第44話

 喫茶店に入ると、ウェイトレスさんに声を掛けられた。知り合いがいることを説明して奥へと進んでいくと、大学生達を見つけた。二人でテーブル席の脇に佇む。黒縁眼鏡の男性がこちらに気づき、口を開いた。


「君は……」

「お久しぶりです」


 私の顔を見て一瞬、全員の顔が強張った気がした。茶髪の男性に水をぶっかけた女だと、すぐに気づいてもらえたらしい。話が早くて助かる。


「何か用かな……?」


 黒縁眼鏡の男性が訊いてくる。


「五日前、音辻あやと会っていたみたいですね。その件で、少し皆さんとお話をさせていただきたくて」


 本名ではなくペンネームを使ったのは、彼らにはそちらの方がしっくりくると思ったからだ。

 恋ちゃんが笑顔で手を挙げる。


「はいはーい! あたしも話したいでーす! あ、あたし、恋川って言います! この子の大親友です!」


 大学生達は目配せし合った。逡巡しているのだろう。

 ピアスをつけた男性が口を開いた。


「可愛いJKと話せる機会なんてそうそうあるもんじゃねえからな、水をぶっかけてこないなら俺はオッケーだぜ」


 へらへらと笑いながら言う。軽口を叩くことで空気をよくしたかったのだろう。

 私は笑わず、ピアスの男性を睨みつけた。気まずくなったのか、視線を泳がせて沈黙する。


「今、いいって言いましたよね?」


 恋ちゃんが言葉を拾い上げて確認を取る。

 ピアスの男性は「いや」と慌てて口を動かした。しかし恋ちゃんが強引に話を進めていく。


「やったね、絵里。あたし達の話聞いてくれるってさ! お兄さん達、優しいね! あ、あっちの椅子持ってこよっか!」


 彼らは何も言わなかった。プライドがそうさせたのか騒ぎになることを恐れたのか――どちらにしろ、私達にとっては好都合だった。別のテーブル席から椅子を持ってきて二人で座る。

 例の茶髪の男性はいなかった。黒縁眼鏡の男性の言っていた通り、すでにサークルから離れているのだろう。


「皆さんで彼女の作品を批評しましたね?」


 早速問いかけると、黒縁眼鏡の男性は頷いた。


「音辻さんはやる気に満ち溢れているみたいですよ」

「へえ、それはよかったわ」


 女性が笑みを浮かべて言う。私は彼女に視点を固定させた。


「エラリークイーンのオマージュとしての出来は最悪だと思う――でしたっけ? なかなか強い言葉を選択しましたね」


 目を見開き、押し黙る。頬が一瞬引き攣ったのを私は見逃さなかった。こちらの攻撃性に気づいたのだろう。


「あなたはこうも続けています。『国名シリーズでいうところの、エジプト十字架の謎を意識していると思うけど、あんまり上手くいっていないように思う』と。国名シリーズというワードが出るあたり、ミステリに詳しいみたいですね。流石、大学の文芸サークルにいるだけはあるな、と感心しました」


 ちなみに、と全員を見回す。


「この場で彼女以外に国名シリーズを読んでいる方はどれくらいいらっしゃいますか? 有栖川先生のものではなく本家の方です」

「小学生の時に読んだよ。そんなに覚えていないが」


 黒縁眼鏡の男性が言う。それ以外のメンバーは誰も口を開かなかった。


「なるほど、彼女の感想に反論が出なかった理由が今わかりました」


 私は噛んで含めるように続けた。


「音辻さんの『殺意の鼓動』は明らかに『エジプト十字架』を意識して書かれたものではありませんでした。首切り死体は出てこないし、一つの証拠品からたった一人の犯人に絞り込むという趣向もない。被っているところがないんですよ。クイーンよりも、同じくミステリ黄金期で活躍していたカーの『ユダの窓』の方に趣向は似ていると思います。密室の中で、犯人らしき人物と被害者が発見される、という状況からいっても、そちらの方が近いと言えるでしょう」


 少し間を置いてから笑みを浮かべる。


「権威あるエラリークイーンの名前を出しておけば感想がそれっぽくなると思ったんでしょうが、完全に的を外していると言わざるを得ません。なぜ『エジプト十字架』を意識していると思ったんでしょうか? ちゃんと説明してほしいです。作家になりたいのであれば、説明する能力も問われてくると思いますよ」


 女性は顔を赤くした。反論の言葉が思いつかなかったのだろう。悔しそうに唇を噛んでいる。

 今度はピアスの男性に目を向けた。


「あなたはこう言っていたそうですね。『女装をしていた意味がわからない、ロジックの整理が下手だ』と」

「ああ言ったよ。事実だからな」


 強気な姿勢で睨みつけてくる。かなり好戦的だった。


「女装していた理由に関してですが、読めばわかるはずです。その部分のロジックに関しては、そこまで複雑ではありませんから。ね、恋ちゃん」

「え、あたし……?」


 恋ちゃんが自分を指差す。話を振られるとは思っていなかったのだろう。慌てた様子で口を開いた。


「う、うん……。わざとバレバレな女装をすることで、アリバイ工作をしてたんだよね。バレることも計画の内だった。探偵の女の子が最後に説明してくれたから全部わかったよ」

「恋ちゃんはミステリ小説を読むのは初めてだったらしいですよ。そんな彼女でも、トリックの意味はわかったみたいです」

「……いや、俺だってわかってたからな」

「わかっていたのなら『女装をしていた意味がわからない』という言葉が出てくるとは思えません。最後の謎解き場面で丁寧に説明してくれていますからね。本当に読んだんでしょうか?」


 ピアスの男性は真顔になった。テーブルの上に投げ出された手がぷるぷると震え始める。

 最後にパーカーを着た男性に目を向けた。


「あなたはキャラを批判したみたいですね。まぁ、それについては好みの問題もあるでしょう。動機に説得力がない、というのも個人の感想ですから別にいいです。ただ、商業レベルになっていない、デビューはまだ早かった、というのは無理筋な批判だと私は思いますね。実際、商品として出ているし売れているわけですから。具体的にどこが商業レベルではないんですか? 教えてください」

「……文章とか、いろいろだよ……」

「いろいろですか、そうですか」


 私は肩を竦めた。


「皆さんの批判はどれも的を外しているか抽象的なものばかりです。ただ、彼女を貶めたいだけの感想に思えました」

「それは違うだろ」


 ピアスの男性が言う。


「俺らは思ったことを言っただけで貶めようとは思っていないぜ。加害者みたいに言われるのは心外だな」

「年下の女の子を大学生四人で囲み、まともな反論の機会も与えず口々に批判したそうじゃないですか」

「それは……」


 ピアスの男性が顔を顰める。

 ウェイトレスさんが注文を取りに来る。私はコーヒーを頼み、恋ちゃんはミルクを頼んだ。ウェイトレスさんの背中が厨房に消えてから話を続ける。


「私は、あなた達のしたことを集団リンチだと思っています」

「……過激な言葉を使うね」


 今まで黙っていた黒縁眼鏡の男性が口を開いた。悲しそうな目をして続ける。


「確かに君らの言う通りな部分はあったと思うよ。でも、人格否定はしていなかったはずだ。その一線さえ越えなければ、僕は自由な批評は許容されるべきだと思うな。批評のないコンテンツは死んでいくだけだからね」

「一理あると思います」


 でも、と私は言う。


「さきほども言いましたけど、あなた方の批評はどれも的を外していて建設性が皆無でした。レビューサイトやチラシの裏に書くのなら目を瞑りますよ。しかし皆さんは、そのズレた感想を作者本人にぶつけた。集団で一方的に、攻撃的に。これを恥ずべき行為と言わずして何と言いましょうか。私は断固としてあなた方を非難したいと思います」

「……君は、僕たちに何をしてほしいのかな? 具体的に言ってほしいんだけど」


 黒縁眼鏡の男性が冷静に訊いてくる。


「二つだけです。この喫茶店を今後使用しないこと。ここは音辻さんが編集者との打ち合わせに使っている場所です。あなた達がいるとノイズになります。もう一つは、音辻さんに二度と絡まないこと。以上のことを約束してくれるなら、これまでの無礼は全てお詫びします」

「君が謝るの……?」

「はい」


 年上相手にとても生意気なことを言っている自覚はある。要求を呑んでくれるなら幾らでも謝るつもりだった。


「僕らに謝罪を求めない理由は?」

「そもそも私達がここに来たのは、音辻さんに頼まれたからではありません。友達が酷い目に遭ったのを見過ごせなかったからです。音辻さんは謝罪を必要としていません」

「なるほど、そういうことか……」


 黒縁眼鏡の男性は人差し指でバッドの部分を押し上げた。それから、薄い笑みを浮かべて続けた。


「悪いけど、君らの要求は一切呑めないな」

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