第2話


 その日の放課後、私は図書室で恋ちゃんを待っていた。約束を果たすためだ。

 スマホのカメラ機能を使い、自分の容姿を確認する。ショートボブの自信なさげな少女の顔が写っていた。少し口角を持ち上げてから、似合わないな、と溜息をつく。

 人を不快にさせるような服装の乱れはなさそうだった。


 私――紙野絵里かみのえりのような陰キャぼっちを捕まえて、いったい何の用があるというのか。嫌な予感しかしない。しかし、今更逃げ出すわけにはいかなかった。


 本を見て回ろうと歩いていると、女子生徒が視界に入った。

 意志の強そうな瞳を本棚に向けている。整った目鼻立ちをしていた。背は一六〇くらいか。艶のあるロングの髪を腰まで垂らしている。

 彼女は白い手を伸ばしてハードカバーを抜き取った。それを脇に抱え、もう一冊を抜き取る。ひたすら抜く作業を続けたかと思うと、今度は棚に戻し始めた。


 いったい何をしているんだ……?


 背後から覗き込み、なるほど、と納得する。五十音順にタイトルを並べ直していたらしい。

 ふいに少女が、こちらに顔を向けた。視線が交差してどきりとする。


「今、時間に余裕はありますか?」


 驚く。話し掛けられるとは露ほども考えていなかったからだ。

 数秒の間隔を開け、何とか言葉をひねり出した。


「え、いや、待ち合わせ中なんですけど……」

「それは好都合。本の並び替えを手伝ってください」


 大真面目な顔で言われ、戸惑ってしまう。


「え、えっと……それ、図書委員の仕事ですよね」

「図書委員には何度か進言しています。しかし、なかなか並び替えをしてくれないので、私が代わりにやっているんですよ。もちろん許可は取ってあります」


 少女は腕を上げた。そこには二つの時計がはめられている。アナログ時計とデジタル時計だ。


「私はあと四分しか作業できません。打ち合わせがありますからね」

「打ち合わせ……?」

「あなたにこの仕事を引き継いでもらいたいんですが、頼めるでしょうか」


 いや、なんでだよ。


「わ、私、さっきも言ったけど、待ち合わせがあるんでそういうのはちょっと……」

「残念です」


 少女はさして残念がっているようには見えなかった。淡々としている。

 変な人だな、と思った。


「話は変わりますが、この前、図書室で島田荘司を読んでいましたよね。ミステリ、好きなんですか?」


 少女が尋ねてくる。どうやら見られていたらしい。

 警戒心を強めながら「い、一応……」と答える。


「ここ最近デビューした新人の書いたミステリの中で、一番いいと思ったものはなんですか?」


 並べ替えをしながら訊いてくる。尋問を受けているような気分になった。


「え、えっと……『自称神と操り少女』っていう作品は面白かったかな、と思いますけど」


 タイトルを口にすると、少女は眉間に皺を寄せた。作業の手を止め、こちらを睨んでくる。

 あれ? ひょっとして嫌いな作品だったか?


「他に好きな作品は?」

「新人作家のミステリで最近読んだのはその一冊くらいで……」

「なるほど」


 少女は表情を消して沈黙した。それからすぐ、妙案を思いついたという顔で口を開いた。


「『殺意の鼓動』という小説を知ってますか?」

「え、えと、知りません」

「それは好都合。何より優先して読んでください。『自称神と操り少女』よりミステリとしての出来は上なはずですよ」

「え、あ……」

「それでは失礼します」


 作業を終えると、きびきびとした動きで出て行った。カウンターにいる図書委員の男子が、迷惑だという視線を彼女に向けていた。煙たいと思っているんだろう。

 ふいにその男子が、こちらに鋭い視線を向ける。仲間と思われたらしい。慌てて首を振った。

 その時だ。いきなり後ろから抱き着かれ「きゃあ!」と声を上げてしまった。


「あはは、きゃあって。乙女かよ」


 恋ちゃんだった。心臓に悪い。


辻本彩音つじもとあやねでしょ、さっきの」

「え、知り合い?」

「有名人だからね。知ってて当然っしょ」


 知らなかったんだけど……。

 友達ゼロ人だと当たり前の共有もできないらしい。がっくりと肩を落とす。

 しかし、彼女が有名人だというのは納得できる。変な人だったからな。


「あっちで話そうか」


 テーブル席に向かい合って座った。

 恋ちゃんは周囲の様子を伺い、真剣な表情を浮かべると、ピンクの唇を開いた。


「さっき、ウェブ作家の話してたでしょ?」

「え、うん」

「実はあれ、あたしのことなんだ」


 首を傾げる。

 意味がわからなかった。思考がフリーズしてしまう。

 恋ちゃんは溜息混じりに言った。


「だーかーらー、あたしが、『ゆるさんぽ』『夢見ちゃんはかわいい』の作者なの」

「ええ!?」


 大声が出た。

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