第25話


 バスを降りて喫茶店の前を歩く。辻本さんとの相談によく使っている場所だ。窓から店内を見て、あっ、と声を漏らした。


 いつもの定位置に辻本さんが座っていた。不機嫌そうにしている。向かいの席にはスーツを着た男性がいて、ぺこぺこと頭を下げていた。


 辻本さんが冷め切った表情で何かを言うと、男性は立ち上がり、再び頭を下げ、レジの方に向かっていった。辻本さんは居座る気でいるようだ。カップに手を伸ばしている。ふちに口をつけたところで、私と視線を交差させた。


 気まずいな、と思いながら手を挙げる。


 辻本さんは手を挙げなかった。スマホを取り出して操作を始める。数秒後、通知がきた。案の定、辻本さんからのメッセージだった。来てください、とある。


 スーツの男性とすれ違い店内に入る。ウェイトレスさんに案内してもらった。


「さきほどの人は私の担当編集者です」


 席に腰掛けたところで早速切り出された。

 ウェイトレスさんを呼び、注文を終えてから口を開く。


「何があったの?」

「今日は相談日じゃありませんよ」

「人間関係に関する相談ならありなんじゃないかな?」


 我ながら苦しい言い分だと思う。

 辻本さんは顎に手を当て、何やら考え込んでいるようだった。やがて結論を出したのか、脇に置いてあった鞄を持ち上げ、自分の膝の上に乗せた。中を探っている。やがて雑誌を取り出すと、テーブルの上に置いた。赤い付箋が挟まれている。


 読んでくださいと言われたので手を伸ばして、付箋の挟まれたページを開くと、『自称神と操り少女』の作者である遠藤さんのインタビュー記事が掲載されていた。

 読み終え、辻本さんを見つめる。


「これがどうかしたの?」

「気づきませんか?」


 辻本さんは苛立ちをあらわにして言った。


「私に対しての当てつけが書かれています」

「えっ」


 再び目を通す。しかし、ピンとくる部分がなかった。

 テーブルの上に雑誌を広げるように言われたので指示通りにすると、辻本さんは不機嫌そうに文章を読み上げた。


「パズル的なミステリは音辻先生に任せたい、自分にはああいったマニアックなものは書けないから――そう書いてあります」

「う、うん。確かにあるね」

「わざわざインタビューで言うことではないでしょう」


 眉を吊り上げて言う。


「絶対にあてこすりですよ。それ以降の言葉も私に対してのマウントに違いありません。このことを担当編集に相談したら、『思い込みではないですか?』と言われたんです。だから、つい怒ってしまったんですよ」


 近くの席から笑い声が響いた。そんなわけねえだろ、と若い男性が言っている。こちらとは関係のない話題で盛り上がっているのだろうが、私は肝を冷やした。


「彼とは新人賞の授賞式で会いました。私はその時、なぜ自分の作品が次点で、あなたの作品が大賞なのかと詰め寄ったんです」


 選んだのは選考委員の先生方だ。大賞に選ばれた作家を問いただすのは筋違いだろう。

 辻本さんは眉根を寄せて続けた。


「選考基準はわかりませんが、自分の作品は時流を取り入れたから受賞できたのではないかという分析を語っていました。その後、『執筆時は中学生だったんですよね、それで受賞は凄いですね』と言われたんです。私はそれを聞いて、はらわたが煮えくり返るような気持ちになりました」


 声のトーンが上がる。その時のことを思い返しているのだろう。


「私は、年齢や属性で判断されたくなかったから覆面作家でいたかったんです。でも、先ほどの担当編集者に頭を下げられ、顔出しをオーケーしたんです。まずは興味を引かせて手に取ってもらわなくては土俵にすら立てないと言われたから、仕方なく折れたんです。顔出しのおかげかは知りませんが、本はたくさん売れました」


 しかし、と眉を吊り上げて言う。


「同時期デビューの作家に見下されるのは我慢なりません」


 ウィトレスさんがコーヒーを持ってくる。

 辻本さんの創作意欲の根源は何なのか。それが今回、初めてわかった気がする。

 彼女は、負けたくないのだ。だから常に同業者の作品と自分の作品を比較して、一喜一憂している。それがクオリティアップに繋がるのならいいと思う。

 しかし……。


「気持ちはわかったよ」


 辻本さんの表情から険しさが消えた。期待していた言葉だったのだろう。

 私は覚悟を決めて続けた。


「でも、読者としては微妙な心境になったかな」

 

 辻本さんは不思議そうに小首を傾げた。今ならまだ止まれる。しかし、私はアクセルを踏み込んだ。


「今の辻本さんは同業者の方しか向いてない気がする。本当に見なきゃいけない人達を、見れていないんじゃないかな?」


 沈黙がうまれた。店内BGMだけが鼓膜を揺らし続ける。

 辻本さんは硬い表情のまま雑誌を手に取り、鞄に戻した。


「帰ります」


 伝票を掴みながら言う。


「お金は私が支払うのでご心配なさらず」

「え? 急にどうしたの?」


 まだ来たばかりだ。コーヒーも残っている。

 ここにいてほしいという気持ちを込めて言ったのだが、辻本さんは淡々とした様子で腰を持ち上げた。


「これ以上はルール違反でしょう。いえ、すでにルール違反になっていると思います」

「そ、それは……」

 

 否定の言葉が見つからなかった。

 辻本さんは薄い唇を開いて言った。


「続きは桃に話すことにします」


 胸に痛みが走る。なぜここで桃の名前が出てくるのか。


「それではまた」


 踵を返してレジの方に向かう。私は再び視線を落としてコーヒーカップの中身を見つめた。げっそりとした少女の顔が映り込んでいる。

 私は、また何か間違いを犯してしまったんだろうか?


 ――桃に話すことにします。


 言葉を反芻しながら胸に手を置くと、内側から激しい鼓動を感じた。

 一つの時計が狂ったら、もう一つの時計を見ればいい。

 以前、辻本さんが言っていたことだ。

 彼女から見て、私は狂った時計になってしまったんだろうか?

 ぬるくなったコーヒーを飲み干してから外に出る。空はすっかりと闇に包まれていた。

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