれたのは・1 ※コンラッド視点


 窓から差し込む頼りない星明かりに照らされた部屋に、空の酒瓶がいくつも転がる。

 その中にもう一つ空の瓶を増やした所で、ようやく眠気が訪れて私はベッドに横たわった。


 システィナが誘拐された時、私は何もできなかった。


 こんな平和な街の中で誘拐など起きるはずがないと、思い込んでいた。

 ウェス・アドニスの中で、私に勝てる者はいないからと慢心していた。

 

 敵は必ずしもウェス・アドニス内の人間とは限らないのに。


 私の意識を奪った人間は都市の人間ではなく、金で雇われた別地方の魔導士だった――なんて、何の言い訳にもならない。


 むしろ『この都市のは別地方の金で雇われた魔導士に負ける程度の人間だ』のだと言いふらすのと同じだ。


 その時の事を少し思い返すだけで大切な人を守れなかった絶望と同じくらいの羞恥が襲ってくる。

 酒を飲んでいるからこの程度で済んでいるだけで、素面のまま考えれば私は希死念慮に囚われて酒を飲まずにはいられなくなる。


 賊はアドニス家に恨みを持っている者達だった。

 どれだけ良い領主でも、頂点に立ち続ければ続ける程恨まれるものだ。

 民に寄り添えば貴族達が、貴族達に寄り添えば民が不満を抱く。


 父はどちらも尊重していた。だが貴族の中にはそれでも不満を抱く者がいる。

 そんな者達からすれば父は民寄りの領主にしか見えなかったのだろう。


 いっそ、父が貴族寄りの領主であれば。

 私が街に下りた時、民から嫌悪の視線や石の一つでも投げつけられるような街だったら、システィナを連れ出そうだなんて思わなかっただろう。


 いい街だと思ったからシスティナにも街を知ってほしかった。

 そんな愚かな私がシスティナを連れ出す事まで賊は予測していた。


 意識を失った私の所に、警備兵や治癒師が駆けつけてくれた時には既にシスティナは誘拐されていて――システィナをさらった男達を始末した時には、もう全てが終わっていた。


 気を失っているシスティナを自ら抱き起せなかった。

 目が合いそうになった時に咄嗟にそらしてしまった。


 他の男に穢されてしまった彼女を一瞬でも嫌悪してしまった、そんな自分も心底嫌悪した。

 彼女が穢されてしまったのは、自分のせいだというのに。


 出会った時からその凛々しさに、麗しさに惹かれた。

 口数は少なけれど話の幅が広く、相手への尊敬や労りの態度を怠らないそんな彼女の奥ゆかしい部分に更に惹きこまれた。


 自分が守っていきたいと思ったのに。

 私は、私自身の失態で彼女を失ったのに――


 そんな自責の念で潰される私に更に追い打ちをかけてきたのは父だった。


「メルカトール家に頼み込んで、街に下りた事はシスティナ嬢の我儘という事にしてもらった。お前が意識を失ったのも相手が他地方の手練れの魔導士だったから、と多少盛ってある。こういう時は行動が肝心だ。とにかくすぐに詫びに行け。何度でも、手紙なり花なり用意して頭を下げろ」


 私のせいなのに、何故彼女の我儘にしたのか――

 初手が肝心だと言いながら、何故詫びに行きづらい状況にしたのか――


 こんな状態で、何と声をかければいい?

 システィナにも、システィナの家族にも合わせる顔が無かった。

 私は父の指示を無視して、酒と眠りに逃げた。


 本当に申し訳なかった、全部私のせいだ――本当にそうね。

 これからはずっと傍にいるから――私を守れなかったその口でよくそんな事が言えるわね?


 脳内で思いつく言葉は、システィナの冷たい声が添えられる。


 賊は全員始末してしまっていた事もあり、どうしようもない苦しさはをぶつける場所が自分にしかなく。

 私の心の中から、一切の光が消えてしまった。


 こうして家の酒蔵から取り出した酒を部屋に持ち込んで飲み明かしている間だけ、楽になれる。

 酒が作り出すぼんやりとした感覚に身を委ねている間だけ、取り返しのつかない過ちを犯してしまった現実から解放される。


 そして酔いが覚めると再び、立ち直る事すら許されない罪が私を締め付ける。




「いい加減、逃げていないで詫びに行け! まだ取り返しがつく!!」


 色神祭から数週間後、部屋に籠るようになった私に父が怒鳴り込んできた。


 彼女に、どんな顔をして会いに行けばいいのですか? どんな言葉を吐けばいいのですか? その後、一生、どんな顔で接し続ければいいのですか?


 私はシスティナの顔を見る度に過去の自分の愚行を悔いるでしょう。

 そんな未来を考える度に、私は深い闇の底に囚われてしまうのです。

 父上は私にずっと地獄で苦しめと仰るのですか? それが私の罪なのですか?


 そもそも、父上が恨みを買っていなければ――


 酒の力に任せて心に抱える物をすべてぶつけると、父上は驚いた顔をした後――一つ重い息をついた。

 

「…………分かった。お前の気持ちが失せてしまったのなら、どのみちシスティナ嬢とは上手くいかんだろう」


 失せてしまった訳じゃない。

 失せてしまっていたら、ここまで苦しんでいない。


 このままでは駄目だという気持ちはあった。

 彼女に直接詫びたいという気持ちもあった。

 しかしそれ以上に色んな気持ちに押し潰されて、声をあげられなかった。


「無理するな。他の男に穢された女など、余程の理由や事情、愛が無ければ抱けないものだ。まして自分のせいで他の男に穢された女ともなればな」


 父上の辛辣な言葉は心に突き刺さると同時に、私の心を少し軽くした。


 誰にも言えない、心に溜まった膿みが流れ出ていくようなほの暗い快感に戸惑っている間に、父上は言葉を続けた。 


「せめてお前が甲斐甲斐しくシスティナ嬢の元に通うなり、手紙を送るなどしておれば『穢れにも負けない愛』と美談に仕立て上げる事もできたのだが……私もお前に不幸になってほしい訳ではないからな。一生寄り添って償うだけが償いではない。別の方法で償えばいい」


 酷く穏やかな声で私を励まし、力のない手で私の肩を叩いた父上の目は、酷く冷たかった。


 このままでは、父上にも見放される――


 そう思った私は、マイシャ嬢との婚約を拒む事が出来なかった。


 私のせいで価値を失くしてしまった女性の妹など抱けるはずがない、と言えなかった。


 そしてシスティナの死が、既に潰れている私の心をさらに押し潰す。

 ああ――君が死んでしまったのなら、私も、後を追って死んでしまおうか。


 システィナが誘拐された時点で、私の人生も終わっていたのだ。


 都市の花とまで唄われた女神の輝きを奪ってしまった私が――私だけがおめおめと生きていていいはずがない。


 いつ死ぬのがいいだろうか――パーシヴァル卿とマイシャ嬢が正式な婚約の手続きに来たのは、そんな事を考えている時だった。


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