第4話 従姉妹との想い出


 ステラは8年前オズウェル伯父様と一緒に来た、私と同じ年の女の子です。


 私やマイシャと同じ煌めく銀髪に、明るく紫がかった青の瞳を持った美しい少女もオズウェル伯父様と同じように口元に手を当てて喋る姿が印象的でした。


 そしてお父様が伯父様と話している間、私とマイシャはステラと遊ぶように言われました。


 ステラはメルカトール邸の何もかもが珍しいらしく、キョロキョロと辺りを見回して目を輝かせてはあれこれと尋ねてきました。


 そんな反応が面白くて私は彼女を自室へと招き入れ、ぬいぐるみや装飾品などあれこれ見せた中、彼女は一冊の本に興味を示しました。


 良い事をすれば報われ、悪い事をすれば罰が下る。

 話自体はよくある勧善懲悪の物語ですが、子ども達が読んでも分かりやすいようにと文体を読みやすくし、人物や様々な風景の絵を添えられた絵本です。


「これ、お話なの? どんなお話なの? 私、お父様から文字を習ってるけど、まだ少ししか読めないの」


 私は恥ずかしそうに打ち明けるステラに絵本を読み聞かせる事にしました。

 ソファにステラと隣り合って座ると、彼女から独特な香りがしました。


 正直、良い香りとは言い難く――ですがそんな事を言うのは失礼だと分かってましたし、嬉しそうに絵本を見つめているステラを見ていると、次第に気にならなくなり。


 今までずっと一人で読んでいたけれど、二人で読むのもいいものだな――と和やかな時間が過ぎていく中、私達の向かいでつまらなそうにお菓子を食べていたマイシャが――突然、叫んだのです。


「気持ち悪い……!!」


 最初、ステラの臭いの事を言っているのだと思いました。

 失礼だと叱ろうとする前にマイシャは汚い物を見たかのような顔で、部屋から飛び出してしまいました。


 だから次はステラに向かって謝ろうと彼女の方を向いた時――私も見てしまいました。


 顔を見合わせたステラの口の中が、舌がまだらに紫がかっているのを。


 私も怖くて、気持ち悪くなって――マイシャと同じようにその場から逃げ出してお父様の所に駆け出してしまったのです。


 残されたステラの気持ちなんて、考えもせずに。




「舌がまだらになってる位で驚くんじゃない。世の中には色んな病気にかかっている人間が大勢いるんだ。どんな時でも、相手が傷つくような態度を取るな!」


 事態を知ったオズヴェル伯父様が駆け足で応接間から出ていった後、お父様はマイシャと私を叱りました。


「お父様は外に出て色んな人を見てるから平気かもしれないけど、私と姉様はこの街から出た事ないもん! 普通の人しか知らないもん! 知ってたなら言ってくれればよかったの!!」


 マイシャは大人相手にも――父親相手にもけして物怖じしません。

 どんな立場でも自分の思う事をハッキリ主張できる、強い人間です。


 妹が一歩も引かない中、ふと視線をそらした先にあった窓から馬車に乗るステラと伯父様が見えました。


 抱き抱えられるステラの顔こそ伯父様の肩に隠れて見えませんでしたが、強くしがみついている様子から彼女が泣いているのだろうと分かりました。


 キラキラと目を輝かせていたステラを悲しませてしまった事が心苦しかった。

 あんな舌になる病気を抱えた彼女が可哀想だった。

 初めて、人を傷つけてしまった――


 色んな感情が、私の心を覆いました。


 だから<驚いてしまってごめんなさい>という謝罪の手紙と一緒に、お父様に頼んで私が持っている絵本を全部送ってもらいました。


 名残惜しくはありましたが内容は全部覚えていますし、少しでも彼女の慰めになればと思ったのです。


 そして、それから数週間後――ステラから手紙が返ってきました。


<ありがとう、普段村から出られないから絵本を通して外の世界を知れるのがすごく嬉しい>


 罪悪感が薄れていくと同時に、ステラも私達と同じなんだって親近感が沸いて――次の誕生日にお父様に絵本をねだりました。

 絵本は普通の本より値が張るらしく、誕生日の時にしか買ってもらえなったからです。


 そして買ってもらった絵本を読み終えた後、ステラに送ってほしいとお願いしました。

 それからお父様は誕生日でなくても年に2、3回絵本を買ってきてくれるようになりました。


 こちらが絵本を送る度に、ステラからお魚を塩漬けにした珍味や、海岸で拾った貝殻で作ったというブレスレットや小ぶりでちょっと歪んだ真珠の首飾りなどと一緒にお礼の手紙が返ってくる――



 そんなささやかなやりとりも、私が誘拐されて以降すっかり止まっている事を思い出しました。



 そして『ステラを演じてほしい』、という言葉に最悪の事態を想像してしまいます。

 その想像を口にする前に、伯父様が言葉を続けました。


「ステラは、数日前に亡くなった。最後は今の君のように髪に艶もなく、痩せ細って……」

「そう……ですか、それは、気の毒に……」


 薄々、分かってはいたのです。

 お父様がステラは病気なのだと言っていましたし、少しずつ綺麗になっていった手紙の字が、いつの頃からか少しずつ乱れていった事も。


 最後のやりとりの辺りでは筆跡が変わり――伯父様が代筆しているのだろうという事も察せられました。


 頭痛がする頭に容赦なく刺さる、親しかった従姉妹の死。

 それ以上言葉を紡げず黙り込んでしまった私に、伯父様は一つ息をついた後、改めて本題を告げてきました。


「ただでさえ娘に先立たれている高齢の母に、共に暮らしていた孫娘の死まで告げたくなくてな……母が死ぬまででいい、どうかステラとして生きて欲しい」


 娘――確かにお母様は既に亡くなっています。

 孫娘まで死んだと分かったら、おばあ様はどれ程嘆き悲しむ事でしょうか?


 おばあ様の心情を察するうちに自分も孫娘の一人である事に気づき、複雑な気持ちになります。

 共に暮らしていたステラと比べれば、一度も会った事のない孫娘が死んでも大して思う所はないでしょうけれど。


「……伯父様の気持ちは分かりますが、私は……」


 別人として生きるなんて、できそうにありません。

 同じ銀髪、目の色も、よく似ていると思った記憶があります。

 ですが――バレてしまったら、余計におばあ様を傷つけてしまいそうで。


「君が嫌だというなら私も無理にとは言わないが……もうあの家に戻る事はできないぞ?」

「え……?」

「君が身を投げてからもう夜も明けて昼近い。既にアーティ卿は君が死んだと周囲に伝えているだろう。そんな状態でのこのこ帰ればメルカトール家が破滅する」


 一瞬、何を言われたか分かりませんでした。

 あの家に戻れない――アーティ兄様が私が死んだと周囲に伝えている?


 私は、今、ここで、生きているのに――?


 ぼんやりとした頭で組み立てた結論に、涙が溢れてきました。


「ああ……私は、体よく追い払われた訳ですね……」


 心の靄が漏れ出ると、オズヴェル伯父様が眉をしかめました。


「追い払われたも何も……それが君の望んだ道だろう? アーティ卿はそれを尊重したに過ぎない」

「……そう、ですね。私が、望んだ事、です……」


 そう――そうです。体よく追い払われたなど、どの口が言うのでしょう?


 修道院にも行かずに済みます。

 家族にもこれ以上迷惑をかけずに済みます。


 死にぞこなった事だけが誤算で、後は自分の思い通りになりました。


 誘拐されて穢されたシスティナ・フォン・ゼクス・メルカトールはもう、死んだのです。


 自分が決めた事で、自分の思い通りになったのに。

 これ以上家族に迷惑をかけずに済むのに。

 何故――なぜ涙が止まらないのでしょう?


 身を動かす度に腕も足も鋭く痛むのに、その痛みすら柔く感じる位、心が痛い。


「……君は先ほど、何の価値もないと嘆いていたが……パーシヴァル卿やアーティ卿が君に価値がないと言ったのか?」

「……いえ」

「君が死んで、彼らが喜ぶと思ったか?」

「いいえ……」


 お父様が、お兄様が、マイシャが私の死を喜ぶはずなどありません。


 だけど、私はこれ以上皆の負担になりたくなかった。


 でも――コンラッド様がマイシャと結婚するのに、元々婚約する私があてつけのように死んで――これ以上迷惑をかけたくないだなんて。


 矛盾に気づけば、見えてくるのは自分の醜い本音。


 家族の負担になりたくない以上に、私はこれ以上、辛い思いも、惨めな思いもしたくなかった――


 家族を言い訳に私は、残された選択肢の中で――家族に一番迷惑をかける最悪の選択をしてしまったのです。


「っ……ごめんなさい……!!」


 家族に向けた懺悔の言葉は、もう届きません。

 今更私が懺悔しに戻っても、アーティ兄様の名誉を穢す事になってしまいます。


 いつだってお優しかったお兄様に、これ以上負担をかける訳には――


「……アーティ卿、あるいはパーシヴァル卿は年に一度、私の村に立ち寄る事になっている。もし彼らに謝罪の言葉を伝えたいなら、ステラとしてなら会わせる事が出来る」


 オズウェル伯父様の言いようはあまりに冷静で、打算的なものに聞こえました。

 無言で蹲る私に、これ以上押しても無駄だと悟ったのか重いため息が続き、


「……まあ、どうするにしてもその怪我では身動きも取れないだろう。怪我が癒えるまでは私の村にいなさい……ただ、その怪我を癒やしている間に一度でいい。どんな理由であれ愛する娘に自殺された親の事を……その上で、私に君を託した兄君の気持ちを考えてみろ」


 優しさと怒りが入り混じった伯父様の言葉に、私は何も返す事が出来ませんでした。


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