第21話


 翌日の日曜。バス停の前で秋空にたゆたう白い雲を眺めていると、背後から気配を感じた。振り返ると、辻本さんが歩いていた。私の前に到着すると、にこりともせずに言った。


「おまたせしました」


 挨拶を交わしてから足を動かす。

 辻本さんは落ち着きのあるワンピースを着ていた。ファッション雑誌で表紙を飾れそうな完成度だ。つい見惚れてしまう。 


「絵里さんの言う通り、担当編集者と話し合い、冒頭を直してみました」


 辻本さんが呟くように言った。


「あ、そうなんだ」

「ひとまず先に進めていい、と許可が出ました」

「よかったね」


 ファンとしては嬉しい限りだ。


「それで、昨日はどうでしたか?」

「お互いルールは守ってたよ。創作の話はそんなにしなかったけどね」

「何をしていたんですか?」

「取材だよ。取材デート」


 突然、横から気配が消えた。振り向くと、辻本さんが足を止めていた。しらっとした視線を向けてくる。どうしたのだろう、と不安になった。


「何時間デートをしたんですか?」

「え……。うーん、五時間くらいだと思うけど」

「ルール違反です」


 辻本さんは不貞腐れた態度で言った。


「一日三時間を超えてはいけないというルールだったじゃないですか」

「いやでも、遊んでただけだから……」

「しかし、取材を兼ねたデートだったんですよね。私はルール違反だと思います」

「そ、それについては三人で話し合わないといけないんじゃないかな……。一存では決められないと思うよ」


 辻本さんは何かを考え込んでいるようだった。不機嫌そうに眉根を寄せてから、溜息をつき、私を見つめた。


「絵里さんの主張を認めてもいいです」

「そ、そっか。わかってくれてよかったよ……」

「認めるので、私ともデートをしてください」


 辻本さんをまじまじと見つめる。真顔だった。


「えっと……確認だけど、辻本さんって恋愛ものや女の子同士がイチャイチャするものは書くつもりないんだよね?」

「出版社の要望で書く可能性はありますよ。ですから、今のうちにデートを経験しておこうと思いまして」


 かなり強引な理屈だと思う。

 辻本さんは横を向いた。


「嫌なら別にいいですけど……」

「あ、嫌ってわけじゃないよ。むしろ光栄というか緊張するというか嬉しいというか、興奮するというか!」

「では、デートしてくれるんですね?」


 この流れで拒否はできなかったので、うんと頷いた。


「デートをするのは初めてなので、参考までに、昨日のことを教えていただいてもよろしいですか?」


 簡単に説明すると、辻本さんは神妙な顔で頷いた。


「なるほど。しかし、恋川さんと一緒のことをしても仕方ないですね。ひとまずは――」


 距離を詰めてくる。何をするのかと思っていると、腕を取られた。そのまま密着され、腕を組む形になった。

 辻本さんのシャンプーの匂いが鼻孔をくすぐる。胸のふくらみを感じて、どぎまぎした。心臓がうるさい。


「今日はこれで移動しましょうか」

「ちょ、ちょっと待って。流石に恥ずかしいんだけど……」

「私は恥ずかしくありません」

「私は恥ずかしいんだよぉ……」

「でも、恋川さんとは手繋ぎデートしたんですよね?」


 しゅんとしたような声で言う。卑怯だ、と思った。そんな声を出されたら、受け入れざるを得ない。


「わかった、いいよこのままで。でも、どこ行こうか?」

「観たい映画があります」


 私達は映画館のあるショッピングモールに足を運んだ。目的の映画が始まるまで店を見て回った。密着したままなので恥ずかしかったが、辻本さんは特に気にした様子を見せない。流石、メンタルが強いと感心する。

 上映時間前にシートに座った。時間になり、二人並んで映画を眺める。


 ジャンルは心理スリラーだった。完璧主義の女性が、ちょっとしたミスから精神に不調をきたしていくという内容だった。

 映画館を出て感想を言い合う。私は主人公の持つ脅迫神経症の描き方に不満があり、積極的には推そうと思えなかったが、辻本さんはかなり満足したようだった。 

 その後、夕食をとることになった。親に電話を入れて了承を得てから、辻本さんに質問を投げる。


「連絡しなくて大丈夫なの?」

「いつも一人で食事をとっているので問題ありません」


 ギャグ漫画家の父親の話を思い出す。しかし、お母さんはどうしているんだろう。疑問に思っていると、辻本さんが答えてくれた。


「父と母は離婚しています。私は今、母と二人暮らしをしているんです」

「そ、そうなんだ……」

「はい。母は検事で帰りがいつも遅いので、食事は一人でとることが多いです」

「自分で料理を作ってるの?」

「サプリやゼリーで済ませています」


 健康的にそれはまずいのでは?

 辻本さんはたまにいる食事に興味を持てないタイプらしい。


「辻本さん、今日は美味しいものを食べようよ! ね!」


 腕に力を込めて言う。辻本さんは少しだけ困惑の色を浮かべてから、「ええ」と頷いた。


 私達はステーキ屋に足を運んだ。以前、家族と来たところだ。一人では怖くて入れないが、辻本さんと一緒なのでそこまで緊張しないで済んだ。

 同じステーキセットを頼み待つこと十五分、料理が運ばれてきた。ナイフとフォークで切り分けて食べる。舌の上で脂身が溶け、口いっぱいにうま味が広がった。

 辻本さんも美味しいと言ってくれて、来てよかったと思った。

 全てを平らげてから店を出る。時刻は七時を回っていた。


「今日は楽しかったです」


 辻本さんが言う。

 外灯の下を二人並んで歩く。腕は組んでいなかった。

 九月下旬に差し掛かり、夏の気配はかなり遠のいたように思う。涼しい風が頬を撫でるようになっていた。

 辻本さんが足を止め、私の顔を見つめくる。


「デートの締めくくりといきましょうか」

「え、どうするの?」

「キスするんですよ」


 聞き間違いかと思った。

 辻本さんは真顔でこちらを凝視している。うっすらと頬を染めているようにも見えた。


「えっと……それは流石にまずい気がするんだけど……」

「嫌なんですか?」


 しゅんとしたような声を出され、気持ちが引っ張られそうになる。

 私は腹に力を込めて言った。


「嫌ってわけじゃないよ。でも、そういうのはちゃんとした方がいいと思う」

「キスなんてただの肉体的接触ですよ。大したイベントではありません」


 本当に大したことがないと考えているなら、そこまで頑なになる必要はないと思うのだが。

 ふいに私は、ある可能性に思い至った。


「ひょっとして辻本さん、恋ちゃんより激しいことをしようとしてない?」


 辻本さんは顔を逸らした。図星だったらしい。

 私は苦笑して言った。


「私とキスしたって、恋ちゃんに勝つことにはならないと思うけど」 

「別に、恋川さんのことなんてどうだっていいです。私は今後のためにキスを経験しておきたいだけです。変な勘違いはしないでください」


 努めて冷静に言おうとしているのが愛おしく感じられた。やはり恋ちゃんのことをライバル視しているらしい。

 しかし、やはりキスはすべきでないと思った。古い考え方かもしれないけど、本当に好きな人に取っておくべきだと思う。私なんかが、辻本さんの唇を奪うわけにはいかない。きっと後悔させてしまうから。


「じゃあ、ハグをさせてください」


 キスはしてくれないと思ったのか、別の要求をしてきた。

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