第3話 伯父の頼み事


 ――神に対して負の感情を抱いている私の願いなど、神様は聞き入れたくなかったのでしょうか?


 神様は、私をお母様に会わせてはくれませんでした。


 私を、そのまま死なせてはくれなかったのです。




 ガタガタと上下する振動と車輪の音に目を覚ますと、視界一杯に木の壁が広がりました。

 どうやら木箱の中で寝かされているようです。

 視線を落とせばぼやけた青の敷布が、少し視線を上げれば、見覚えのある幌が見えます。



 状況が理解できません。

 私は死ぬ為に自室から身を投げたはずです。

 なのに、何故――


 何が何だか分からなくて、状況を確認する為に身を起こそうとしました。

 ですが手を支えにした瞬間、腕に鋭い痛みが走って――起き上がる事ができませんでした。


「無理せずそのまま寝ていなさい」


 再び横たわった私の上から落ちてきた男の人の声に身が強張ります。

 恐る恐る視線を上に向けると、灰色のコートを羽織った細身の紳士が私を見下ろしていました。


「……オズヴェル、伯父様?」

「よく分かったな……? 会ったのは一度きりのはずだが……」


 8年前――お母様が亡くなってからしばらくしてやってきた、お母様のお兄様。


 今着ていらっしゃるのと同じ、くたびれて色褪せた灰色のコートとやつれた顔立ちが微かに記憶に残る程度で、正直外見だけではあまり自信ありませんでしたが――


「親子揃って、口に手を当ててお話になる姿は、とても印象に残ってますので……」

「……そうか」


 伯父様は私の返答に納得したようで、納得の相槌を打った後黙ってしまいました。


 良かった――と言っていい状況なのか分かりませんが、知らない男と一緒に馬車に乗せられていなくて良かったのは間違いありません。

 お母様のお兄様、と分かれば体の緊張も緩み、分からない事を尋ねる勇気も沸いてきます。


「……あの、伯父様……どうして私、荷馬車に乗せられているのですか?」


 身を起こせずとも、振動や車輪の音、見慣れた幌から荷馬車に乗せられているという事は分かります。


 私は間違いなく、自室の窓から飛び降りたはずです。

 木々が折れる音も、服が避ける音も覚えています。


 落ちた衝撃は分かりませんが、この全身の痛みは地面に落ちた証拠でしょう。

 服も、落ちた事を証明するように赤にまみれていました。


 頭痛がする中、状況を把握する事は出来てもそれ以上の事を考える事が辛く。

 伯父様に問いかけると、伯父様は再び言葉を紡ぎ始めました。


「……君に頼みたい事があって館に行ったら、アーティ卿が君が二階から落ちたと取り乱していてな。アーティ卿に許可をもらって君を引き取ったのだ」

「え……」


 お兄様が――と声に出す前に伯父様が言葉を重ねます。


「幸い、君が落ちたのは二階……その上、木の枝に引っかかったから頭から落ちずに腕と足の骨折だけで助かったんだ。まあ……その体だと枝に切り裂かれて出血した部分を私が止めていなければ失血死していたかもしれないが」

「……何故、そのまま死なせてくれなかったのですか……?」

「やはり、自ら身を投げたのか」


 責めているような物言いに感じて、一瞬口をつぐみました。

 でも、心に蠢く痛々しい想いが抑えきれずに零れ出てきます。


「……ええ。私にはもう、何の価値もありませんから……生き恥を晒す位なら、誰かの負担になって生きるくらいなら、いっそ、潔く……」

「……確かに、君にはもう貴族としての価値はない。誘拐された過去を消せない以上、成り上がる事も難しい。上位貴族はその辺特にこだわるからな」


 誘拐された事も、誘拐された令嬢に価値が無くなる事も知っているなら、何故―― 伯父様の言葉に怒りがこみ上げてきます。



「分かっているなら、何故……哀れみで助けられても、私は、もう……」


 誘拐されて穢された私にはもう、何の価値もないのです。

 生きていたとして誰の、何の役に立つというのでしょう?


 何の価値もない穀潰しの居候として惨めな生を歩むくらいならば、家族にこれ以上迷惑かけないようにしたかったのに。


 私の、言葉にならない嗚咽が響く中、伯父様の抑揚のない声が落ちてきます。


「……私はけして哀れみで君を助けた訳ではない。さっきも言った通り、君に頼みたい事があった。だから君を助けた」

「……頼みたい事……?」


 想像するのも虫唾が走るような、そんな嫌な事しか考えられませんでした。


 ですが、この痩せ細った私のみすぼらしい姿を見ても尚、伯父様は私を引き取ったのです。


 美しい姿を維持していた頃ならまだしも今の私に、一体何を頼むつもりなんでしょうか――?


 その疑問が拒絶の言葉を押し込める中、伯父様は重々しく口を開きました。


「……私の母が亡くなるまで、君に私の娘を……ステラを演じてほしい」


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