第18話

「絵里さん、昨日言ってましたよね。ミステリというジャンルは教養主義的なところがあるから恋川さんのような詳しくない人に感想もらっても参考にならないと」

「えっ、いや……」


 私は擦れた声を出した。

 恋ちゃんが睨んでくる。


「恋ちゃんのような、とは言ってないから」

「それ以外のところは言ったんだ」


 私はしどろもどろになった。


「た、確かに似たようなことは言ったよ。でもそこまできつい言い方はしてなかった。あと『本格ミステリはマニア以外から感想をもらっても参考にならないですよね?』って辻本さんに訊かれたから、そういう考え方もあるねって答えただけだよ。ミステリ詳しくない人の意見は全く参考にならない、なんて思ってないからね」


 ふーん、と恋ちゃんが呟く。それから、冷めた表情で続けた。


「絵里、あたしに言ったよね。辻本の書いているようなミステリは型が決まりきっているから窮屈になりがちだけど、恋ちゃんの書いているものは縛りがなくて読んでて心地いいって」


 私は頭を抱えた。

 辻本さんがしらっとした視線を向けてくる。


「言ったんですか?」

「あ、いや、確かに似たようなことは言ったよ? でも辻本さんの名前は出してなかった。恋ちゃんから『ミステリってルール多くて人工物みたいでつまんないよね?』って訊かれたからそう思う人もいるかもね、って答えただけで……」


 なぜ前の話を持ち出してくるのか。冷や汗が垂れる。


「なんか流れ変わったな」

「だね」


 江東さんと椰子さんが囁き合っている。失望されてしまったかもしれない。


「絵里さん、コウモリ的なスタンスは嫌われますよ」


 辻本さんの発言で一気に血の気が引いていくのを感じた。視界が揺らいでいく。


「絵里?」


 恋ちゃんが小首を傾げて顔を覗き込んでくる。私は唇を戦慄かせて言った。


「ごめん、私やっぱり、無理かも……」

「は?」

「二人にアドバイスする資格なんてそもそもなかったんだ。私なりに全力は尽くしたつもりだよ。けど、結果はこれ。二人に嫌な思いをさせている」


 吐き気を我慢して続けた。


「結局、私は二人に対して耳心地のいいことを言ってただけだった。桃との時と本質は一緒だよ。私は二人のためじゃなくて、自分のためにアドバイスを送ってたんだ」

「……桃?」


 恋ちゃんが不思議そうにしている。

 私は二人に頭を下げた。


「ごめん。悪いけど私はもう――」

「そんなのは逃げですよ」


 顔を上げると、辻本さんが眉間に皺を寄せていた。


「絵里さんは私達のために頑張ってくれています。真剣さは伝わっていますよ。過去に何があったのかはわかりませんけど、ここで逃げたら、絵里さんは一生過去に囚われたままです。それでいいんですか?」


 顔が熱くなっていくのを感じた。辻本さんの指摘通り、私は今回のトラブルを利用して逃げようとしている。

 なんて無責任なんだろう……。

 自分のどうしようもない性格に腹立たしさを覚えた。


「耳心地のいい言葉だけでもいいと思うけどな」


 恋ちゃんが柔らかな笑みを浮かべて言った。


「褒めてくれるだけで嬉しいもん。あたしは凄く助かってるよ。だから、自分を卑下するようなこと言わないでほしいな」  


 優しい言葉に泣きたくなった。

 穏やかな空気が流れ始める。これで言い争いは終わりかと思ったところで、辻本さんが冷めた視線を恋ちゃんに向けた。


「私はこの人と違いきつめの指摘だって受け入れるつもりですよ」


 恋ちゃんは目を三角にした。


「受け付けないなんて一言も言ってないんですけどー。耳鼻科行った方がいいんじゃない?」

「褒めてくれるだけでいいとおっしゃっていたじゃないですか。いいねだけを欲する現代人の病理を体現したような人ですね」

「認められたいと思うのは人間として普通の感性っしょ。ひょっとしてそういう感覚ない人? サイボーグなの? シュワちゃんでも人間性あったよね?」

「人間性があったのは2で1にはありませんでした」

「そうだっけ?」

「よく知りもしないものを使って人を揶揄するのはやめた方がいいですよ。恥をかくだけですから」

「うざ、ムカつく」


 また喧嘩を始めてしまった。江東さんが「結局振り出しかい」と溜息をつく。椰子さんは「逆に仲いいのかもよ」と励ますように言った。

 チャイムの音が鳴る。

 恋ちゃんは溜息をつき、腰に手を当てて口を動かした。


「『殺意の鼓動』、今度再チャレンジしてみるわ」

「何ですか突然。無理して読まれるのは不愉快です」


 辻本さんが目を細めて言う。


「せっかく買ったんだから読むよ。あたしの『ゆるさんぽ』も読みなよ」

「気が向いたら読んでみます」

「それ絶対読まないやつじゃん。ま、別にいいけどさ」


 振り返り、戻ろうか、と私達に呼び掛ける。四人で教室を後にした。 

 

「喧嘩してた割にはすんなり別れられたな」

「喧嘩なんてしてないよ。友達のいない可哀想な奴の相手をしてやってただけ」


 会話を聞き流しながら私は自分の考えを整理した。

 二人が仲良くなれば自分はお役御免になると考えていた。だからくっつけようと頑張っていたのだが、今回の件で無駄な努力だと気付かされた。


 互いが互いを意識し合っているのは間違いないだろう。しかしそれは、仲良くなりたいからじゃない。勝ちたいからだ。仲良くアドバイスを言い合う関係性を、二人は求めていなかった。

 二人はライバル同士なのだ。

 二人がアドバイスを求めているのは、今のところ身近な読者である私一人だけだった。

 なぜ私にこだわるのか疑問は尽きないが、求められている以上はできる範囲で期待に応えようと思った。

 もう逃げない。そう口の中で呟いた。





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