第5話 スミフラシ


 私が目覚めてから、西へ西へと馬車が進み――4日かけて辿り着いたティブロン村は、これまで通ったどの街や村よりもみすぼらしく、寂れた村でした。


 驚くくらい簡素な木造の家が十数件ほどポツンポツンと立ち並び。

 本当に人が住んでいるのか疑わしい位に朽ち果てかかった家すらあります。


 ステラから届く手紙でも<ウェス・アドニスに比べたら海があるだけの、とても簡素な所>と書かれてはいたけれど――まさか、こんな所で人々が生活しているなんて。


 アクアオーラ領この領地を治める侯爵家はかつて、賢人侯とまで唄われる程領地を著しく発展させた名主がいたそうなのですが――この村の光景を見ると、とてもそんな領主がいたとは思えません。


 道中、段々と街や民の質が下がっていくのを見て感じ、覚悟はしていましたが、まさか、これほど閑散としているとは。

 愕然とする私を、更にうっすらと漂う生臭い匂いが襲います。


 ですが、私はその匂いを知っています――ステラの匂いです。


「伯父様、この匂いは……」

海水の匂いだ。もうすぐ海が見えてくる」


 伯父様が言った通り、今にも崩れ落ちそうな建物の集落を超えた後、空と海の――一面の青が視界いっぱいに広がりました。


 たゆたう波が陽を反射してキラキラと煌めくその光景に目が惹きつけられます。


 何の障害物もない、真っ直ぐな地平線――いえ、海なのですから水平線ですね。

 空と海の境目がクッキリと分かる光景はまさに壮観、という言葉がふさわしく。


 ステラの手紙にも<ティブロン村の海だけは、ウェス・アドニスにも絵本にも負けない>と書かれていた通り、とても美しい光景です。


 初めての海に衝撃を受ける中、馬車は陸地が海に突き出た、いわゆる<岬>と呼ばれる場所に立っている、薄灰色の塔の前で止まりました。


 自室から身を投げた結果、右肘と左足を負傷した私は途中買ってもらった杖を駆使して何とか馬車を降りると、伯父様は御者と話していました。


 私はその御者を知っています。

 私が物心つく前からメルカトール家に使えてくれる老年の御者です。


 彼は伯父様と話し終えた後、私達に深く一礼し、馬車と共に去っていきました。


 元々寡黙な方でしたが、この状況においても特に私に声をかける事はなく。

 私も、自分の中の感情をうまく言葉に出来ず。


 ただ――最後の彼の深い一礼が、酷く心に染み入りました。


 馬車が見えなくなった後、改めて塔を見上げます。

 村の建物は全て木製でしたが、塔と、隣接した平屋の建物は薄灰の煉瓦で構築されているようです。


「伯父様……この塔が灯台、ですか?」

「そうだ」


 灯台――海を駆ける船を導く為の光を灯す塔。

 ステラの手紙でその存在を知り、本でも調べました。

 夜や悪天候の状況で周囲が確認できない時、灯台の光がとても重要な役目を果たすそうです。


「すぐ横に併設されているのが灯台守とうだいもりの家だが、灯台の高階層にも居住空間がある。今、母はそちらで……」


「オズウェル!」


 伯父様の言葉は、塔に併設されている薄倍煉瓦の建物から出てきた方に遮られました。

 その声に反射的に身が強張り、声の主を見て私の体は完全に硬直してしまいます。


 腕も足も曝け出る簡素な服を纏った男性の手足は、まるで何かに呪われたかのように真っ青でした。




「村に入る前に、言っておかなければならない事がある」


 村に着く少し前、馬車の中で伯父様はそう言ってズボンの裾をあげました。

 酷い青あざ――というか、本当に青い痣が所々に広がっています。


「お、伯父様も怪我をしていらしたのですか?」

「怪我ではない」


 続いて、伯父様は手袋を外します。

 そこにはもう痣とすらいえない――むしろ手首から先は肌色の部分がないほど真っ青に染まっています。


「お、伯父様も、病気なのですか……?」

「病気でもない」


 驚いては駄目――どんな時でも、人を傷つけるような態度を取るな――お父様からの言葉を頭で何度も繰り返しながら問いかけると、伯父様は喋る時にずっと覆っていた手を外しました。


「ティブロンの海には<スミフラシ>という生き物がいてな。そいつの体液が着くと落ちんのだ」


 そう語る伯父様の舌は、絵本の中に出てくる魔族の舌より真っ青で――


「ひっ……!!」


 本能的に恐怖の声をあげてしまいました。


「す、すみません……!!」

「いや、これを見れば誰もがそうなる。だから村に入る前に君に見せた。私も村の中でまで口を覆って喋る訳にはいかないからな」

「……村の中では、覆わないのですか?」

「ああ。ティブロン村の大人達は皆こうだからな。ただ、着いたら取れんというだけで、感染するものでも害があるものでもないから何も恐れる事はない。難しいとは思うが、慣れてくれ」




 そんなやりとりをしたので、ポーカさんの手足が青い理由は分かります。

 恐れる理由はないと、分かってはいるのです、が――別の理由で生じる体の震えを必死に抑えます。



「ポーカ、遅れてすまない。食料は……」

「気にすんな、2、3日くらいうちの保存食で何とでもなる。そんな事より後ろの子、ステラちゃんだろ? はぁー……しばらく見ない間にすっかりやせ細っちまったなぁ」


 伯父様と話していたポーカさんと目が合いました。

 手足はもちろん、舌も本当に真っ青です。口元にも食べこぼしのような青い点々が見受けられて――


「え、えっと、わたくしは」

「ああ、だがやっと良い治癒師に巡り合えてな。見ての通り、まだ数節ほど養生は必要だが、じきに村を歩き回るくらいには回復するだろう。ところで、母上は変わりないか?」


 伯父様が震える私をかばう様にポーカさんとの間に入りました。


「ああ、バルバラ婆さんは相変わらず性格悪いぞ。腰が曲がる程性格も曲がるのかなぁ……っと、ステラちゃん震えてるな。早く休ませてやった方が良い。明日の食料は俺が届けといてやるから」

「助かる。さあ、ステラ……早く中に入りなさい」

「は、はい……」


 塔の中に入っていくポーカさんを背に、せっせと杖を駆使して何とか塔に併設された建物の中に入りました。


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