第5話 願わくば

 ああ、やはり日が暮れてきた。

 バルザックが心配しているかもしれない。


 そう思いながら、ご主人さまと手を繋いで、帰る足を心持ち早める。


『ご主人さま、少し早歩きになることをお許しください』


 子どもの足なのでそんなに急ぐことはできない。もう少し先まで歩いたら、やはり抱っこして飛んで帰るのがいいかもしれない。


「大丈夫だよ」


 そう答えるご主人さまの顔はどこまでも愛らしい。


 その時、微かな匂いが鼻をつき、私は眉をひそめた。


 風にのって焦げ臭い匂いがしてくる。

 何かがおかしい。


 目を凝らすと、屋敷のある方向の空が真っ赤に染まっていた。


 あれは、まさか、火事? 屋敷が燃えているの?


 無意識に、ご主人さまと繋いでいる手に力がこもる。


「どうしたの? リチェ」


 不思議そうに私を見つめるご主人さまに、私はニッコリ微笑んでみせた。


 迂闊に、ご主人さまを不安にさせるわけにはいかない。


 でも、屋敷で何かが起こっているのは確かだ。バルザックは? 朝から王宮に用があると出掛けて行ったけれど、まだ戻っていないのかな? バルザックがいたら、火事なんて魔法で瞬く間に消してしまえるはず。

 火事場は危険だし、ご主人さまには、こちらで待機してもらって、私が飛んで様子を見てこようか? だけど、その間にご主人さまに何かあったら?


 私が思案にくれていると、耳が不穏な音をとらえた。重量感のある複数の足音が近付いてくる。ゾワリと嫌な予感が背筋を這い上がってくるのを感じた。

  

「リチェ?」


『ご主人さま、逃げます』


 何が起こっているのか分からない。それでも、ここは危険だと私の本能が騒いでいる。

 私は、ご主人さまを抱き上げた。

 ご主人さまをギュッと抱き締めると背中に翼を出して広げた。


『ご主人さま、リチェを信じてください』


 私は、羽ばたいた。

 何者にも見つからないように、出来るだけ低い位置で飛ぶ。……速く。とにかく遠くへ。


 さっきの湖が見えてくる。

 大きな私の氷像が、月の光に照らされてとても綺麗だ。

 こんな時なのに、もう一度見ることができて嬉しかった。


 ご主人さまを安全なところへ連れていかなければ……

 

「ねぇ、リチェ?」


『はい。ご主人さま』


 訝しげなご主人さまを安心させるように微笑む。


 私が、必ずご主人さまを守ります。



 しかし……私には、圧倒的に戦闘経験が足りなかったのだ。


 突然、前方に黒いローブを纏った者たちが現れた。

 私たちは待ち伏せされていたのだ。


 黒いローブを纏った者たちは一斉に魔杖を振り上げた。

 無数の大きな魔方陣が空に浮かび、激しく荒れ狂う炎が私たち目掛けて襲いかかってきた。


 そして、背後からは、放たれた矢が雨のように降りそそいだ。


 何が起こったのか……

 どうしてこうなったのか……

 全くわからなかった。


 だけど、ご主人さまには指一本触れさせない!


『ご主人さま、きっとお祖父様が迎えにきてくださいますからね』


 ……私は、多分ご主人さまを逃がすので精一杯だろう。


 私は力を振り絞って、ご主人さまを最高位の防護壁で包み込んだ。


 私の背中には、次々と矢が刺さっていく。

 けれど、不思議と痛みを感じなかった。

 

「リチェ? リチェ! リチェ!」


 腕の中で防護壁の中からご主人さまの悲痛な叫び声がする。


『大丈夫ですよ。リチェにお任せください』


 コポッと唇から血が零れ落ちた。


 ご主人さまを、ここから逃がさなければ!




 サファイアテイル鳥は、命と引き換えに一つだけ願いを叶えられる。



 願わくば、ご主人さまの人生に幸あらんことを!



 ……そして、私は、最後の力で転移を果たした。

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