第13話 いずれも間が悪く
「盗み聞きは、よくないね」
玄関口で革靴に履き替えながら、菅原さんが言う。
後ろに立った俺はがちがちに固まりながら大きく頭を下げた。
「す、すみません。どうしても気になって、その」
「ふふふ、冗談だよ。そんなにかしこまらなくていい」
菅原さんは突然の再会にもあまり驚くことなく、さっきからずっと冷静だった。こんなところで知り合いと会うなんて思ってもなかっただろうに、まったくそんなふうには見えない。
「あの……なんか、あんまり驚いてませんよね?」
「そりゃね、なんとなく会うんじゃないかと思っていたからさ」
「えっ? な、なんで」
「前にキミが話していたじゃないか。ひさしぶりに再会した女の子の話だ。微妙な差異はあれど、あれはあの
「ああ……」
たしかに俺はあのとき蓬田さんのことについて喋っていた。あの時点で菅原さんはその類似点に気づき、「もしかして」と思っていたのか。それにしたって出来すぎた話だが。俺はそんな可能性、微塵も感じていなかったのに。
「キミの言葉を借りるわけじゃないが、世間とは狭いものだね」
頷かざるをえない。
つまるところ、この人が揚羽さんの再婚相手なのだと、俺は今更ながら遅れて理解した。
「その……無粋な質問かもしれませんけど、どうして揚羽さんを……」
「ふふふ、好きになったのかって?」
「は、はい。すみません。やっぱ失礼ですよね」
「いいや、よく聞かれるんだ。かまわない。そういえばこの家に初めて来たときも、牧子さんに何度も聞かれたよ。本当にこの娘でいいのかい? ってさ」
俺は苦笑いする。何度も質問しては確かめる牧子さんの姿は容易に想像できた。
「あの喫茶店にふらっと立ち寄ったのが最初だったんだ。……って、前にも言ったような気がするね。揚羽の淹れる珈琲の味が素晴らしくて、忘れられなくて、当時は足しげく通ったものだよ。そして気づけば、彼女自身にも惚れ込んでしまった」
そんな話もあるのかと素直に驚く。
「すぐに交際を申し込んだ。でも彼女は冗談だと思ったんだろうね、最初は取り合ってもらえなかったよ。それでも根気よく粘って、ようやく彼女と共に生きることを許してもらえた。もちろん彼女にとってそれが再婚であることは知っていたんだ。……でも、ね」
菅原さんの声のトーンが一つ落ちる。
「子供がいることは知らなかった。それも、あんな大きな一人娘がいるなんてね」
今菅原さんがどんな表情しているのかはわからない。けれどスーツに包まれた大きな背中からは言い知れない迫力があった。
「菅原さん、聞いていいですか」
「なんだい?」
「どうして……あんなふうに、蓬田さんに冷たくするんですか」
「……」
菅原さんの、蓬田さんに対する態度は悲しいくらい冷たいものだった。義理の父親として親身に接するわけでもなく、むしろ排除しようとしているようにすら見えたんだ。
「愛する者を守る、って前に言ってましたよね? 菅原さんにとって蓬田さんは義理とはいえ家族みたいなもののはずです。なのになんで」
「如月くんは、一つ勘違いしているみたいだね」
「え……」
靴を履き終わった菅原さんはすくっとその場で立ち上がる。
「僕にとって愛すべきものは揚羽だけだよ? あの子じゃない」
「な……」
振り返った菅原さんは、眼鏡の奥でまるで冷たい眼差しをしていた。
「な、なんで……蓬田さんは、揚羽さんの娘なんですよ!」
「知っているさ。だから最初はあの子を守ろうとしたんだ、僕は。……けれど、あの子はそれを拒否した。どころか揚羽に対して聞くに堪えない罵声を浴びせかけて追い返したんだ」
「それは……だって、揚羽さんが離婚して、蓬田さんも辛い思いを……」
「それはいつのことだい? 最近のことかい? 僕は五年も前のことだと聞いたんだけどね」
俺はなにも言わなかった。言えなかった。
菅原さんはあくまで冷静に続ける。
「揚羽たち両親の間に大きな溝ができてしまったことは知っているよ。それであの子が苦しい思いをしたこともね。けれどそのときあの子はもう高校生だろう? 駄々をこねたり我儘を言ったりするような歳じゃない」
「は、反抗期とかは、だれにもあるんじゃ」
「その反抗期を今でも引きずっているのは異常だよ」
んぐ、と変な声が出た。またも反論できない。
「揚羽はなんでもないように装っているが、その実相当参ってしまっているよ。どうしていいか、わからなくなってしまっている。であれば、その心労を取り除くのが、パートナーである僕の使命だろう」
「だ、だから……蓬田さんを排除するんですか」
「排除なんて、あまり滅多なことを言うものじゃないよ。如月くん。僕はただ、ふたりの問題を解決するには、あの子が変わらなければならないと思っているだけなんだ。あの子は——子供すぎる」
菅原さんの言っていることは間違っていない。変わるべきは蓬田さんだろう。だから菅原さんがやろうとしていることもきっと正しい。
だが菅原さんが、蓬田さんのことを愛する者の安寧を脅かす『敵』だと認識しているだろうことも、きっと事実だった。
「あの子には一人で生きる力が足りないんだ。ゆえに頼れるものもない、甘えるものもない、自分だけしかない環境で、それを身に着ける必要がある」
それは、そうなんだけどさ……。
俺には、今の蓬田さんを一人きりにするのが、とても怖かった。
「また今度、彼女を引き取りに来るよ。君は僕を信じてじっとしていてくれ」
「でも」
「そうしないと、今回のキミの内定の件も、考えることになるかもしれないよ?」
背筋が……ぞっとした。
言葉の内容よりも、菅原さんにそんな脅しをかけられたことに、俺は恐怖を覚えた。
「ではまた」
「す、菅原さん!」
俺の呼びかけにも耳を貸さず、菅原さんは玄関の戸を引き、その場から立ち去った。
「今日は、間が悪かったみたいだね」
その一言を残して。
蓬田さんはその後一度も自室から現れることはなかった。
一応、何度も部屋の前で呼びかけてみたが反応はなし。前みたく戸に棒が立てかけられていて強引に押し入ることもできなかった。それを見かねた牧子さんが蓬田さんのことを叱ろうとわざわざ来てくれたが、そこは俺が断った。
「いいのかい? 会わなくて」
「はい。今はそっとしておくべきだと思います」
代わりに俺は気になっていたことを問う。
「……牧子さんは、蓬田さんの味方なんですよね? こうして一緒に暮らしてるし、蓬田さんも牧子さんのことが好きみたいですし」
「そうねぇ、ウチもあの子のことは大好きさ」
「だったら、その……」
んん? と牧子さんが首をかしげる。
「なんで、なにもしてあげないのかなって……」
俺が言いたいことが伝わったのだろう、牧子さんは「そうねぇ……」と納得したように頷くと、ぽりぽりと真っ白な頭を掻いた。
「牧子さんだったら、菅原さん相手でも、強引に追い払ったりしそうだなって思って」
「んー、まあねえ……」
「可愛い孫、なんですよね?」
「あたりまえや。孫を可愛がらん祖母なんてどこにもおらへん」
「だったら」
「お兄さんは、孫っちゅーもんがなんで年寄りにとって可愛いんか、知っとるかい?」
「え……」
思ってもみない質問だった。
俺は戦慄する。
「ま、孫可愛がりに、理由なんかあるんですか⁉」
お年寄りの人は本能的に孫を可愛がるものじゃないのか!
驚く俺に対して牧子さんは鷹揚に頷いた。
「そらもうね。ちゃんとあるさかい、みんな可愛がるんやないの」
「な、なんでなんですかっ、それは!」
「孫は自分の子供やないからや」
「へ?」
俺はまた変な声を漏らして固まった。
「えっと、それはどういう……」
「そもそも子供っちゅーもんは可愛いもんやろ? 可愛くて可愛くてしゃあなくて、ついつい甘やかしてまうもんや。せやけど、それが親の立場やとそうもいかん。子供を育てる責任があるさかい、可愛がりたくても可愛がれへん」
「それってつまり……孫には責任がないから、思う存分可愛がれる、と?」
「せーかいや」
「……」
開いた口が塞がらなかった。
「ちゅーわけやから、あの子のことはあんたに任せたで。お兄さん」
牧子さんはとても良い笑顔でそう言った。
**
あの日から数日が過ぎた。
ゴールデンウィークはまだ終わらない。
それなりに長い休暇は多くの人が外へ出て行く期間だ。連日の様子から鑑みても、きっと今頃喫茶『スワローテイル』にはいつも以上の客が押しかけ、店長は忙殺されて身動きが取れず、嬉しい悲鳴を上げていることだろう。
いつもなら店員たちは午前か昼からシフトに入って、忙しい店長を支えるため、客の注文を聞いたり注文の品を届けたり、とにかく今頃はあくせくと働いていたところだ。
しかしそんな店員たちは今、喫茶店にはいない。
というかそもそも助ける気もないんだけど。
「汐里ちゃん、下がってて」
「はい」
俺たちはいるのは静かな和風家屋。
今頃喫茶店で地獄を見ているだろう、店長の実家へと訪れていた。
ちなみに欠勤を伝えたのはついさっき。スマホで連絡し、ふたりで唐突な欠勤と忙しくなる店長への多大な謝意を込めて「今日は辞めときまーす」と声を揃えて言ったところだ。通話口から「え⁉ ちょっ⁉」と驚いた声が聞こえたが、すぐに通話を切っておいた。
そうしてふたりで竜野家に足を踏み入れ、今現在、二階の蓬田さんの部屋の前に立っているわけだ。
蓬田さんの部屋は相変わらず静かで、入り口の戸には棒が立てかけられている。
「蓬田さん、起きてるか?」
とりあえず呼びかけてみるが応答はなし。まあ想定内だ。
「ちょっと外に遊びに行きたいんだけど、蓬田さんもどうかな?」
野球でもしようぜ、みたいなフランクな感じを心掛ける。
もちろんそれでも返答はかえってこない。
「返事したほうがいいですよー? きっと後悔しますよー?」
脅しをかける汐里ちゃんはなんだか楽しそうだった。さっきから、というか家に入ったときからずっと妙にうきうきした顔をしている。
「だんまりか。じゃ、仕方ないな」
「仕方ないですねー?」
俺は数歩後ろに下がった。すかさず汐里ちゃんが声をかけた。
「蓬田センパーイ、今からちょっと突撃しますから、部屋の隅に避難しといてくださいねー」
へぇ? と部屋のなかから。
しかし俺はその声を拾う間もなく、次の瞬間、部屋を隔てる一枚の戸に向けて突進した。
「ひぃい⁉」
渾身の体当たりに戸はあっけなく外れた。むしろタックルの衝撃で大きな音を立てて部屋のなかへ飛んでいってしまう。あまりに上手く成功しすぎて拍子抜けするくらい。
とりあえず突撃が成功した俺は一息つき、部屋を見回す。
部屋の隅っこ、ベッドのうえで丸くなる緑色の女の子がいた。
「蓬田さん、怪我はない?」
「な、ななななにしてんのよあんたぁ⁉」
「見てわからないか? 連れ出しに来たんだよ」
「だからってやり方があるでしょもっと⁉」
よく見ると蓬田さんは涙目だった。まあさすがに怖かったかもしれない。だが強引な手段を講じてても今日は会う必要があった。
「一応牧子さんの許可は得てるから。心配ないよ」
「せや」
ひょこっと俺の後ろから現れた割烹着姿の祖母に蓬田さんは「婆ちゃん⁉」と驚きをあらわにする。牧子さんは、コホン、と咳払いを一つ挟んだ。
「あんたは最近、部屋に籠りすぎなんや。一度くらい友達と外で遊んで来んさい」
「そ、そんな……」
すっかり外堀を埋められてしまっていることに気づいたか、蓬田さんは観念したようにがっくりと肩を落とした。「ふふん」となぜか汐里ちゃんは得意げだ。
「で、でも、外で遊ぶって言っても、どこに……」
「決まってるだろ」
俺はできるだけ優しい表情を意識しながら、呆然とこちらを見上げている蓬田さんに向けて言った。
「——海だよ」
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