第20話
どこから話そうかな、と恋ちゃんは逡巡しているようだった。子供たちの笑い声が聞こえる。そちらに顔を向けようと思ったところで、恋ちゃんが唇を動かした。
「結論から言うと、あたしが小説を書き始めたのは絵里がきっかけだったんだ」
「えっ……」
視線だけで先を促すと、恋ちゃんは穏やかな口調で続けた。
「あたしと絵里って中学あがる頃には交流途絶えてたっしょ。でもあたし、絵里とまた話したいと思ってたんだ。嘘じゃないよ? その頃、ちょうど日常系アニメにはまってて、周りに見てるやつが一人もいなかったから、いろんなカルチャーに精通している絵里と話したいなって思ったんだ」
恋ちゃんは勇気を振り絞り、私のクラスに来たらしい。
「絵里は友達と一緒にいた。名前は確か……桃だったかな」
心臓が跳ねる。恋ちゃんの口から桃の名前が出てくるとは思わなかった。
「聞き耳を立てて驚いたよ。二人は漫画づくりの話をしていたから」
指導ごっこを見られていたらしい。胃に痛みを感じて逃げ出したくなった。
「二人の話を聞き続けていたら予鈴のチャイムが鳴った。教室を出て廊下を歩いていたら、なぜか涙が出てきちゃってさ……」
照れくさそうに笑う。
「絵里との関係はいつでも修復できると軽く考えていたのに、そうではなさそうだったからショックを受けたんだと思う。二人の間に割って入れそうになかったからね。めちゃくちゃ自分勝手っしょ? しばらくの間、あたしはそんな自分を許せなかった」
恋ちゃんでもそういう感情が湧くのかと、びっくりする。
恋ちゃんは表情を暗くした。辛そうに見え、大丈夫だよ、と肩に手を伸ばしたくなった。自分を許せない気持ちはよくわかる。私も未だに自分を許せていなかったから。
「絵里との関係を断ってなかったら、あそこに座っていたのはあたしだったかもしれない。そんなふうに考えて桃に嫉妬したってのもあると思う」
恋ちゃんは過去に思いを馳せているようだった。
「今からでも間に合うかな、ってあたしは創作を始めたんだ。絵里とのお喋りのきっかけになるんじゃないかと思って。絵の才能はなかったから小説にしようと思って文章を書いた。それで完成したのが『ゆるさんぽ』だった。好きなジャンルだから書くのに苦労はなかったよ」
何と言っていいのかわらかず、恋ちゃんの顔をまじまじと見つめてしまう。
恋ちゃんは苦笑して続けた。
「高校に進学して久しぶりに同じクラスになった。何度も声を掛けようとしたんだけど、意識すればするほど難しくてさ。あたし、あんまり物怖じしないタイプなんだけどね。たぶん、怖かったんだと思う。拒絶されるんじゃないかって」
「拒絶なんてしないよ」
「わかってる。実際されなかったし。勇気を振り絞って声を掛けてよかったよ。でも、まさか『ゆるさんぽ』を読んでるとは思わなくてびっくりした」
「私もびっくりだった。まさか、恋ちゃんが作者だとは普通思わないもん」
「絵里と仲良くなるために創作を始めたけど、いざ話そうと思えば思うほど、創作していることは言えないと思った。絵里は難しい本をいっぱい読んでるから、あたしなんかが書いたものなんて読んでくれないと思ったから。でも実際は読んでくれてて嬉しかったよ」
「恋ちゃん、『あたしなんかが』なんて言わないでよ」
強い口調で言うと、恋ちゃんは目を見開いた。
「私は『ゆるさんぽ』を素晴らしい作品だと思ってる。それは作者が恋ちゃんだと知る前からずっとそうだよ。だから、『あたしなんかが』なんて卑下してほしくない。私の好きだって気持ちを否定しないでほしい。恋ちゃんの作品、私は好きだよ。大好き」
想いを告げる。
恋ちゃんは私を見つめた。しばらく固まっていると、突然瞳が揺れ始め、ついには涙をこぼした。あれ、と首を傾げ、おかしいな、と呟いている。
「嬉しいはずなのに涙出てきちゃった。なんでだろう?」
私はポケットからハンカチを取り出して恋ちゃんに渡した。
恋ちゃんの泣き顔を見つめながら、心の中に今までなかった情動がわいてくるのを感じた。いてもたってもいられず、恋ちゃんの肩に触れる。人の温もりを感じられた。
どうやら私は、知らず知らずのうちに、恋ちゃんに影響を与えていたらしい。
不思議とそのことに、私は忌避感を覚えなかった。
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