第6話 灯台守


 薄倍の煉瓦に覆われた壁と、石造りの床――の所々に鮮やかな青が点々としていました。

 もしかしてこれもスミフラシの体液、なのでしょうか?


「スティ……その震えはどうにかならないか?」

「すみ、ません……」


 襲われた時の記憶はないのですが、体が恐怖を覚えているのでしょうか?

 どうしても男の人を見ると、体が強張ってしまいます。

 そのせいでここまで来る道中、伯父様には色々迷惑をかけてしまいました。


「わた、くしも、はぁ……どうにか、したいと、思っては、いるのですが……はぁ、はぁ……」


 必死に杖を突いて歩いた距離はほんの十数メートル。

 なのに私の体はダンスを3回続けて踊った時と同じくらい消耗していました。


 息を切らす私を見かねたのか、伯父様が重いため息をついた後、疲労回復の治癒術をかけてくれました。

 少し体力を取り戻した私は、そのままステラが使っていたという部屋に案内されます。



 こじんまりとした部屋にベッドに、机と椅子、クローゼット――窓には硝子ではなく傾いた木の板がはまっているだけの、何とも簡素な部屋でした。


「君が使っていたベッドに比べて寝心地は相当悪いだろうが、座っているよりは楽だろう」


 私にベッドに横になるよう促した後、伯父様は椅子に腰かけ、これまでの疲れを吐き出すような長い息をつきました。


「さて……これからの話だが、君はまずその右肘と左足を治す事に専念しなさい。母に会ってもらうのはそれからだ」

「おばあ様は……ここに住んでいないのですか?」

「ああ。先ほど言いそびれたが母は今、灯台の高階層で寝泊まりしている」

「何故です……?」

「灯台は夕方必ず明かりを灯し、夜通し光が絶えないようにしなければならない。その為、夕方から夜が明けるまでの一晩、誰かが灯台の最上階で見守らなければならない。その役を担うのが灯台守……村の長も兼ねる私の一族の役目だ」


 伯父様はそこで一度言葉を切り、一息ついて続けました。


「……だが、体の弱った者は塔の上り下りするのは辛くてな。だから体の弱い者や年老いた者は塔の高階層で暮らす。そして体力がある者が夕方、生存確認も兼ねて1日分の食料を持って上がる」

「そうだったのですか……」

「君の足と腕が治り次第、母に食料を届ける役目を担ってもらいたいと思っている。ステラが階段を上がって食べ物を届けてくれるようになったら、母は喜ぶだろう」

「伯父様……私はまだ、決めた訳では」


 ここまでお世話をしてもらって断るのはかなり罪悪感があります。

 でも、それでも「引き受けます」という言葉は紡げそうにありません。


「……ああ。この役目を引き受けるかどうかは怪我が癒えた時に改めて聞く。だがその間、村の者が家に来たらステラを演じてくれ。私は君をスティと呼ぶから、私の事も、『父上』と呼ぶように」


「……ステラは、スティと呼ばれていたのですか?」

「いや、私が君をステラと呼びたくないだけだ」


 冷めた視線は何とも言えない哀愁を感じさせます。

 それもそのはず。伯父様は私におばあ様や村人に対してステラを演じてほしいだけで、伯父様にとっては私は姪――シナなのです。

 姪を亡くなった娘の名で呼ぶのは、私が想像する以上に耐え難い苦痛があるのでしょう。


「……分かりました、父上」


 ステラは伯父様の事を『お父様』と言っていました。

 違う呼び方をさせるのも伯父様の抵抗なのでしょう。


 ですが、私にとってもはパーシヴァル父様だけです。

 例え私が何者になったとしても、それだけは変わりません。


 なので『父上』という言葉を伯父様に使う事にさほど抵抗はありませんでした。


「……ステラも灯台守として過ごしていた時期があってな。体調が悪化して母と交替して以降はずっとこの部屋で過ごし、私以外の人間とは会わない日々を過ごしていた。だから君を見た目で疑う人間はいないと思うが……」

「あの……もし引き受けない時は私、どうなるのです?」


 引き受けない事ばかり問いかけた私がいけないのでしょう。

 苦い物を嚙み潰したかのように伯父様は顔をしかめました。


「その時は……マデリンのようにこの村を去って、好きに生きればいい」

「お母様のように……?」


 ああ、そうだ――お母様は伯父様の妹。この村の出身という事になります。


 お母様はいつも手袋をしていましたし、全く足の見えない丈のスカートでしたから手足を見る機会がありませんでした。


 喋る時はいつも、小声で――時に扇だったり手で押さえたりしていました。


「娘が村を飛び出したように、元気になった孫娘も村を飛び出す……悲しみはするだろうが、それでも死んだと告げるよりはマシだ」


 伯父様の言葉は、自ら命を断とうとした私の心に刺さりました。

 そして、私を死んだ事にする事に決めた兄様の姿が頭をよぎりました。


「あの……アーティ兄様は私を託す際、何と言っていましたか……?」

「あの時、彼は殆ど放心状態でな……伝言があればと聞いた時、彼は『今はかける言葉が思いつかない。会いに行けた時に直接話します』と言っていた」

「……そうですか」


 放心させてしまう位、今はかける言葉が思いつかないと言わせてしまう位、私は兄様を深く傷つけてしまったのです。


「ただ、アーティ卿は本当に君の事を心配していた。再会しても酷い言葉をかけられる事はない。それは私が保証する」

「はい……私も、分かってます」


 お父様もお兄様も、穢されて傷ついた私に会いに来てくれませんでした。

 それでも時折マイシャやメイドが持って来てくれた、お父様達からお見舞いの花や果物、お菓子や絵本は、私の心を少しでも慰められればと思っていたからで。


 強引に修道院に行かせたり嫁がせたりせず、半年間、何も言わずにずっと家に置いてくれたのは――お父様達の愛と優しさ以外の何物でもありません。


――システィナ姉様にはもう、何の価値もないのです――


 マイシャの言葉は辛辣なものでした。

 けれど『死ね』と言われた訳ではありません。


 価値を失った私の代わりにコンラッド様との縁談を押し付けられ――家の為に嫁ぐ事を決めたマイシャからしてみれば、私だけがのうのうと家に居続ける状況が許せなかったのでしょう。


 家の為、と突然縁談を押し付けられた自身と同じように、私にも家の為になる選択を迫っただけ。

 きっとマイシャは私が悪条件の家に嫁ぐか、修道院に入るかのどちらかを選ぶと思っていたでしょう。


 それなのに、私は死を選んだ。家族の迷惑になりたくないと思いながら、一番家族が傷つく方法を取ってしまった。


 私は、本当に――最悪の選択をしてしまったのです。



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