第49話
「これで一件落着だね!」
恋ちゃんが満面の笑顔で言う。
通りに立っていた辻本さんと合流した。
「お疲れさまでした」
僅かに口の端を持ち上げ、私達を出迎えてくれる。恋ちゃんは恩着せがましく「感謝してよね」と胸を張った。
それにしても、と恋ちゃんが私を見る。
「ぼっちとは思えない饒舌さだったよね。録音する必要なんてなかったんじゃない? あれなら学校で人気者になれるよ」
サポートするから人気者になろ? と恐ろしいことを言ってくる。
「いや、無理だからそんなの……。人前に立つの怖いし……。今回は、大好きな小説と推しの話がメインだったから喋れただけで、本質的には人見知りなんだよ」
「絵里なら他の事でも喋れると思うけどなぁ」
陽キャみたいな自分を想像してみる。クラスメイトに囲まれお調子者のボケに的確な突っ込みを入れて場を盛り上げる私。うぇーいと言いながらエナドリを仲間と乾杯して一気飲みする私。友達と創作ダンスを披露して満面の笑みを浮かべている私……。
うん、無理だ。しばらくは陰キャのままでいよう。
そういえば、と恋ちゃんが呟く。辻本さんの方を向いた。
「あんたっていつからいたの?」
「佐原先生の息子が父親の小説を批判している時に来ました」
「うわぁ……」
哀れむような視線を向ける。
「ウィトレスさんを泣かせたあの感動的な絵里の演説を聞けなかったんだ。人生の九割損してるね。ま、仕方ないか。どんまいどんまい」
「このマウントギャル、本当鬱陶しいですね………」
眉を顰める。私の方を向いた。
「今度その演説、二人きりになった時に聞かせてください」
「いや、どうだろう……。正直、ちょっときついかな……」
あれを再現するのは難しいだろう。というか、どういうことを言ったのか覚えていなかった。録音を止めていなければ聞かせてあげられていたのだが。
断られちゃったねえ、と恋ちゃんがにやにやする。辻本さんは眉を吊り上げ、「うるさいですね」と不満を口にした。
平穏な空気が流れていく中で「おお!」と声が聞こえた。振り返り、知った顔を見つけて眉を吊り上げる。
「あれは……」
辻本さんが呟く。
茶髪の男性が立っていた。間違いない、辻元さんに絡んだ最初の男性だ。
隣に女性を連れている。おそらく彼女だろう。清楚な見た目をしている。
茶髪の男性は女性をその場に残して、こちらに駆け足で近づいてきた。
恋ちゃんに「例の茶髪の人だよ」と耳打ちする。ああ、と恋ちゃんは顔を顰めた。辻本さんを見る。無表情だった。冷めた視線を彼に向けている。
茶髪の男性が目の前で足を止める。
私は一歩前に出た。
またどこかで会ったらぶち殺す――そう宣言したのは、よくよく考えてみれば彼に対してだけだった。つまり、一番の因縁の相手ということになる。
彼は鞄を漁り出した。手を引き抜き、カバー付きの本を取り出す。
「あの」
蚊の鳴くような声を発した。それから覚悟を決めた顔で頭を下げてくる。
「あん時はすんませんした!」
私は喉を鳴らした。意外すぎる言葉だったからだ。
辻本さんも僅かに目を見開いている。
「俺、『殺意の鼓動』を読んでいないのに、いろいろと失礼なことを言いました。あの後、恋人がファンだって知って、読んでみたんです。そしたらすげえ傑作で! もうびっくりっすよ!」
興奮のあまり声を擦れさせている。
「俺、実はミステリ小説最後まで読めたことなかったんすよね。理屈っぽいの苦手だったから。でも、これは違いました! 俺の偏見を見事に覆してくれたんですよ!」
本を高く掲げる。カバーが付いているので何の本かわからなかったが『殺意の鼓動』だったらしい。
「俺みたいな奴でも最後まで面白く読めたのは、先生の筆力あってこそだと思います! 作中で触れられていたミステリ小説も全部購入しちゃいました! でも、あのサークルではなぜか不評で、俺、珍しく熱弁して擁護したんですよ。ただ、読書量が圧倒的に不足してたんで、太刀打ちできなかったっす。ホント、悔しかったっすよ。悔しすぎて、みんなのことを罵倒したらサークルから追い出されちゃいまして」
えへへ、と笑う。
「あ、俺のことなんてどうでもいいっすよね。あの、とにかくすみませんでした。それと、マジで傑作を書いてくれてありがとうございました! 次作も楽しみにしてます!」
辻本さんは最初、呆気にとられた顔をしていたが、ふっと微笑んだ。
「別に構わないですよ」
「うわあ優しいなあ……。あ、あの、サイン貰っていいっすか? 俺、『殺意の鼓動』毎日持ち歩いてたんですよ。いずれ会えるんじゃないかって」
「私の友達に謝罪したらサインをあげてもいいです」
ハッとこちらを見る。親に叱られた少年のような顔で口を動かした。
「あん時はすみませんでした……。つい頭に血がのぼって……」
「あ、いえ。私も水をかけてしまって、ごめんなさい」
恐縮してしまう。
「じゃあ、痛み分けってことでいいですかね……?」
「絵里、次に会ったらぶち殺すって言ってたんだよね」
恋ちゃんがにやにやしながら余計なことを言う。
茶髪の男性は顔を真っ青にして「マジっすか」と声を震わせた。
「あ、いや、殺しませんから。比喩ですよ、比喩。冗談みたいなものですから」
辻本さんがペンを取り出す。サインを書く気になったのだろう。彼はブックカバーを外して辻本さんに差し出した。旅行を前にした子供のような顔をしている。
「調子いいなぁ……」
恋ちゃんが呆れを滲ませながら呟く。
「私は嬉しいけどね。推しにファンが増えるのはいいことだから」
以前の私なら、こんな感想は出てこなかっただろう。作者の前で感想を言うなよ、と目を三角にしていたに違いない。
彼はサイン入りの本を掲げ、「やったぁ」とはしゃいでいた。本当に子供みたいだ。
辻本さんが通りの向こうに目をやった。
「彼女にもサインを差し上げましょうか。彼女が勧めてくれたから読んだんですよね?」
「あ、それは……えっと……」
ごにょごにょと言い淀む。明らかに様子がおかしかった。
「あ、浮気だ」
恋ちゃんが呟く。
彼はみるみる表情を硬くした。図星だったのだろうか。
辻本さんが溜息をつく。
「サインは没収ですね」
「ちょ、ちが、浮気じゃないっすよ! 前の彼女とは別れてて……! あいつは妹っすよ!」
泣きそうな顔をする。
どうやら彼女の方に浮気されてしまって別れたらしい。
三人で慰めたおかげか、彼は立ち直れたようだ。ありがとうございました、と言い残して妹さんのもとに戻っていった。
私達も歩き出す。
「そういえば言い忘れてましたね……」
辻本さんが口を開く。私達の方を向いて、笑みを浮かべた。
「二人共、今日はありがとうございました」
私は笑みを返した。恋ちゃんは、なぜか不貞腐れたような顔をしている。照れているのだろう。
三人並んで、沈んでいく夕日の方に向かい足を進めていった。
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