第7話


 辻本さんから借りた六冊を袋に入れて図書室に足を運んだ。

 相変わらず人の出入りは少ないようだった。図書委員の男子が私を見つめ、不機嫌そうに睨みつけてくる。私は彼から視線を逸らして奥に足を進めた。


 辻本さんはまだ来ていないようだった。

 直接本を渡しに行くことも考えたが、やめておいた。声を掛けられる場所にいるならいいが、そうでない時は取り次いでもらわないといけないからだ。他人に声を掛けるなんてハードルが高すぎて絶対無理である。


 ひとまず席に腰掛けてスマホを取り出すと、『夢見ちゃんはかわいい』のページに飛んだ。最新話が更新されていたので目を通す。

 最後まで読み切り、ほっと息をついた。

 恋ちゃんの作品は派手なことが一切起こらない。しかし、日常の空気感がリアルに上手く捉えられているのだ。そのリアルさが、作品の面白さに直結しているところが素晴らしいと思う。


「あたし、日常系アニメが好きなんだよねー」


 恋ちゃんが以前言っていたことを思い出す。ゆるふわな空気感が好きで、嫌なことを忘れられるから尚良いのだという。

 気持ちはわかった。

 フィクションに嵌った最初の理由が、まさしくそれだったからだ。現実の嫌なことから逃れるために手を出したのだ。以降はフィクションの面白さにとりつかれ、あらゆるジャンルに手を出すようになった。映画、ドラマ、アニメ、小説、漫画、ゲーム――あらゆるメディアでフィクションを楽しみ尽くした。


 スマホをしまい顔を上げたところで、辻本さんを見つけた。入口に立っている。小さく手を挙げると、私に気づいてくれた。こちらに近づき、私の隣に腰を降ろしてくる。

 軽く挨拶を交わしてから袋を渡すと、辻本さんは目を丸くした。


「まだ三日しか経っていませんが……」

「面白くて一気読みしちゃった」

「速読したんですか?」

「ううん、ちゃんと時間をかけて読んだよ」


 怪訝な目を向けてくる。

 私は唇を動かした。


「『招かれざる客たちのビュッフェ』が特によかった。どれも素晴らしい短編だったよ。その中でも『婚姻飛翔』が特に好きだった。オチを知ってから読み返してみて、伏線の大胆さに驚かされた。『ジェミニー・クリケット事件』も謎解きが二転三転してハラハラしたな」


 辻本さんが目を見開く。


「本当に読んでいるみたいですね」

「当然でしょ」


 語気を強めて言った。他の作品の感想も同じように述べていく。

 すべての感想を聞き終えると、辻本さんは色っぽく微笑んだ。それを見て、少しどきりとする。


「喜んでもらえたようでよかったです」

「うん。とっても面白かったから、あっという間だったよ。こちらこそ面白い作品を貸してくれてありがとね」


 教室で読んでいたら恋ちゃんに「あたし、人が死ぬような話は嫌いだなぁ……」と言われてしまった。しかし、私はフィクションはフィクションと割り切れる人間なので、人がバンバン死んでいく作品にも抵抗感はなかった。むしろその手の作品に好きなものが多い気がする。


「では、第二弾をお渡しします」


 身を乗り出しながら言うので、私は体を後退させ「しばらくは別ジャンルを読みたいから、もうちょっと待ってほしいな」と返した。


「何を読むんですか?」

「恋愛ものにしようと思ってる」

「嫌いなジャンルです」


 スパッと言い切るのを聞いて、流石だな、と苦笑した。


「読まず嫌いしないで読んでみたら、案外面白いかもよ」

「読んだことはありますよ。でも、面白さがまったくわかりませんでした。恋愛経験がないからかもしれませんが」

「私だってないけどね」

「そうですか。一緒ですね」


 距離を詰めてくる。なぜか今日はぐいぐい来るな、と困惑した。たぶん、辻本さんのお勧めを読破したことで一時的に好感が上がったのだろう。悪い気はしなかった。

 私は本の表紙を撫でながら言った。


「辻本さんの言う通り、私はまだまだミステリってジャンルを理解できていなかったって痛感したよ。だから、もっと知ってから『殺意の鼓動』を読み返してみるね」

「今読んでくださいよ」


 子供みたいに膨れる。

 好きなことを指導するのは楽しいものだ。つい前のめりになってしまう気持ちはわかる。しかし、その姿勢を貫きすぎると、過去の私と同じように惨事を招きかねない。

 過去に意識が飛びそうになるが、名前を呼ばれて我に返った。

 辻本さんが首を傾げ、私の顔を覗き込んでくる。


「辛そうな顔をしていましたよ。大丈夫ですか?」

「え、あ、うん。大丈夫。心配かけてごめんね」

「言うほど心配はしていませんが」


 冷めた顔をする。

 恋ちゃんだったら、もっと追及してくるだはずだ。聞かれても答えたくないことだったので、この場にいるのが辻本さんでよかったと思う。


「『殺意の鼓動』についてですが」


 辻本さんはポケットからメモ帳とペンを取り出した。


「具体的にこうした方がよかったんじゃないか、というポイントを教えてほしいです」

 

 困惑する。あまりに急すぎるし、意味不明だからだ。


「ちょっとしたゲームみたいに考えていただければ結構ですよ」

「……そ、そういうことなら、まぁ、いいけど……」


 不思議に思いながらも私は口を動かした。

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