第42話



 辻元さんは編集者との打ち合わせが終わった後、喫茶店に残り読書をすることにしたらしい。本を取り出して活字の世界に潜ろうとしたところで、女性に声を掛けられた。そちらに目を向けると、以前絡んで来た大学生の一人だとすぐに気づいたそうだ。


「無視しようと思ったんですが、『この間のお詫びをさせてほしい。私も作家を目指しているから話も聞きたい』と言われたんです。しつこかったので、『嫌です』と拒絶しました」

「流石だね」


 桃が嬉しそうに言う。


「その後、黒縁眼鏡を掛けた男性がやって来て、『失礼な言動をしたあいつはサークルを辞めたよ。僕が辞めさせたんだ』と言いました。どうでもいいことだったので無視していたら、『その本、僕の父さんが書いたものだね』と言われ、流石に動きを止めました。どうやら彼は、佐原武彦の息子だったようです」


 佐原武彦とは二十年以上に渡り、様々なジャンル小説を書き、複数の文学賞を取っている大御所中の大御所だった。

 最初辻本さんは信じなかったらしい。しかし、家族団らんの写真を見せられ、ひとまず信じることにしたそうだ。話しだけは聞いておこうと、彼らのテーブルに移ったという。


「結論から言うと、失敗でした」


 最初のうちは「申し訳ないことをしたね」と謝られ、質問攻めにあったそうだ。好意的なムードもあったという。しかし、『殺意の鼓動』の話題になってから流れが変わったと、辻本さんは溜息交じりに語った。


「サークル内の全員で『殺意の鼓動』を読もうという動きがあったみたいです。こんな意見が出たと彼らは話し始めました」


 女子高生にしては上手い、子供が書いたとは思えない、新人にしてはよくできている。

 どれも辻本さんからしてみれば、嬉しくない言葉だった。

 辻元さんは思わず「本当のことを言ったらどうですか? 表層の感想なら不要です」と棘のある発言をしたそうだ。


「おそらく私の反応の悪さに不満があったのでしょう。私を初めに誘って来た女性が『正直、エラリークイーンのオマージュとしての出来は最悪だと思う』と言い始めました」


 そこからは堰を切ったように批判が噴出したという。

 女装をしていた意味がわからない、ロジックの整理が下手、キャラクターの書き込みが不足しているせいで動機に説得力がない、商業レベルとは思えない、まだデビューは早かった――批判はエスカレートしていったらしい。最終的には「俺達の批判、しっかり受け入れろよ。そうじゃないと成長できないからな」とまで言われたそうだ。


 いつもの辻本さんなら、その一つ一つにロジカルな反論を返していけただろう。

 しかし、最悪の事態に気づき、それどころではなくなっていたそうだ。


「途中で腕時計を一つはめていないことに気づいたんです」


 辻元さんは元いたテーブルに戻った。しかし、腕時計が見つからず焦っていると、「逃げたね」「間違いない」と嘲笑交じりの声が聞こえてきたという。


「頭に血が上りました。彼らにではありません。こんなことで動揺している自分に対して腹を立てたのです。結局、腕時計は鞄の中から見つかりました。飲み物をこぼした時に掛かったので、一度外していたんですよ。ちなみにその時、スマホを落として壊しています」


 テーブルに戻ると、大学生達は帰り支度を始めていた。

 黒縁眼鏡の男性が、「言い過ぎたね。すまなかった」と謝罪してきたという。どうやら彼だけは、一度も辻本さんに対して批判的なことは言わなかったそうだ。

 彼は続けてこう言った。


「父さんに君の作品を読ませてみたよ」


 相手はレジェンドだ。どういう反応があったのか辻本さんは気になったという。質問すると、彼は困ったような表情を浮かべて口を開いた。


「何も言わなかったよ。たぶん、感想が浮かばなかったんじゃないかな?」


 最後にそう言い残して去って行った。辻本さんはそれを呆然と見届けてから、レジに向かったそうだ。

 桃と会ったことは覚えているが、会話の内容までは記憶していないらしい。それだけショックを受けていた、ということだろう。


 辻本さんは全てを話し終えると、テーブルを見つめて黙り込んだ。

 重たい沈黙が流れる。

 最初に口を開いたのは桃だった。


「やり方が汚いね」


 珍しく怒りを浮かべている。


「大学生の集団が年下の女の子を寄ってたかって攻撃したってことでしょ。信じられない」

「年齢は関係ないんじゃないの?」 


 恋ちゃんが口を開く。


「まぁ、やり方が汚いってのは完全同意だけどね。絵里はどう思う?」

 

 全員がこちらを向く。

 私は声を潜めて言った。


「恋ちゃんには前にも言ったことだけど、私は推しに意見を飛ばす人を見ると、ちょっとだけ嫌な気持ちになる。それが好意的なものであれ、悪意を含んだものであれ。作者の精神性や方向性に影響をあたえる行為になりかねないからね。当然、私もしないように気を付けていた」


 だけど、と表情を引き締める。


「恋ちゃんや辻本さんと関わるようになってから少し考え方が変わった。意見を言うことも悪いことばかりではないんじゃないかって、そう思えるようになってきた」


 二人が目を見開く。桃だけは微笑んでいた。

 ただし、とソファから立ち上って口を開く。


「私はやっぱり前提に愛のない意見は凄く嫌いだ。そんなもの、聞く価値なんて全くないと思う。ちなみに私は二人を――二人の作品を愛してる。推しとしても友達としても愛してる!」


 間を置き、熱を込めて続ける。


「今回みたいなのは私から言わせればただのリンチだよ。愛なんて欠片も感じられない、批判することに酔っている集団リンチだ。無視すればいいとは思う。でも、無視できない時や傷つくことだってあるよね。それで、起き上がれなくなることもあるよね。そういう時、一人で立ち直るのが難しいなら――」


 笑いかける。


「友達を頼りなよ。私達のできることなら何でもするからさ」


 辻本さんは呆然と私を見上げた。何を言っているのか、という顔だ。これまでに出会ったことのない動物を目にしたような顔をしている。

 やがて私の言葉が心に浸透してきたのだろう。

 辻本さんは薄い唇を動かした。


「……絵里さん」


 雪解けを感じさせるような柔らかい笑みを浮かべる。


「ありがとうございます」

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