第10話
「灰島さん筋肉ついたね」
「え?」
半袖の季節になった。汚い焼き鳥屋で優河と向かい合う。ビールを煽る優河が俺の腕を見てそう言った。
「いいなあ。金貰って筋トレしてんだ」
「この前脱水で死にかけたぞ」
そう言いつつも自分の腕を触ってみる。細いと言われる事の方が多かったが、確かに皮膚の下に固い塊を感じる。
バーテンダーを辞めてから鏡を見る習慣がなくなった。他人を不快にさせなければ十分だと外見に気を使わなくなり、気が付いたら髪はざっくりと結べるようになっていた。そうなると長い方が楽で、もう何ヶ月も美容院に行っていない。
「まじで雰囲気変わったよな。無造作で女にだらしなさそう。色っぽい」
「褒めてんのか? 優河はどうなんだよ」
「女店員にだけ態度がデカい客っているんだよ。バイトちゃんが難癖付けられてフロアで泣かされてよ。オレが出てって止めてやったんだ。後からマネージャーに呼び出されて、褒められるかと思ったらクソ怒られた。そっから行ってない」
また職探しだよーんとおどけてハツを頬張った。
ぐるぐる回る優河と、足踏みをする俺。
人生は難しい。
「そういえば犬の居酒屋はまだ通ってんの? なんか電話で言ってたじゃん」
「愛犬と過ごせるカフェバーな」
「しゃらくせえ」
晴れて無職に戻ったお祝いに奢ってやるとグレイに行ってみたいと言いだした。
優河は中性的な美形だが喋ると育ちの悪さが露呈する。俺も人の事は言えないが、あの平和な店の治安を守るべく「二件目も奢るよ」と言って誤魔化した。
喜ばれたが別に暇だから働いてるだけで金の使い道なんてほとんどなかった。逆に優河は金はないがやりがいを求めてまた新しい仕事を探すだろう。ふとよぎる。俺、ずっとこのままなのかな。
少しも遠慮のない体当たりをされ、思考を遮られた。
「キャバクラ行こ。オレ調子乗りすぎ?」
「別にいいよ」
ふざけた優河が体重をかけてもたれ掛かる。重さを感じず、支えてる感覚すらなかった。酒を作るのには必要無い筋肉がついてしまったのだ。ショックだった。
夜の店の下品なシャンデリアに金を使いたい気分にさせられた。ねだられるものは全て頼み、頼まれもしない良い酒も入れた。指名客を呼べず暇そうにしてる女も全員呼んだ。
「今日、誕生日なんだよ」
そう言って飲み明かした。別に命日でもよかった。
「何でも好きなもの飲みなよ」
女が喜ぶほどむしゃくしゃした。
飲めば飲むほど虚しかった。
何時間経っただろう。
酔い潰れた優河がソファで伸びてる。
黒服にタクシーを呼ばせ、カードを切った。
財布に残った万札を女の胸元に突っ込んでやる。キンと響く嬉しそうな悲鳴。がらんどうな夜。
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