第48話
「皆もういいだろ。話を聞くだけ無駄だ。行こう」
彼の呼びかけに反応する者は誰もいなかった。
ピアスの男性が後頭部に手を回して口を開く。
「そういや最近、好きだったSFのシリーズ追いかけてなかったわ」
過去を懐かしむように目を細めた。
「銀河ロックってシリーズだ。俺、中学の頃まで読書が嫌いだったんだよ。でも、そのシリーズを読んでから読書の面白さに目覚めたんだ」
「次が最終巻みたいですよ」
私が言うと、ピアスの男性は口の端を持ち上げた。
「そうか、帰りに書店に寄ってみるわ。サンキューな」
今度はパーカーの男性が口を開いた。
「僕はちゃんと推しの作家がいるよ。バトルもののライトノベルを書いている竜馬先生だ。戦闘シーンがとにかく上手くてね。初めて読んだ時は手が震えたよ。もっと評価されるべき作家だと思ってる」
「竜馬先生なら『銀翼の少女とブリキの兵士たち』が一番好きです」
私が言うと、男性は目を光らせた。それを知っているとはなかなかのマニアだね、と微笑む。
「……私は純文学が好きだった」
女性が伏し目がちに言った。
「サークルに入ってからはあまり読まなくなった。エンタメの方が売れるからそっちを勉強した方がいいと言われて……それでミステリやSF、ホラーの古典を読むようになった。でも、勉強のために読んでいるからか、あんまり楽しめてなかったように思う」
うんざりしたような顔を浮かべた。
「批判して読む癖がついていた、というのもあるんでしょうね。私はフィクションなら何でも好きな子供だったのに……どうしてこうなったのかな」
「大丈夫じゃないですか?」
私は軽い調子で言った。
「初めて作品に触れて面白いと感じた、あの頃の気持ちを思い出せば、また昔みたいに戻れますよ」
彼らは文芸サークルに入っている。どこかのタイミングで小説を読む原初的な喜びに触れているはずだ。私はそれを、思い出してほしかった。
「……くだらないな」
黒縁眼鏡の男性が溜息交じりに言う。
「批判しながら読んで何が悪いんだ? どんな楽しみ方をしたっていいだろ。所詮はエンタメなんだ」
苛つきをあらわにしながら口を動かす。
私は彼を見つめて言った。
「お父さんの作品にも同じことが言えますか?」
一瞬、悲しみの色を浮かべた気がした。しかしすぐに気を取り直すようにして言った。
「父さんの作品こそ批判的に読んでいるよ。身内に甘くなんてしない。それが僕の美学だからね」
彼は忌々しそうに続けた。
「『夕闇の魔術師』という作品――あれはよくなかった。キャラクターは凡庸だし、トリックもありきたりだ。なぜ商品として出せたのか理解に苦しむね。あんなものを好きな人間、この世にいるとは思えないよ」
夕闇の魔術師は未読だ。彼の批判に対して肯定も否定もできない。
しかし、気になるのは酷く傷ついた顔をしていることだった。
彼は口を開いた。更なる批判を展開させようとしたのだろう。
その時だった。
「異議ありです」
背後から声が飛んでくる。振り返ると、辻本さんが立っていた。
いつからいたのだろう?
私の疑問を置き去りにして、辻本さんは自然な動作でテーブルに近づき、黒縁眼鏡の男性を見つめた。
「『夕闇の魔術師』は、佐原先生の作品群の中でもトップ五に入る傑作だと思います」
黒縁眼鏡の男性は目を泳がせた。
「……それはありえないよ。書評家や通販サイトのレビューを見ていないのかな。皆、叩いていたよ」
「私は皆に含まれていないようですね」
冷静に返す。
「キャラクターに関して凡庸かどうかはわかりませんが、少なくともトリックは面白いと思いました。古典のネタと現代の技術を結び付け、元ネタとは違った効果を生み出させることに成功しています。初めて読んだ時は舌を巻きました」
「それは……君がパズラータイプの作家だからだろ。世間ではさ」
「世間のことなんて知りません」
一刀両断する。
辻本さんは涼し気な顔で続けた。
「他人がどう言おうと、私の中で『夕闇の魔術師』は傑作です。なぜ傑作なのか事細かに説明していくと、恐らく二時間では足らないでしょう。なので、どうしても納得がいかないというのなら」
スマホを取り出す。
「SNSのIDを交換しましょう。あとから評価ポイントを箇条書きでお伝えしますから」
黒縁眼鏡の男性は大きく目を見開いた。彼の気持ちはわかる。酷いことをされたにもかかわらず、辻本さんは気にした素振りも見せず、連絡先を交換しようというのだ。常人にはできない行動だった。
彼は動揺を押し隠すようにして言った。
「悪いが結構だ。駄作なのは揺るぎようもない事実だからね。皆そう言っているんだから」
「皆とは誰ですか?」
「皆は皆だよ!」
声を荒げる。
「君はあのトリックがいいというが、僕はどうかと思うね。アリバイトリックとの組み合わせで、多少新味もあるが、手がかりの提示の仕方が雑だ。最近の書評系ブログにもそう書いてあったよ」
辻本さんは不思議そうに首を傾げた。
「『夕闇の魔術師』は十年前に書かれた作品です。最近のレビューも確認しているんですか?」
「……それは……」
黒縁眼鏡の男性が顔を歪ませる。痛いところを突かれたようだ。
辻本さんはポケットからメモ帳とペンを取り出すと、何やら書き始めた。それを千切り、テーブルの上に置く。
「私のSNSのIDです。気が向いたなら『夕闇の魔術師』について語り合いましょう」
辻本さんは踵を返した。全てを吐き出して満足したらしい。
「待って!」
女性が席を立つ。
「音辻先生……あの……ごめんなさい……。この間は失礼な言動をしました」
足を止め、ゆっくりと振り返る。
「友達が私の言いたいことを全て言ってくれたと思いますから、もう気にしていませんよ」
こちらに視線を向けてきたので、私は満面の笑みを返した。
「辻本さんのために頑張ったよ!」
「……またそういうことを……」
頬を赤らめながら顔を背ける。そそくさと出て行った。
「やべ、謝れなかったわ……」
ピアスの男性が我に返って言う。私達に謝るようなハンドサインをした。
「音辻先生に『すまなかった』と伝えといてくれよ。調子乗ってたわ」
「僕もお願いしたいな。君の話を聞いて、よくなかったと改めて反省できた」
パーカーの男性も言う。
二人の話を聞き入れたところで、女性に顔を覗き込まれた。
「私達、もう来ない方がいいかな……? そういう話だったよね?」
恋ちゃんと目を合わせる。彼女は肩を竦めた。
私は三人に向かって言った。
「辻本さんは気にしていないみたいなんで、あの提案はなかったことにしてください。あと、私も年上の皆さんにいろいろと失礼な言動を繰り返しました。謝ります。ごめんなさい」
「私達が悪いのよ。こっちこそごめんね」
「あたしは謝らないから」
恋ちゃんが唇を尖らせて言う。大人げないよ、と突っ込んだら、「子供だもん」とそっぽを向かれた。
黒縁眼鏡の男性は、テーブルを見下ろしていた。抜け殻のように動きを止めている。
私と恋ちゃんは飲み物を飲んでから、注文したぶんのお金をテーブルの上に置き、席を離れた。
店を出る際、一瞬だけ振り返る。黒縁眼鏡の男性が辻元さんの紙を手に取っていた。しかしすぐに外に出たので、彼がその紙をどうしたのかまではわからなかった。
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