私が推しにできること

第26話


 私はスマホの画面に視線を落として、改めて親からのメッセージに目を通した。今日は帰りが遅くなるらしい。自分で好きな食事を取れ、とのことだ。


 街中のベンチに腰掛けて溜息をつく。


 今日はとんでもなく疲れる一日だった。恋ちゃん、辻本さんの心のデリケートな部分に触れ、二人を不快にさせてしまった可能性が高い。


 推しの作家に悪い影響を与えてしまっているのではないか――そう考えた途端、吐き気を覚えた。過去に戻ってやり直したい。しかし、そんなことは不可能だった。

 

 私はもう逃げないと決めている。何とか歯を食いしばり、二人のためになることをしなくては……。

 その時、隣に誰かが腰掛けた。恐る恐る横を見て驚く。


「椰子……さん……?」


 ぼーっとした様子で街を眺めている。たまたま隣に座りましたよ、という表情だ。

 肩に掛かる程度の栗色の髪に、スラッと長い手足、整った目鼻立ち。トップモデルのような容姿をしている。しかし、存在感は妙に薄かった。派手な言動の恋ちゃんや江東さんと一緒にいるから、そう思うだけかもしれないが。


「さっき、男の人に声を掛けられたんだ」


 椰子さんは独り言のように呟いた。


「お金を出すから一緒に遊ぼうよ、って言われたの。断ったけど」


 援助交際を持ちかけられたらしい。


「私にお金なんて払う価値ないのにね」

「そ、そんなことはないと思います。椰子さんはその、び、美人、ですし……」

「気なんて遣わなくていいよ」

「遣ってません! 私が男なら椰子さんと付き合いたいです!」


 つい口調を強くしてしまう。椰子さんは目を見開き、それから微笑んだ。可愛らしい笑顔にどきりとしてしまう。


「ありがとう」


 気まずい沈黙が流れる。

 私は何を言っているのか……。ふと我に返り、死にたくなった。


「辛そうな顔をしていたから声を掛けさせてもらったんだ。迷惑だった?」

「え、いえ、そんなことは……」

「紙野さん、シズと辻本さんのことで悩んでるでしょ?」


 返答に困っていると、椰子さんはベンチから立ち上がった。こちらに振り返って唇を動かす。


「私の家に来ない?」

「えっ」


 わけがわからなかった。なぜそんな話になるのか。唐突すぎる。


「私、独り暮らしをしてるんだ。だから今来てもらっても迷惑じゃないよ」

「で、でも……」


 椰子さんは小さく口を動かした。


「……『夢見ちゃんはかわいい』の話をしたいな」


 えっ、と驚く。

 恋ちゃんは、小説執筆は友達にも秘密にしていると言っていた。それなのになぜ、『夢見ちゃんはかわいい』の話が椰子さんの口から出てくるのか。疑問符が次々と浮かんでくる。


「紙野さんって、シズや辻本さんの相談係をしているんでしょ?」


 更に疑問を深めるようなことを言う。柔らかく微笑み、私を見つめてきた。


「相談係にも、相談係は必要だと思うんだ」


  

 

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