第2話 色神祭の悲劇
レオンベルガー皇国には他の国には存在しない<
色神様は6つの公爵家の当主に宿り、公爵様は色神と共に凶悪な魔物や敵国の脅威から皇国を守っているのです。
そんな色神様と公爵様に感謝を捧げ、平和を祈るお祭りが<色神祭>です。
ウェスト地方はアズーブラウという紺碧の大蛇の姿をした色神様の加護を受けたラリマー公爵家によって守られています。
ですのでウェス・アドニスでは色神祭の日、民も貴族も自身が持っている紺碧に近い色の衣服や装飾品を身を包み、民は街に点在する小教会で、貴族は中央の大教会に集って祈りを捧げるのですが――
「お祈りを終えた後、家に帰らずに民と一緒に賑やかなお祭りを楽しむ貴族も結構いるんだよ」
コンラッド様はお忍びで街に降りるのがお好きな方でした。
「お祈りした後、穏やかに過ごすのも嫌ではないけれど……この日ばかりは賑やかな人混みに紛れて、マナーを気にせずに民とわいわい過ごす方が好きだ。今年は君と一緒に祭を楽しみたいな」
「ですが……私、お父様から護衛をつけずに街に下りたりしないように言われております。もしバレてしまったら……」
貴族は大教会に集って祈りを捧げた後、家に戻って普段と変わらぬ日を過ごす。
民は小教会で祈りを捧げた後平和を祝って飲めや歌えやと騒いで過ごす。
だから色神祭は良い事も多く起きるが、良からぬ事も多く起きる――
お父様からそんな話を聞かされていた私は、コンラッド様のお誘いをすぐにお受けする事が出来ませんでした。
ですが――
「大丈夫。大教会は多くの貴族でいっぱいになるし、お祈りの服は裕福な平民でも着れるような簡素な物だから、街へ抜け出してもバレたりしない……それに、護衛なら私がいるだろう?」
コンラッド様から甘い言葉で囁かれ――色神祭の日、コンラッド様にエスコートされて大教会に向かう途中で私達は馬車から降り、既に賑わっていた街の人ごみの中に消えました。
「私には剣術と魔法の心得があるから、何があっても君を守る」
私は、コンラッド様の心強い言葉と私の手を引く力強さに引き寄せられてしまったのです。
初めて護衛を付けずに降りた、ウェス・アドニスの街。
普段行けないような場所にも行けて、驚く事も多かったけれど楽しくて、青空が赤みを帯びてくるのはあっという間でした。
コンラッド様と、とても楽しいひと時を過ごして――馬車に戻ろうとした時、私の視界は突如真っ暗になったのです。
そこからの事は覚えていません。
何が起きたのか、思い出したくもありません。
思い出せるのは朦朧とした意識の中で感じる鈍痛。
見知らぬ騎士達の憐みの視線。
そっとかけられる毛布と、切り裂かれた衣服の感触。
そして、騎士達の向こうに見える、コンラッド様の強張った表情――
コンラッド様と目があった瞬間、視線を背けられた事は、ずっと忘れられません。
若い娘は誘拐された時点で穢されたものとみなされる。
そこに貴賎は関係なく、実際に穢されたかどうかも関係ない。
――だから、お前達は護衛をつけずに外に出る事が許されないんだよ。
それは私の12歳の誕生日にマイシャと共に聞かされた、お父様からの言葉です。
取引先や貴族相手に饒舌なお父様がとても言いづらそうに、バツが悪そうな顔で話していたのが印象的で、よく覚えています。
穢れた娘がその後、どんな道を辿るかについては後日マイシャが教えてくれました。
「跡継ぎであればまだ婿を取る手段があるそうですけれど……わたし達にはアーティ兄様がいますから、わたしやお姉様は誘拐された時点で全ての価値を失なってしまうそうです」
一人で本や図鑑を読んだり観察するのが好きな私と違い、社交的で活発なマイシャはメイド達と色々話した後に、その内容を私に教えてくれました。
「穢され、価値を失った人達は例外無く心身に深い傷を負い、格下の男や大分年上の男に無理矢理嫁がされるか、修道院で生涯を終えられる方が殆どで……中には人生を悲観して命を断つ方も少なくないんですって……」
お喋り上手の妹から聞かされる、本に書かれないような赤裸々な話を私は物語のように聞いていました。
「わたし、お店を巡ったり、お茶会に行ったりするのとても楽しいけれど、いつか誘拐されてしまったらと思うと、怖い……」
「そうね、マイシャはとても可愛いから本当に心配だわ……」
「ええ……でもわたし、家に籠りきりなんて絶対無理。わたし、本もお勉強もどうにも好きになれなくて……ああ、家に娯楽がたくさんあるお姉様が羨ましい……!」
そんな風に話しながら、実際は何の危機感を持たずに他人事として終わらせた事を覚えています。
――それが自分の身に降りかかるなんて、思っていませんでしたから。
誘拐され、穢された私には何の価値もない――その事実は私に心身を抉るような深い傷を残しました。
私を誘拐した者達はその場で処刑されたそうですが、それで私の価値が戻ってくる事はありません。
何故私が襲われたのか――そんな事を考える事も出来ませんでした。
分かった所で私の価値が戻ってくる訳ではないからです。
価値を失くした私にお父様もお兄様も周囲も、どう声をかければ良かったのか分からなかったのでしょう。
皆、腫れ物を触るような態度で、私を傷つける事を恐れて接触を極力避けるようになりました。
私を強引に部屋の外に連れ出す者もいなければ、無理矢理食事を食べさせる者もいませんでした。
何の気力も湧かず、食欲もなく。
部屋に引き籠もるようになって、水やジュースしか口にできなくなった私はみるみる痩せてみすぼらしくなりました。
そして、半年経った今、妹から現実を突きつけられたのです。
――こんな事言いたくないけれど……システィナ姉様にはもう、何の価値もないのです――
言いたくなかったでしょう。
でも、誰かが言わなければならない事でした。
私自らどうするか、どうしたいかを言わなかったのですから。
いつかコンラッド様が来て、私を守れなかった事を詫びてくれるのではないかと、私を迎えに来てくれるのではないかと――
傷心の末にそんな夢幻に取りつかれていた私は、実の妹から現実を突きつけられてようやく「これから」の事を考えたのです。
(嫁がされるのは嫌……)
格下の男も、年の離れた男も、価値を失った上に食欲がなくなって痩せ細った私を家族のように大切に扱う事はないでしょう。
鏡を見なくても分かります。今の私は、美しくない。
余計な物を押し付けられたとばかりに顔を歪められて乱暴に扱われるなんて、死んでも嫌でした。
(修道院も嫌……)
色神がもたらす平和に感謝と祈りを捧げるお祭りの日に穢されてから、私は神に対して負の感情を持っていました。
それまでの幸せな生も神の恵み、勝手に街に下りた私の自業自得――そう思う事で憎しみだけは抑えられても、神に仕えるなんて、死んでも嫌だったのです。
(これ以上家族に迷惑をかけるのも嫌……)
お父様、アーティ兄様、マイシャ。
こんな価値を失くした私を半年間も何も言わずにここに居させてくれた家族達に迷惑をかけ続けるなんて――本当に、死んでも、嫌だったから。
そう。死んでも嫌な事がこれだけあったから、だから――
力の入らない体を何とか起こして、ベッドから降ります。
そしてカーテンと窓を開くと、夜空に浮かぶ青白い星が優しく私を照らしてくれました。
(お母様……今、会いに行きます……)
死後の世界で美しく優しかったお母様に会える事だけを支えに、私は自室の窓から身を投げたのです。
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