第3話 お互い様

彼女は驚いたような表情を見せ、しばらく黙ってからゆっくりと語り始めた。その話は、孤独に満ちたものだった。



庭の小さな苺畑で、彼女はよく幼少の頃を過ごした。その赤い宝石のような実は、彼女の心に暖かな思い出を紡いだ。


しかし、幸せな時間は突然にして終わりを告げる。

ある日の交通事故で、彼女は両親を失ってしまった。取り残された彼女は、伯母に引き取られることになった。


伯母は彼女に優しく微笑みかけたが、その笑顔にはいつも悲しみが混ざっていた。


独り身の伯母もまた、たった一人の弟を失って、孤独に押しつぶされそうな日々を過ごしていたのだ。


苺は伯母の好物であり、器用な伯母は良く苺タルトを拵えてくれた。

甘くて美味しいタルトが、少しだけ彼女の心の癒しとなっていた。


しかし、伯母もまた病を患い、突然の死を迎え、彼女に再び一人の刻が訪れた。


その頃、通り掛かった、ル・カフェー・ギャルソンの宝石の様なケーキたちを横目で見ることは、彼女の唯一の癒しとなった。


じっくり見るには、何か購入しなければ。と、毎回同じ苺のタルトを選んだ。

過去への懐かしさと、家族への哀悼の表れだった。


消え入るような、震える声で彼女は一気に話してから

「やだ、私ったら…すみません、こんな話してしまって…」


と、慌てた様子で、でもほんのり嬉しそうに微笑んだ。

それを見た俺は、胸が真綿で締め付けられるように、息ができなくなった。


ほんの束の間でもいいから、俺といる時は安心してほしい。

信心深くない俺は、この時ばかり神様に心から祈った。


彼女の、まるで奥底から湧き上がるような感情を受け止めながら、俺はそっと腕を伸ばし、彼女の手を包み込んだ。


無言のまま、その手の温もりが二人をつないでいることを感じた。


「大丈夫だよ。君の話を聞けて嬉しい。そして、君が安心できる場所にいることが、俺にとっても何よりの喜びだから。」


と、俺は優しく微笑んだ。


彼女の瞳には、深い感謝と同時に、

ほんのりした希望の光が宿っていた。


早番で仕事を上がった俺は、バックヤードに着替えに行き、無理を言って待たせていた彼女と客席に着く。


同僚に冷やかされても、全く気にならなかった。

彼女の震える声のお陰で、俺もまた、

愛猫を亡くしてから癒えない孤独を抱えていたことに、気付かされたのだ。


俺は、テーブル越しに又、彼女の手を取り、これから始まるであろう新しい恋に胸躍らせながら、今更恥ずかしくなり小さく囁いた。


「あの…ゆづるです。俺の名前はゆづる。ル・カフェー・ギャルソンで働いてます。君の名前は?」


彼女は笑って告白した。


「ゆづるさん。名札でわかりますよ。

私の推しと同じお名前なんです。それで、つい親しく感じて個人的な話をしちゃって。


いつも、素敵なお名前だなぁって見ていたんです。」


俺はびっくりした。まさか、自分の「名前」を気に入ってくれていたとは。

しかし自分も彼女の、多分、「声」に惹かれたのだからお互い様か、とちょっと苦笑いした。


彼女の小さく鳴くような声は、やはりとても魅力的で、特徴の無いその顔立ちから綻ぶ笑顔は、可憐だった。


そこに割り入って、二人のテーブルに、頼んでもいない苺タルトが二つと、紅茶が二つ置かれた。気の利く同僚はウインクして去っていった。


俺は、彼女が本名を無事に教えてくれるのだろうかと一抹の不安を感じながら、

「苺の花の君。」と心の中で呟いた。


店内には珈琲豆の芳ばしい香りと、目の前の優しいアールグレイの香りが漂い、二人を包み込んでいた。


fin

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ル・カフェー・ギャルソン5 苺の話 つきたん @tsuki1207

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