第16話
「辻本さんってどうしてミステリってジャンルを選んだの?」
SF小説の話で盛り上がった後、気になって質問した。
辻本さんはカップの中身を飲み干した。それから、少しだけ逡巡するような表情を浮かべてから口を開いた。
「端的に言うと、向いていたからです。あとは父の影響ですね」
「お父さん、ミステリ作家なの?」
「ギャグ漫画家です」
初耳だ。というか、意外過ぎる。
「ウェキにも書いてありますよ。中堅といったところでしょうか。そこそこ人気はあるみたいですね。しかし、私には父の作品の面白さが何一つ理解できませんでした」
「そ、そうなんだ……」
「父の作品は不条理ギャグというジャンルらしいです。会話に脈略がなく、ハチャメチャです。『これは会話になっていない』『理屈が通っていない』と幼いころの私はいちいち指摘していました」
光景が目に浮かぶようだ。可哀想に……。
「父はミステリやSFの本を買い与えてくれました。それを読み、これは素晴らしいものだ、と幼い私は直感しました。論理的なものが多く、私の肌に合っていたんです。より好きだと感じられたミステリを選び執筆を始め、無事作家になれたというわけです。たぶん父は、私が作家になることまで読んでいたんじゃないでしょうか?」
それはどうだろう。
――自分の作品はもう読まなくていいからこっちだけ読んでてくれ! 頼むから!
そういう意味で、買い与えられたんじゃないだろうか?
「父の作品は全く面白くありませんが、父には感謝しています。ミステリ作家になれたわけですから」
「いい話だね」
考えを口にするのはやめておいた。実際のところはわからないし、お父さんのことを信頼してそうな雰囲気があったからだ。
その時だった。
「あれ、例の作家じゃね?」
振り返ると、大学生っぽい男性二人が立っていた。
「ミステリ作家の音辻さんですよね?」
黒縁眼鏡を掛けた男性が声を掛けてくる。
辻本さんは、しらっとした顔で「そうですが……」と答えた。顔出しをしているうえに目立つ外見をしているから、たまにこうして声を掛けられてしまうのだろう。有名人は凄いな、と感心した。
「『殺意の鼓動』、読みましたよ。よかったです」
「ありがとうございます」
「いやいや、お前つまらんって言ってたろ」
茶髪の男性が茶々を入れ、黒縁眼鏡の男性は色を失った。
「な、何を言ってんだよ。本人の前だぞ」
「事実だろ。所詮女子高生が書いた小説だから仕方ないって言ってたじゃん」
雲行きが怪しい。辻本さんを見ると、表情を消していた。
「でも可愛いから許す、みたいな話もしてたよな?」
「いい加減にしろって……」
「こいつ、ミステリオタクなんだ。許してやってな」
茶髪の男性は軽薄な笑みを浮かべて言った。
近くのテーブル席から、ぞろぞろと大学生らしき人達が現れた。なになに、と二人に聞いている。有名な作家先生がいたんだよ、と茶髪の男性が説明すると、三人のうちの一人が「えー、マジ? サインもらおうよ」と声を弾ませた。
「行きましょうか」
辻本さんが伝票を手に取る。相手にしなくていいと判断したらしい。賢明だった。
「待ちなよ」
茶髪の男性が言う。
「俺達、この近くの大学の文芸サークルに所属してるんだ。リアルで作家先生に会うの初めてだから、いろいろ話聞きたいんよね」
辻本さんは何も答えなかった。大学生達をいない者として扱うつもりのようだ。
「無視かよ……。つまんねえ小説書いてるくせしやがって」
茶髪の男性がぼそりと言う。
「『殺意の鼓動』だっけ? 選考委員は現役女子高生ってだけで受賞させたんだろうな。タレント本が売れるのと同じ原理だ。可愛い顔を出させとけば、どんなゴミ本でもある程度は売れるもんな」
「やめとけって」
眼鏡の男性が止めに入る。しかし、茶髪の男性は止まらなかった。
「お前もデレデレしやがってよ。いつもみたいにこき下ろせよ。こき下ろすために小説読んでんだろ。作家先生の前だからって良い子ちゃんぶるなよ。俺はそういう忖度はしないぜ」
「そもそもお前、『殺意の鼓動』読んでないだろ」
「読まなくたってわかるよ。子供が書いた小説だぜ? 大したもんじゃねえよ」
読まなくたってわかる?
大したもんじゃない?
気づくと私は、コップを持ちながら立ち上がっていた。茶髪の男性を見つめて微笑む。それから私は、コップの中身を彼の顔にぶちまけた。
「な、なにしやがる!」
男は後ずさりながら手で顔を拭った。額に水を滴らせながら、こちらを睨みつけてくる。
店内が静まり返った。全員がこちらの様子を伺っている。
「何か言ったらどうだ?」
茶髪の男性が凄んでくるが、私は笑みを浮かべたまま、辻本さんの方を向いた。
「行こうか。ここ、空気悪いよ」
「……そうですね」
辻本さんも立ち上がる。空のコップを置いてから通路を進もうとしたら、茶髪の男性に阻まれた。しかし、私は何も言わなかった。言う必要性を感じなかったからだ。
彼の取り巻き達が「もうやめとけって」「通報されちゃうよ」と宥める。しかし、プライドが許さないようで、彼は立ちはだかり続けた。
「どうなされました?」
店員さんがやってくる。私は穏やかに言った。
「この人、自分で水を被ったんです。タオルを持ってきてあげてください」
「あ、はい。かしこまりました」
店員さんが去って行くのを見届けてから、私は強引に彼の脇を通った。流石にリスクを恐れてか、体に接触してくることはなかった。それぞれ会計を済ませてから外に出る。やや日が傾いていた。
「……絵里さん、大丈夫ですか?」
辻本さんが聞いてくる。私は笑みを返した。
「大丈夫ではないかな」
「そ、そうですか……」
「顔は覚えた。またどこかで会ったらぶち殺す」
「……物騒ですね」
溜息をつかれた。
「どうなることかと思いましたよ。危ないことはやめてください」
「だって……」
唇を尖らせる。
「大好きな推しが否定されて怒るなってのは無理な話だよ」
体が熱くて仕方なかった。今夜はなかなか寝付けないかもしれない。
辻本さんは真剣な表情を浮かべた。
「私、絵里さんには危険な目に遭ってほしくないんです」
「うん、今度から気を付けるよ」
ふふ、と辻本さんは笑った。
「しかし、あの人のイキリぶりは面白かったですね。絵里さんに本気でキレていました」
「だね」
「絵里さんってそういえば、図書室でも暴れてましたよね。大人しそうな見た目をしていて、意外とバーサーカーなんですね。ミステリサスペンスの犯人役にぴったりです」
「それ、褒め言葉じゃないからね」
私達はくだらない話をしながら帰路についた。いつしか、怒りの炎は鎮火していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます