第27話


 椰子さんの家は二階建てのアパートだった。屋根は薄いピンク色で、外壁はクリーム色だ。二階の端の部屋に案内され、恐る恐る中に入る。


 1LDKだった。女の子が一人で住む分には十分な広さだ。

 座るように促され、座布団に腰を落としてから部屋を見回す。


 色のない部屋、というのが第一印象だった。椰子さんの部屋だと知らない状態で来ていたら、ここに住んでいるのが男性なのか女性なのか、性別の判断すらつかなかっただろう。本棚には流行りの漫画、参考書、辞書、小説などが乱雑に並べられている。シリーズものが当たり前のように飛び飛びで入れられており、見ていて落ち着かなくなった。


「コーヒー、麦茶、牛乳――どれがいい?」


 椰子さんが訊いてくるので、「コーヒーでお願いします」と答えた。


「砂糖とミルクは?」

「あ。入れてほしいです」

 

 少ししてテーブルにカップが置かれた。

 口をつけ、喉を潤す。ほっと息をついてから、私は単刀直入に訊いた。


「こ、恋ちゃんのこと、どうやって知ったんですか?」

「見ていたらわかるよ」


 教室でウェブ小説サイトの設定画面を開き、ニヤニヤしていたことがあったらしい。

 どうやら本人の不注意で書き手だとバレてしまっているようだ。これは恋ちゃんが悪いな、と思う。


「エーちゃんは知らないと思うけどね」


 エーちゃんとは、江東さんのことだろう。

 椰子さんは私の顔を覗き込み、ゆっくりと唇を動かした。


「私、フィクションで感動したことがないんだ。いや、この言い方は正しくないね……。私は生まれてこの方、何を見聞きしても感動したことのない人間なの」


 淡々と言う。本心を語っていることが伝わってきた。


「昔から大人達に『執着心がないね』って言われながら生きてきた。その自覚はあったよ。玩具にしろ趣味にしろ友達にしろ、すぐに私は見切りをつけてきたから。何ごとにも真剣になれた試しがないの。そんなんだから、薄っぺらい空っぽ人間が出来上がったんだろうね。シズの小説も、正直、何が面白いのかわからなかった。友達なのに酷いよね」

「そ、そんなことはないと思いますけど……」


 柔らかく微笑む。


「私は自分の薄っぺらさに対して深く考えずに生きてきた。合わせるのだけは上手かったからね。壁にぶつかるようなことはなかった。でも最近、そろそろ変わるべきなんじゃないかと思い始めている」


 椰子さんはガラス玉のような目をこちらに向けた。内面を見透かされたような気がして逃げ出したくなる。


「紙野さんを見て、変わらなきゃ、って思ったんだ」


 喉を鳴らす。何かの間違いではないかと思った。


「シズと辻本さんが口論したことがあったよね。私とエーちゃんが止めようとしたけど、無駄骨に終わったやつ。でも、紙野さんが来てくれて状況が一変した」

「わ、私は何もしてなかったと思うんですけど……」

「紙野さんを見た瞬間、二人は安堵の表情を浮かべた。紙野さんが来てなかったら、とんでもないことになっていたと思うよ」


 そうだろうか? 正直、疑わしいと感じてしまう。


「四日前は喫茶店で辻本さんと話してたよね?」

「え、なんで……」

「たまたま中学時代の友達と会ってたんだ。大学生っぽい集団が辻本さんに絡んでて嫌な雰囲気だった。どうするんだろうって思いながら見ていたら、紙野さんが立ち上がって大学生に水をぶっかけた。驚いたよ。そういうことをする子だと思ってなかったから」

 

 頬が熱くなる。


「つ、つい頭に血がのぼってしまって……。恥ずかしいです」

「そんなことはないと思うけど」


 椰子さんは真顔で続けた。


「人のためにあそこまで本気になれる人を見るのは初めてだった。二人の口論を止めたのと合わせて、紙野さんに興味を持ったんだ。ううん、興味を持っただけじゃない。紙野さんの要素を取り入れなきゃ、って思った。そうしないといずれ私のやり方は通用しなくなるだろうから」


 私は口を噤んだ。

 ここまで話してみてわかったのは、椰子さんの自己評価の圧倒的な低さだった。

 華やかなトップカーストにいながら、ここまでドライで後ろ向きな人間は珍しいのではないか。……いや、それは偏見か。陽キャに見えるような人間にだって悩みはあるだろう。同じ人間なんだから。

 椰子さんは肩を竦めて続けた。


「ごめん。相談に乗るって連れ込んだのに、私ばかり話しちゃったね」

「あ、構いませんよ。話を聞けてよかったです」

「紙野さんは優しいね」

「そんなことは……普通ですよ」


 優しい、という言葉を頭の中で反芻する。言われてほっとする言葉だった。

 私は自分を、真に優しい人間とは思っていなかった。優しいことでしか社会に居場所を作れないから、戦略として人に優しくしているだけだ。

 たぶんそれは、椰子さんもそうなのではないかと思う。彼女は人に合わせるという生存戦略を取ってきた。だが、それに限界を感じているから、私に接触を図ってきたのだと思う。


 私達は似た者同士なのかもしれない。ひょっとしたら、互いを支え合える関係になれるのではないか。そんなふうに一瞬考え、いや、と首を小さく振った。

 私は友達を作ってはならない人間だ。桃との一件で、そのことは既に証明されている。


 恋ちゃん、辻本さんの顔が脳裏に浮かんだ。

 約束が終わったら、彼女達とも距離を置くべきだろう。それが互いのためだ。

 胸に痛みを感じたが、気づかないふりをしてコーヒーに口をつけた。


「紙野さん」


 椰子さんが微笑みながら口を動かす。


「辛いことがあるなら聞くよ? 私で力になれるかはわからないけど」


 この人との縁も近いうちに切れる。だから、弱みを晒すべきじゃない。

 とはいえ、一方的に悩みを聞いてしまっている状態だ。ここで沈黙を選ぶのはフェアではないだろう。

 私は覚悟を決め、小さく口を開いた。



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