第6話


 教室に入り、自分の席に鞄を置いたところで「おはよー!」と恋ちゃんに声を掛けられた。相変わらず元気そうで羨ましい。


「辻本と登校するようになったんだね」


 私は動きを止め、恋ちゃんをまじまじと見つめた。え、と呟く。


「今朝一緒に登校してたっしょ」


 頬が強張っていくのを感じた。なぜか不穏なものを覚える。


「た、たまたまバスが一緒になっただけだよ」


 ふーん、と呟きながら見つめてくる。いつもの可愛らしい笑みは完全に消えていた。真顔である。


「本の話してたの?」

「……し、したけど……」

「やっぱり!」


 恋ちゃんが目を剥く。私は慌てた。


「べ、別にしたっていいでしょ。何も悪くないよね?」

「え、そうなの? 作者の本でなければ、本の話していいってこと?」


 よく理解できなかったが、ひとまず「そうだね」と頷いておく。


「そっか……」

 

 胸を撫で下ろしている。数秒前の硬い表情が嘘のように柔和な笑みを取り戻していた。

 よくわからないが納得してくれたらしい。心の底からほっとする。全身から力が抜けていくのを感じた。


「じゃあ、あたしとも小説の話しようよ。辻本とは今後一切しなくていいからね」


 ……犬猿の仲なんだろうか?

 気になるけど、藪蛇は勘弁だ。人間関係の問題に首を突っ込むのはハードルが高すぎる。 

 私は違う疑問を口にした。


「辻本さんと登校してきたってどうしてわかったの?」


 恋ちゃんはきょとんとした。それから、「ああ」と頷き、口角を持ち上げた。


「友達が教えてくれたんだよ。絵里の情報は全部、あたしのところに入るようにしてあるから」

「え……?」


 冗談かと思い、顔を凝視する。普段と変わりなく見えた。


「幼馴染だからね。当然っしょ」


 そんな当然、私は知らない。

 今時の十代女子は、情報の全てを共有し合うのが常識なんだろうか。変に思う私の方が変なのかもしれない。

 恋ちゃんは、私の手を握ってきた。柔らかな感触に、あうっと声をあげてしまう。


「ずっと放っておいてごめんね。もう一人にはさせないから」


 意識を刈り取られそうになる。

 駄目だ。これ以上、関係を深めたら私はどうにかなってしまう。


「ご、ごめん!」


 慌てて手を離すと恋ちゃんから距離を取り、「用があるから行くね」と教室を飛び出した。ぐんぐんと廊下を進んでいく。

 恋ちゃんの目的は私からアドバイスを引き出すことだ。友達になりたくて接近しているわけじゃない。勘違いするな。何度も自分に言い聞かせ、無心で足を進めていく。


「あっ」


 人とぶつかりそうになって歩みを止めた。相手の顔を見て驚く。


「さきほどぶりですね」


 辻本さんだった。手に提げていた袋をこちらに差し出してくる。私はそれを、地雷原を前にする兵士のような心境で眺めた。


「こ、これは……?」

「お勧めのミステリ小説です。あなたはミステリ読者としてのレベルが低すぎますので、これを読んで勉強し直してください」


 受け取る。中には六冊の文庫本が入っていた。知らないタイトルが多い。


「これ、常に持ち歩いてるの?」

「そんな非効率なことを私がするとでも?」


 責めるような視線を向けられ、「い、いえ」と首を横に振った。


「常にロッカーに常備してあるんですよ」

「そ、そうなんだ。わざわざありがとね」


 辻本さんはその場に佇み、じっと私を見つめた。なぜか動こうとしない。気まずい沈黙が流れる。


「一年三組」


 辻本さんがようやく口を開いた。

 へ? と首を傾げる。


「私のクラスです」

「な、なるほど……」


 辻本さんは顔を背けた。微妙に頬を赤らめながら口を開く。


「絵里さんのクラスはどこなんですか? 回収するため、聞いておいた方がいいと思いまして」

「あ……」


 自分の察しの悪さに苦笑する。一組だよ、と答えたら、辻本さんは満足そうに頷いた。


「部活には入られているんですか?」

「ううん、帰宅部」

「なるほど。図書室にはどれくらいの頻度で?」

「気が向いた時に行くくらいだから頻度で答えるのは難しいかな……」

「私は毎日通ってますよ」

「そ、そうなんだ」

「はい」


 辻本さんは続けて何かを言い掛けたが、思い直したらしく口を噤んだ。黙って腕を上げる。相変わらず時計を二つはめていた。


「ホームルームが始まるので戻りますね。それではまた」


 素っ気ない感じで去っていく。その背中を眺め、私はある可能性に思い至った。

 最後、会う約束を取り付けたかったのでは?


「いや、それはないか」

 

 私のような陰キャと何度も会いたいとは普通思わないだろう。本を貸してくれたのだって、私の勉強不足に腹を立ててのことで、仲良くしたいからではない。痛い勘違いをするな。

 私は袋を見下ろして溜息をついた。ここ最近、人との関わりが多くなっている気がする。体全体に重みを感じた。


 教室に戻ろうと振り返り、えっ、と声を漏らす。

 恋ちゃんが立っていた。両手を後ろに回してこちらを凝視している。つまらなそうな顔をしていた。


「辻本と仲よかったんだね」

「え、あ、いつから……?」


 声が震えてしまう。


「盗み聞きなんてしてないよ。ついさっき来たとこだから」


 しらっとした視線を手元に向ける。ふーん、と感情のない呟きを漏らした。


「小説の貸し借りをするくらい、仲いいんだね」

「い、いや、そんなことないよ。辻本さんと話すのは三回目だから」

「三回も会ってるんだ。やっぱり仲いいねー」


 笑みを浮かべているが、目は笑っていなかった。冷や汗が流れる。

 教室に戻る間、「本当に、たまたま会っただけで……」「仲いいってわけじゃないんだよ、本当だよ」と説明した。しかし、ふーん、と聞き流されてしまう。

 なぜこんな目に遭っているのか。私、何も悪いことしてないよね?

 泣きたくなった。


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