第24話

「そのノートどうしたんだよ?」


 江東さんが聞いてくる。私はノートを背中に隠して、手を震わせながら言った。


「こ、恋ちゃんのノートです。そこに落ちてたんです」

「ほーん。私らが返しておこうか?」

「あ、いや、それは……わ、私が返しておくので大丈夫です」


 もっと普通の返答はできないのかと自分を責めたくなった。

 江東さんが近づいてきた。ドーベルマンを前にしたような圧を感じてしまう。


「ノート見せてみ?」

「え、えっと……友達とはいえ勝手に見るのはいけないと思うんですけど」

「でも、紙野は中身見たんだよな?」

「見――てません」


 危ない。ここで見たと言ってしまったら、恋ちゃんにそれが伝わってしまう可能性がある。それはよくないと思った。


「……名前はないみたいだけど……」


 後ろから声が聞こえてびくりとする。椰子さんに回り込まれていた。

 江東さんが腕を組んで口を動かす。


「なんで名前がないのにシズのノートってわかったんだ? 中身見てないんだろ?」

「え、それは……このノート、恋ちゃんの席の近くに落ちてたんです。だから、恋ちゃんのノートかと思って……」

「言っていることはわからんでもないぜ。でも、やっぱり違和感は残るな。最初『恋ちゃんのノートです』って断言していたよな? 『恋ちゃんのノートかもしれません』だったら違和感もなかったんだが」


 追いつめられ、心臓の動きが早まる。以前観た刑事コロンボや古畑任三郎を思い出した。なぜ犯人はわざわざ刑事の話に付き合うのだろうと不思議に思いながら観ていたのだが、今なら犯人達の気持ちが痛いほどわかった。質問や追及を面と向かって無視できる人間はそういないのだ。もちろん私もその例に漏れなかった。


 どう誤魔化すべきか。頭を必死に働かせていると、椰子さんが視界に入ってきた。申し訳なさそうな顔で言う。


「ごめんね」

 

 困惑する。江東さんがにやにやしながら口を開いた。


「ドキドキしたんじゃねーの? 刑事の名推理って感じだったろ?」

「この子、刑事ものの海外ドラマにはまってるんだ」


 許してあげて、と椰子さんが言う。

 肩から力が抜けていくのを感じた。本気で探りを入れられていたわけではなかったらしい。心臓に悪いな、と文句をつけたくなる。


「……ちなみにどんなドラマを観てるの?」

「お、なんだ。興味あるのか」


 話を振ると、江東さんはドラマ語りを始めた。挙げてくれたタイトルの幾つかは観たことがあったので、話を合わすことができた。


「なんだよ、わかる奴じゃねーか」


 笑みを浮かべながら言う。私の目的はノートから意識を逸らしてもらうことにあったのだが、意外な反応をもらい、少しだけ困惑する。私は女子の可愛い笑顔に弱いのだ。

 その時だった。教室の扉が開き、恋ちゃんが姿を表した。


「あれ、絵里もいるじゃん? どしたん?」


 近づいてきて首を傾げる。

 このタイミングしかないと思い、私は背中に隠していたノートを突き出した。

 恋ちゃんが表情を硬くする。

 しかし次の瞬間には、いつもの明るい笑みを取り戻していた。


「落ちてたの拾ってくれたんだ? さんきゅね」


 ノートを渡すと、恋ちゃんは素直に受け取ってくれた。

 これで一件落着だ。そう思い、扉の方に向かおうとする。しかしその途中で「絵里」と呼び止められた。


「中身は読んだの?」


 振り返ると、恋ちゃんは笑みを浮かべたまま佇んでいた。心なしか、疑いの色を浮かべているように見える。


「その流れはもうやったからええわ。二回目はしらけるぜ」

「だね」


 江東さんと椰子さんが言い、どゆこと、と恋ちゃんが首を傾げる。機に乗じて「そ、それじゃあ、また明日ね」と教室を飛び出した。無心で足を進め、昇降口のところで歩みを止める。大きめの溜息をついた。


 SNSの裏アカウントでやるようなことを、恋ちゃんは実物のノートでおこなっていた。有名人が裏アカウントバレで信用を失墜させる事件が相次いでいる昨今だ。リスク管理のためにそうしているのかもしれない。何にせよ、恋ちゃんの行為に他人がどうこう言える問題点はなかった。ノートに何を書こうがその人の自由だからだ。


「でも……」


 靴に履き替えながら呟く。外はまだ明るかった。校門までの道のりを歩きながらノートに思いを馳せる。


 私の項目には何と書かれてあったのか、結局、見れずじまいだった。正直かなり気になる。

 しかし、今更知る由はない。きっと知るチャンスは二度と巡ってこないだろう。

 校門を抜けたと同時に、私は誰にともなく「辛いな……」と呟いた。


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