推しの作家に挟まれて

円藤飛鳥

私、推しとは距離を保ちたいタイプだから

第1話 


 月曜の休み時間のことだ。私は教室の片隅で流行りの恋愛小説を読んでいた。主人公がヒロインに告白している場面を目で追っていく。


 なんて良い物語なんだろう……。

 王道なすれ違いの話である。

 心情が丁寧に積み重ねられ、起伏があり、キャラクターが素晴らしく立っているので、ベタの一言で片付けられない良さがあった。

 思わず涙腺が緩んでしまう。


「その本、今流行ってるやつじゃん」


 近くから声が響いた。顔を上げ、うぐ、と喉が鳴る。感動が引いていくのを感じた。


 恋川こいかわシズだった。すぐ脇に佇み、私の手元を覗き込んでいる。


 化粧をばっちりと決め、自信に満ち溢れた表情をしていた。ゆるふわウェーブの髪に、ほどよく着崩した制服、センスのいいアクセサリー。自分を可愛く見せることに余念なしといった印象を受ける。

 視線を逸らして「そ、そうだね」と口にする。こういうギャルっぽい人はちょっと……というか、かなり苦手だった。


「いつも何かしら読んでるよね。読書好きなんだ」

「う、うん……」

「あたしも読書好きなんだよねー。読むのはネット小説ばっかだけど」


 身を乗り出すようにしながら言う。私はお尻の位置を後退させた。


「へ、へえ……。恋川さんも読書するんですね」


 私の言葉を聴いた途端、眉を釣り上げた。怒らせたか、と不安になる。


「あたし達、幼馴染じゃん。敬語とか他人行儀すぎてムカつくんですけど」


 にこっと微笑む。


「あたしのことは恋ちゃんって呼んでよ」

「え……」

「シズでもいいけどさ」

「こ、恋ちゃんって呼ばせてもらうね」


 下の名前は気安すぎて呼べない。


絵里えりはWeb小説読むの?」


 顔を覗き込まれ、ぎくりとする。人と目を合わせるのは苦手だった。つい視線を逸らしてしまう。


「一応、読んでるけど……」


 タイトルを思い浮かべながら口を動かす。


「最近だと、『これみよがしの青』って作品が好きかな。あと、恋川って人の作品も好き」


 恋ちゃんが目を見開く。


「あ、恋ちゃんと同じ名前の作者さんがいてね、一年前から活動している人なんだけど、とってもエモい小説を書くの! 最高に面白いんだよ!」


 声を弾ませながら続ける。


「日常系っていうのかな、女の子たちが放課後いろいろなところに寄り道して遊ぶっていうだけの内容なんだけど読んでてとても面白いし癒されるんだ。たぶんキャラクターがいいんだろうね、凄く粗削りで日本語として怪しいところも多いんだけど、とても読ませるの。今は新作の方に掛かりきりだけど、私は『ゆるさんぽ』の方を更新してほしいと思ってるんだ。まだいくらでも続けられる内容だからね」


 そこまで言い切り、ハッと我に返る。

 周囲の視線が集まっていた。普段は大人しい陰キャが、突然饒舌に喋り出したのだ。驚いて当然だろう。頬が熱くなっていくのを感じた。

 羞恥心に耐えながら恋ちゃんを見る。

 恋ちゃんは、ぽかんとしていた。その後、視線を逸らしながら人差し指で頬を掻いた。えー、照れるなー、と呟いている。口元がにやついていた。


「恋ちゃん……?」


 呼びかけても反応がなかった。自分の世界に入り込んでいるように見える。

 やがて恋ちゃんは照れくさそうに言葉を紡いだ。


「あた……じゃなくて、恋川って人が好きなんだねー」

「う、うん」

「えへへ、好きかぁ……。で、その人の新作はどうなん?」 

「いいと思うよ。好きな人は好きだと思う」


 言うべきことだけを告げて黙る。

 え、それだけ? と恋ちゃんは首を傾げた。


「さっきは珍しく饒舌に喋ってたのに、短すぎない?」


 珍しく、という言葉を口の中で転がして、ずーん、となる。やば、泣きそうなんだけど。


「いろいろと言いたいことがあるんじゃないの? 言ってよ」


 眉間に皺を寄せながら迫られる。

 なぜ知りたがるんだろう。しかし突っぱねることでもないかと考え、口を開いた。


「良い部分はドラマ性が増えたところかな。キャラは相変わらず活き活きとして魅力的だと思うよ」

「でも、悪い部分もあるわけね?」


 腕を組み、むすっとした顔で訊いてくる。


「悪いっていうのとは違うかな。たぶん作者さんは前作と違うことをしようと頑張っているんだと思う。でも、ちょっと無理している感じもあるんだ」

「無理……?」

「うん。『ゆるさんぽ』は、登場人物たちが基本皆仲良しで大きな事件は起こらないの。でも今書いている新作『夢見ちゃんはかわいい』だと、ギスる展開が多い。その割には盛り上がっていかないんだ。前作との対比で作っているのか、心境の変化があったのか……作者さん、合わないことをしているような気がするんだよね」


 もちろん、一読者の感想でしかないけど――最後にそう付け加えた。

 恋ちゃんは長めの溜息をついた。評論家気取りで笑える、馬鹿じゃないの、と思われてしまっただろうか。後悔が襲ってくる。逃げたい、と思った。


「絵里」


 ぐっと顔を寄せてくる。私は椅子から落ちそうになり、どきりとした。

 間近で見るとまつ毛の長さがわかった。可愛らしい顔立ちをしている。唇に視点が固定され、心臓の動きが早まった。

 いや待て。私は何をドキドキしているのか。

 その時、担任教師が入ってきた。恋ちゃんの顔が離れていく。それを見届け、ほっと溜息をついた。


「放課後、予定ってある?」


 真剣な顔で訊いてくる。


「え、ないけど」

「そっか。じゃあ、図書室で待ち合わせね。二人きりで話したいことがあるんだ」


 ばいばい、と手を振って離れていく。ぎこちなく手を振り返した。

 嵐のような人だなぁ、と思った。

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