第12話

 校門を抜けてすぐ、用事があるからと二人の元を離れた。スーパーの中に駆け込み、ほっと溜息をつく。   


 用事があるというのは嘘だった。私と辻本さんは帰る方角が一緒だ。長時間人と一緒にいるのは疲れるので、時間をずらしてバスに乗ることにしたのだ。

 スーパーの中は繁盛していた。お菓子コーナーを歩き、星型のチョコレートを見つけて足を止める。

 昔の記憶が蘇った。


 中学二年の春、長谷部桃はせべももという子と仲良くなった。彼女はオタクで、百合やBLに対しての造詣が深かった。ある日の休み時間、桃が机の上に原稿の束を置いているのを見かけ、「漫画描けるんだ! 凄いね!」と声を掛けた。すると、「ありがとう」と返され、読ませてもらうことになったのだ。

 その頃の私は、今と比べて人との交流が上手かった。内心、「下手だな」と思いながらも、お愛想で持ち上げた。すると彼女はその気になったようで、もっと上手くなくなりたいと言い始めた。


「絵里、いっぱいアドバイスしてよ!」


 満面の笑顔で言われ、私は頷いた。

 漫画家を目指すと言うなら、これまでとは違い、辛辣な意見も言わなければならない。そう考えた私は張り切った。人から頼りにされ、嬉しくなっていたのだと思う。

 桃を家に呼び、漫画の指導をするようになった。その頃の私は、完全に編集者気取りだった。ずばずばと辛辣な意見を述べ、こうした方がいい、ああした方がいい、とアドバイスを飛ばした。今考えると、押し付けがましい持論も多かったように思う。


 桃は努力の人で、指摘されたポイントは必ず修正してきた。私の目の前で絵を描くことは一度もなかったが、毎晩徹夜で絵の練習をしていたそうだ。

 みるみる腕を上達させ、本当にプロになるのではないか、と私を興奮させた。


 ある日の放課後。いつものようにお菓子を用意して到着を待っていたら、今日は行けない、と連絡をもらった。基本的に集まるのは毎回私の家だった。桃は私を絶対に自宅にあげようとしなかった。姉と相性が悪いから、と言われ続けていた。

 翌日登校してきた桃に来なかった理由を尋ねてみると、彼女は飄々とした顔で口を開いた。


「なんだか熱が冷めちゃったんだよ。もういいかな、漫画は」


 地面が揺らいでいく感覚を味わった。桃に詰め寄り、言葉を垂れ流す。


 ――桃には才能があるからここで諦めちゃ駄目。いずれ傑作を描けるから二人で頑張ろうよ。なんだったら今は描かなくていい、私と一緒に漫画読もう。お母さんも家で待ってるからさ。ね、お願い。


 桃は苦笑しながら私の話を受け流した。それからというもの、彼女は派手な子達と遊ぶようになった。

 後日、桃がクラスメイトと会話しているのを、たまたま耳にした。


「絵里との漫画のレッスンはどうなったん?」

「ああ、あれかい」


 桃は面倒くさそうに言った。


「ちょっとした遊びのつもりだったんだけど、絵里が本気にしちゃってさ。まいっちゃうよ」

「桃、ちょっと前までオタクだったのに変わったよね」

「そういうのは卒業しようかなって。いつまでも遊んでられないから。受験あるし。お姉ちゃんは少年漫画家目指してるみたいだけどね」

「へえ、桃のお姉ちゃんってオタクなんだ」

「ほんと、まいっちゃうよ」


 私は口元を抑え、その場から逃げ出した。足を動かしながら「ありえない」と呟く。外に出て建物の陰で涙を流した。

 遊びで創作活動をやっていたとは思えなかった。あれだけの努力をしていたのだ。何か、明確なきっかけがあって辞めたはずだ。


「……私、か……」


 呆然としながら呟く。

 それ以外に考えられなかった。私の自己満足的な指導が原因で、桃は創作の世界から足を洗ったのだ。

 思えば私は、桃を育てる自分に酔っていた。桃のことをちゃんと見ていなかったのだ。彼女が漫画家になったら自分の手柄になるのではないか、とさえ考えていた気がする。そういう浅はかな思考を、見透かされていたのかもしれない。


 ……なんて最低な人間なのか。


 それから数ヶ月間、私は殻に閉じこもった。心配してくれる者もいたが、やがて誰からも声が掛からなくなった。以前よりフィクションの世界に耽溺するようになり、一人でいることにも慣れてしまった。

 中学三年に進級してクラス替えが行われてからも私は一人だった。最早それがデフォルトの状態になっていたのだ。


 ――もう二度と、創作者に対して意見は言わない。


 私はその言葉を、自分の胸に刻み付けた。


「それなのに……」


 商品棚のお菓子を見つめながら溜息をつく。桃の好きだった星型のチョコレートに近づき、手に取る。中学時代二人でよく分け合って食べていたものだ。

 誓いを立てた時の私が今の私を見たら、どう思うだろう。間違いなく軽蔑するだろうな。

 自分の頬を軽めに叩く。ぺちんと音がした。


「二人のためだ。間違えなければ、きっと大丈夫」


 自分に言い聞かせて商品を棚に戻す。それから私は、ゆったりとした動作でスーパーを後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る