第8話 願いをかなえてくれたのは・2 ※マイシャ視点


「こんなふざけた話、誰が受けるか……!!」


 その日、お父様の書斎から怒声と共に机に拳を叩きつけたような音が響き渡った。


 恐る恐る書斎を覗くと、お父様がワナワナと拳を震わせて怒っていた。

 かけている眼鏡が傾く程強く机をたたいたみたいで、重苦しい空気が漂ってる。


 声をかけづらいと思っているとお父様の傍にいたアーティ兄様がわたしに気づいてお父様に小声で囁くと、お父様はハッとした顔ですぐに眼鏡をかけ直した。


「お父様……怖い声が廊下まで聞こえてきましたわ。一体何があったのですか?」

「……先ほど、アドニス家からコンラッド様の婚約者をシスティナからお前に替えたいという手紙が来た」


 今だ拳の震えが収まらないお父様の横でアーティ兄様が代わりに答えてくれた。


 コンラッド様の婚約者を、わたしに――思わず耳を疑った。


「システィナ達が二人で街に出た理由をシスティナの我儘という事にしろ、というアドニス家の我儘を聞き入れたのも、絶対にシスティナを引き取るから、という約束があったからだというのに……!! こんな馬鹿な話があってたまるか……!!」


 続けざまに放たれたお父様の怒りの言葉を聞く限り、お兄様の言葉は事実みたい。


 コンラッド様がお姉様を連れ出した事実が知れ渡れば、コンラッド様は『大口叩いて連れ出した娘一人守れない軟弱者』と嘲笑と軽蔑の対象になる。


 都市を治める領主にとってあるまじき汚名を恐れたアドニス伯と、真実を表明したところで一切メリットがなく、アドニス家との繋がりを重視したメルカトール家で交わされた、半年前の密約。


 お父様からしてみれば価値を失くしたお姉様の引き取り先が急に無くなる訳だから、ここまで取り乱すのも頷けるわ。


「父上、心中お察しします……ですが、こんな手紙を送ってくるという事は既に根回しも済んでいるのでしょう。今更、真実を暴露するのは……」


 確かに――アドニス伯は権力も人脈もある上に、自身も相当な切れ者らしい。

 この都市がここまで発展したのも伯爵のおかげだと、アドニス伯を慕う人も多い。


 そんな人相手に美しい令嬢を娘に持つだけの、うだつの上がらない商人貴族が声を上げた所で虚言と聞き流されるだけ。

 わたしが、コンラッド様に嫁ぐしか――


「アーティ……私はもうあの家と関わりたくない……!! お前には苦労をかける事になるが、発展途上のウェス・アジュールか、主都に居を移し……」

「お待ちください、お父様……!」


 お父様の予想外の発言に咄嗟に声を張り上げた。

 書斎に沈黙が漂う中、一生懸命考える。

 

 せっかく転がり込んできたチャンスなのに――田舎アジュールや主都に行くなんて絶対に嫌。


 私が頂点になれる、この都市から離れたくない――頂点になるにはコンラッド様じゃないと駄目なの。


 だけど、どうしよう――せっかくチャンスが来たのにお父様がこんな様子じゃ、コンラッド様との縁談を受けたいなんていっても、絶対に了承してくれないわ。

 

(……ああ、そうだ。いい方法があるじゃない)


 お姉様みたいに、が――


 深呼吸して、心を落ち着ける。

 大丈夫――このくらいの事なら、わたしにだって、できるわ。


「……お姉様を弄ぶだけ弄んだ家と縁を切っては、こちらが損するばかり……ここはアドニス家の提案に乗るべきです!」

「マイシャ、お前……自分が何を言っているのか分かっているのか!?」


 お父様もお兄様も唖然とした表情になる。少し間を置いてお父様が声を荒げた。


「分かってるわ! 大切な姉様をこんな風に扱われて、私も悔しいの……! でも、今更姉様の汚名も灌ぐ事も出来ない……それならせめて姉様の人生を潰した男に嫁いで、憎い家の資産を食い潰してやりたい……!!」

「マイシャ……」


 お父様も、お兄様も、困ったように見つめてくる。

 でも否定はしてこないって事は――これで合ってるはず。


「お姉様を貶めたアドニス家を監視できる立場を放棄してこの都市を出ていくなんて……お父様もお兄様も、悔しくないのですか……!?」

「悔しくないはずがないだろう!? だが、お前の幸せを犠牲にしてまで復讐しようなどとは」

「幸せ……!? お姉様を潰した人間がのうのうと生きている中で幸せになるなんて、わたし、できません!! お姉様を潰した人間が不幸になる様を間近で見届ける事こそ、わたしの幸せです!!」


 ちょっと、言い過ぎたかな――と思う中、重苦しい沈黙が漂う。

 じっとお父様を見つめる中、お父様は一つ重い息をついた。


「……お前は、それでいいのか?」

「ええ……大好きなお姉様の為ですもの。何も躊躇ちゅうちょする事はありません」

「お前は堅苦しい貴族社会の中ではなく、裕福な商人に嫁いで楽に暮らす方が絶対幸せになれる」


 裕福な商人なんて、貴族相手にヘコへコ頭下げてて全然自慢できないじゃない。

 すぐそこにコンラッド様っていう理想の相手がいるのに、そんな相手と結婚なんて、絶対嫌。


「いかにわたしが高名な貴族や裕福な商人に嫁ごうとも、一都市の領主を潰したいなんて願いは叶えて頂けないでしょ? ……それならわたしの手でアドニス家を不幸に叩き落としたい。お父様とお兄様がどれだけ反対しても、わたし、コンラッド様に嫁ぐから」


 お父様は兄様と顔を見合せたうえで――小さく頷いてくれた。


「……分かった。手紙には心が決まり次第、アドニス家に来てほしい旨書かれている」

「それならわたし、すぐに準備するわ。向こうの気が変わらぬうちに結婚して子を作ってしまえば、向こうがこちらの真意に気づいた時身動きが取れなくなるでしょ?」


 浮足立つ足を抑えながら、書斎を出る。今から行くのならお化粧も直さないと。


 ああ――胸が弾む。


 お姉様に感謝しなきゃ。こんな風に、良い事を言っているように見せれば自分の欲しい物が簡単に手に入れる。


 そうだ、お姉様にも伝えないと。周りから聞かされるより、わたしからはっきり伝えた方が自分の立場をご理解いただけるでしょうし。


 大丈夫。お父様と兄様に伝えたみたいに伝えれば、お姉様だって納得してくれるわ。


 コンラッド様を諦めて、何処か物好きな人に嫁ぐなり修道院に入るなりしてくれればいい。

 どちらにせよ質素な生活をする事になるだろうから、わたしが援助してあげないと。


 わたしが使ってた、いらなくなった装飾品とか、お姉様にならあげてもいいわ。

 ああ、伯爵夫人になれば着なくなるドレスも増えるだろうしドレスもあげてもいい。


 お姉様はわたしのお下がりを着ていればいいのよ。わたしがお姉様のお下がりを着ていた頃みたいに。

 あるいは売ってお金にしてそれで好きな物を買って自分の心を慰めればいい。


 今の自分の立場を理解して、それにふさわしい場所にいてくれるなら―わたし、またお姉様を好きになれそうな気がする。


 そう思ってお姉様にコンラッド様に嫁ぐ事を告げたけど――屍のように無言で横たわったお姉様はわたしの言葉に何の反応も示さない。


 いつも微笑みをたたえ、麗しさを見せつけてきたお姉様の抜け殻を見て、心の底から可哀想だと思った。

 そんな可哀想なお姉様が負った深い傷をこれ以上抉りたくなかったから、身の振り方を考えるようにお願いした後、お父様と共にアドニス家へと向かった。




 コンラッド様は出てこなかったけど、アドニス伯に縁談を受け入れる旨を伝えたら、アドニス伯は表情を緩めた後、深く頭を下げた。


「……システィナ嬢には悪い事をしたと思っている。だから今後、彼女の生活に必要な物は全てこちらが負担しよう。必要なら噂が届かぬ遠方に嫁げるように手配する事も考えている」


 恰幅のいい体を目いっぱい丸めて頭を下げるアドニス伯の態度は丁寧だったけど、それを聞いているお父様の拳がギュッと強く握られてて、震えてて――


 ひやひやしたけど、それだけで済んで良かった。

 こんな所でアドニス伯を殴られたら全部台無しになっちゃう。


 そして詳しい話はまた後日、コンラッド様も含めて――という話になり。

 メルカトール邸に戻ってきたら、家に残っていたお兄様が暗い顔で迎えてくれた。


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