朱色の流れ星~価値無し令嬢は魔獣使いの侯爵令息に溺愛されてる事に気づかない~

紺名 音子

第1話 価値を失くした令嬢


「こんな事言いたくないけれど……システィナ姉様にはもう、何の価値もないのです」


 窓から差し込む夕暮れの陽射しが部屋をほんのり橙に染める中、妹――マイシャの言葉が、私の心にグサリと刺さりました。


「だから、わたしが姉様の代わりにコンラッド様に嫁ぎます……領主様に捧げる花が枯れてしまったら、別の花を差し出すしかないでしょう?」


 マイシャの中では、私はもうとっくに枯れた事になっているようです。


 当然の事でしょう。

 1日の殆どをベッドに横たわって過ごす私のパサついた髪や肌。

 骨が浮き出て見えるほど病的に痩せ細った体。


 妹以外の誰が見ても、枯れたと思うでしょう。


 誰より私自身がそう思っているからこそ、妹の辛辣しんらつな言葉に声を上げる事が出来ませんでした。


「全ては、この家の為……お姉様も、どうか家の為にご決断くださいませ」


 マイシャはそれを、どんな表情で言っていたのでしょうか?


 重い頭をやっとマイシャの方に向けた時には、既に彼女は私に背を向けており。

 私はそのまま部屋を出る美しく可愛らしい妹の背中を見送りながら、ぼんやりとこれまでの事を思い返しました。




 レオンベルガー皇国ウェスト地方ラリマー領にある、城郭都市ウェス・アドニス。  


 整備された街並みの傍らで咲き乱れる、様々な寒色の花。

 街を巡る澄んだ水の水路や美しい虹を作り出す噴水。

 そして街の中央にある大教会の、紺碧の大蛇を象ったステンドグラス――それらに魅入られた絵描きが所々でキャンバスに景色や人を描く、穏やかで洗練された芸術都市です。


 そのウェス・アドニスに咲く<アドニスの二輪花>――半年前まで、私とマイシャはそんな風に呼ばれていました。


 若くして亡くなったお母様から淡く煌めく銀髪と、明るく紫がかった青の瞳、そして道すがる人が皆振り返るような美貌を譲り受けたからです。


 更に、私はお父様から癖のない髪質と洗練された麗しさを。

 マイシャはお母様から柔らかく優しい髪質と庇護愛をかき立てられる可愛らしさを。


 それぞれ別々の魅力も引き継いでいた事によって、私達は違う美しさを持つ二輪の花として社交界で蝶よ花よと持て囃されて生きてきたのです。


 こんな風にかつての自身で語るのは気恥ずかしいですけど、貴族たるもの、物の価値は正しく見極めなければなりません。


 まして、家名ではなく芸術を重んじる都市ウェス・アドニスの名を背負ったなら尚更。

 第三者から見ても間違いなく私達姉妹の美貌には非常に高い価値があったのです。


 ですが、私達の家――メルカトール家は子爵位こそ賜っていますが、その実態はウェスト地方の各地を巡る商人貴族。

 見目と目利きはよろしいのですが、手腕はけして良いとは言えない父を持つ私達はいくら美しくとも政略結婚対象としての価値は限りなく低く。

 いくら美しかろうとすぐに縁談が舞い込んでくる事はありませんでした。


 何故なら人の顔――特に未成年の顔というのは日々変わっていくもの。

 幼い美しさを見込んで婚約しても、結婚できる頃に美しさを失っていたら何の意味もないのです。


 実際、幼い頃の一目惚れがきっかけで結ばれた婚約が『子どもの時と全く顔が違うから』と婚約を破棄され、自ら命を絶たれたご令嬢が過去にいらっしゃるそうで。


 お相手の方も令嬢の家と親しくしていた上位貴族の方々から『史上最悪最低の婚約破棄』と蔑まれ、肩身が狭くなった親共々遠くの地に居を移したとか。


 そんな苦い事件が起きて以来ラリマー領この領地の貴族達は『美しいから、声が好きだから、一目惚れしたから』という私的な理由で未成年時に婚約を結ぶ事はなくなったらしい、とマイシャから聞いた事があります。


 自分にはどうしようもない理由で見捨てられる事が、どれだけ惨めで辛い事か――価値を失った今の私には、命を絶たれた令嬢の気持ちが痛いほど分かります。 


 ただ、半年前までの――まだ価値があった頃の私は分かっていませんでした。


 自身の美しさを自覚し、更に磨き、品性を高め、教養を深めて限りなく裕福な家、あるいは位の高い家に嫁いで伴侶を支える事こそ己の使命として生きていましたから。


 悲劇の令嬢の話を聞いた時も、成長して顔が変わっていく事の無常さを悲しみ、令嬢を憐れむ事しかしなかったのです。

 


 私が18歳を迎えた日、お父様はコンラッド様との縁談を持ってきました。


 コンラッド様はウェス・アドニスを統治するアドニス伯の一人息子です。

 ウェス・アドニスで地位も名誉も財も兼ね備えた家と繋がりを持てる、名誉も財もない我が家にとって、願ってもない縁談でした。


 彼は私より1つ歳上の、青みがかった髪にコバルトブルー鮮やかな青の瞳を持つ、とても爽やかなお方で。

 私自身、何度もパーティーでお会いして好印象を抱いていた方なので何の異論もなく二つ返事でお受けしたのです。


 そこから更に親交を重ねるうちにコンラッド様の実にスマートな態度や領主としての素質の高さにも気づき、ますます惹かれていきました。



 コンラッド様の――あの方の心の内がどうだっのか、もう私には分かりません。



 ただ、一つだけ。

 悲観的な事しか考えられなくなってしまった頭でも分かっていた事は。


 半年前の、色神祭の日に私は誘拐され――コンラッド様との関係も、システィナ・フォン・ゼクス・メルカトールの栄華も終わってしまった、という事だけ。



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