第3話
あんなことがあっても、城戸は村木の部屋にいる。気にする素振りを見せない――いや、気にしていないのだ。
彼女は村木のベッドにうつ伏せになって、枕を胸に敷いてクッションにしつつ、スマホをいじっている。意外と仕事に取り組むのが早い彼女は、来週のプレゼン資料をとうに作り終えて、教授に提出していた。見た目に気を使うだけじゃないのが、彼女の抜け目なさを表していなくもない。それでいて料理は苦手なので、彼女は自身を甲斐性なしなんて言う。欠点の無い人間なんて居ないので、村木もそこを気にしたことは無い。彼女が料理をしないなら、村木が作ればいいだけだ。昨日はオムライスを作って、二人で食べた。たった一枚の皿、ケチャップをどうデザインするかで何分でも浪費する彼女を催促するのは、骨が折れた。
それももう過去の想い出みたいだ。村木は静かに、城戸の聞こえない場所で溜息を吐く。
「ねえ村木くん。今週のゼミの後って暇だよね」
スマホをいじりながら、城戸が尋ねる。
「まあ」
「おー、じゃあデートしようよ」
「デート?」
「観たい新作映画あるんだよね。公開したばっかのホラー映画なんだけど」
城戸が遠くから、スマホをこちらに見せる。「これ知ってる?」と彼女が言うも、村木の知らない題名だったので、首を振った。彼女が残念そうにスマホを戻す。
「実績ある制作陣の最新作でさ。あらすじも予告映像も面白そうだし、めっちゃ気になってるんだ。一緒に行かない?」
いつもなら二つ返事で頷いていた。だって、いかにも恋人らしいイベントだ。こういうのの積み重ねで、絆とかが育まれていくに違いない。いずれは結婚にだって到達するかもしれない。世界はそうやって回っている。
「……俺はいいや。気分じゃない」
「そっか。残念だな」
言葉の通り、彼女は結構残念そうに元の体勢に戻る。村木の枕に顎を乗せてSNSを漁る様は、見事にだらしがない。長い髪が扇状に拡がって、白いシーツの上に輝いている。
村木はベッドの、彼女の腹の近くに腰掛けた。ぎしりと音を立てて、ベッドが軋んだ。
贅沢にも暖房を大いにきかせている部屋は少し暑い。「私ってオーバーサイズ似合わないんだよね。着ぶくれするから」らしい城戸は、タイトな服を好んで着るので、下着のラインが見えてしまっていることがある。今日もそうだ。
凹凸をスーッと指でなぞる。くすぐったかったのか、城戸は即座に体を竦ませると、不満そうに村木に振り返った。頬を膨らませても、正直怖いどころかハムスターみたいだなと思う。
「親友とか居たんだ」
「らしくないとか思ってるでしょ」
「聞いた事無かったし」
「ここに居ない人の話をしてもね」
機会が無かったから、これまでは聞いたことが無かったのか。
「ちなみにどんな人?」
「写真見る? あ、動画もあるけど」
村木が頷く前に、城戸は既に写真フォルダを開いていた。新作コスメのプロモーションばかりが鮮やかに並ぶ中、見覚えの無い顔がある。彼女とは似ても似つかない、薄い顔の女性だ。だが朗らかに笑っている。ぱっと見でも、「活発な人だな」という印象をもつには充分なものだった。
「高校一年の時に初めて会ったんだ。友達の友達でね。二月の期末テストの時期だった。雪が降ってた。寒かったな」
聞いてもいないのに、城戸は滔々と語り始める。少しうっとりしているような口ぶりだ。
「最初はあんまり好きじゃなかった。声がね、少し高くて、ふわふわしていて。でも偶然一緒に帰ることになって、電車の中でずっと話した。何を話したのかは覚えてないけど、でも話したことはずっと覚えてる。不思議なことにね……」
どこかで聞いたような、身に覚えのあるシチュエーションだ。乾いた舌が絡まりそうになって、慌てて口を閉じる。
「それから、これも偶然なんだけど、二年生のクラス替えで同じ組になってね。一学年で三百人もいたから、結構な奇跡だよ」
「結果論だろ」
「あは、確かに」
村木がキツイ言い方をするも、城戸は意に返さず笑う。
城戸の微笑みが、いつもなら麗しいものとして映るのに、今日ばかりは馬鹿にされている気がして、村木はますます気に入らない。何か突っかかれることを言いたい。
「親友って言うほどじゃなくないか」
「そんなことはないよ。私には、彼女しか居なかったんだもん」
「お前そんな陰キャじゃないだろ。ちょっと映画オタクっぽくはあるけど」
それだって、人によっては面白い話題だろう。映画というのは市民権の強い趣味だ。
「そういうことじゃないよ……君は、今の私しか知らないからね」
城戸が少し意味深な笑みを浮かべる。どこか哀愁を帯びて、物悲しい。
「今のってなんだよ」
「まあ色々あるよね。そうだ。私、家出したことあってさ。その時に匿ってくれたのも、彼女だったんだ」
それは確かに親友エピソードとして役満だ。なるほど、村木は力なく相槌を打つ。これが信頼と実績か。
「まあでも、それこそ結果論でしかないや……いつの間にか、心の中に入り込まれてたんだよ。内側に……」
どこか覚えのある顔で城戸は言う。
きっと、鏡の世界に。
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