第11話 つけた画面に、紛い物の海


「如月くん! そっち敵行ったわよッ‼」


 その日の夜、俺は自室でコントローラーを握ってテレビ画面に向き合っていた。そばに置いたスマホからは蓬田さんのやかましい声が聞こえている。ふたりで通話しながらオンラインでFPSをプレイするのはこれで四度目くらいだった。


「ちょっ、なにしてんのよ⁉ 今のは確キル取れたでしょ‼」


「ご、ごめん。ちょっと迷っちゃって」


「FPSはそういう躊躇いが命取りなのよ! しっかりして‼」


「はいはい……」


 だれかと夜中に通話をすること自体初めてだったらしい蓬田さんは、最初の頃はとてもぎこちなく会話をしていたんだけど、今じゃもうすっかり慣れてこの通り、指示と文句の化け物に成り果ててしまっている。


「ゲームって人を変えるんだな……」


「なに? 聞こえなかったんだけど……って、あそこ! 前に敵チームいるじゃない! 建物のなかで待ってるわ! ここは一旦下がって、って、あれ? な、なんで味方いないの? さっきまでもうひとり後ろについてきてたわよね⁉」


「そいつなら今ひとりで突っ込んでいったよ。ほら、あの建物」


「ちょっ‼ なにしてんのよ⁉」


 パーティのもうひとりが敵チームの潜む建物に猪突猛進していき、すぐに上から射撃されて体力を全損する。そのせいで物陰に潜む俺たちも気づかれてしまったみたいだ。


「なにやってんのよもぉぉ⁉」


「まぁ、こんなうるさい奴がチームにいたらそりゃ嫌気も差すだろうな」


「えっ? うるさいってだれが? えっ? あたし?」


「ほかにだれがいるんだよ」


「や、だって必要なこと言ってただけし、そんなに間違ったこと言ってないじゃん?」


「……」


「えっ、なんでそこで無言……なに? ほんとにうるさかったの? もしかしてただの指示厨? うそでしょ? うそよねっ⁉」


 蓬田さんがショックを受けて喚いている間に、敵チームに完全に捕捉された俺たちは抵抗する間もなくハチの巣にされてしまった。


「あ、あたしって、実はウザい子……?」


「気づくの遅すぎだ」


 がくっ、とマイクの向こうで蓬田さんが肩を落としたのが、姿が見えてなくても俺にはわかった。こころなしか画面の奥で蓬田さんが操作するおじさんキャラも意気消沈しているように思える。こんなに協力プレイに向いていない人もそうそういない。


 ——要するに、君はその子に惚れているわけだね?


 不意にその言葉が脳裏で響く。俺は首を横に振った。


「これのどこに惚れる要素があるんだよ」


「ん? なんか言った?」


「いやなにも」


 やっぱり勘違いだろう。そうに決まっている。


 そうこうしている間に次のラウンドが始まる。しかし蓬田さんはまだショックから立ち直っていないのか明らかに口数が減り、俺は俺で妙に気まずくなってしまい、自然とふたりの間には無言の空気が満ちることになってしまった。


 これからバトルロワイアルで銃を向け合うことになるプレイヤーたちが我先にとヘリから降りていく。島に降りたプレイヤーたちは各地にランダムに落ちてある武器を拾って装備を整えていくのだ。だからそろそろ降りないと先を越されてしまう。しかし着地点を決める権利を持つチームリーダーの蓬田さんは未だ黙したまま動かず島を見下ろしている。


 あともう少しでタイムオーバーになってしまう、といったところで蓬田さんはヘリから飛び去った。俺も並んで飛び降りる。島の範囲外ギリギリのタイミングで降りた俺たちは途中でパラグライダーを開き、ふわふわと浜辺へと降り立った。すぐに俺は砂浜に申し訳程度に落ちてある武器を物色していく。


「味方いないし……」


 三人目のチームメイトはさっさと違う場所に降り立ったらしい。


「って、蓬田さん? なにしてるの?」


 蓬田さんの操作する白衣を着たおじさんキャラは、降り立ったときの位置から微塵も動いておらず、ただ真っすぐ砂浜の向こう、果てしなく広がる海原を眺めていた。


「ここ……あまり来たことなかったけど、けっこう綺麗なのね」


「蓬田さん?」


「本物の海もこれくらい綺麗なのかしら」


 電子の海を見据える後ろ姿はどことなく儚げだ。おじさんキャラなのに。


「海、行ったことないのか?」


「さあね……。むかし、すごく小さな頃に、パパに連れていってもらったような気がしないでもないけれど、どうだったかわからないわ」


 マイクから聞こえる静かな声からは珍しく感情が読み取れない。


 柄にもなくたそがれているらしい。それがゲームのなかでっていうのが、つくづく蓬田さんらしいと思うが。


「父親ってどんな人だったんだ?」


 気づくと訊ねていた。


 蓬田さんはすぐ「うるさい人よ」と答える。


「怒る声も、笑う声も、普通に話してるときの声すらめちゃくちゃうるさくて、耳がキンキンしたわ」


「蓬田さんは父親似なんだな」


「は? どういう意味よ?」


「いやべつに」


「ふん……まあ、それでも娘のあたしには優しくて、よくいろんなところに連れて行ってもらった気がするわ。むかしのことだからあまり覚えていないけど、動物園とか、水族館とか、まあいろいろ」


「いい父親じゃないか」


「あたしは外出るのなんて嫌だったけど。家でゲームしてたほうがマシだったし」


 蓬田さんの引きこもりの才能は幼少期から開花していたらしい。なんて残念な。


「ママ……あのヤクザ女ともずっと仲が良くて、ふたりが仲良く喋ってるのを見るのが、あたしは好きだった」


「その父親は今どこにいるんだ?」


「知らないわ。離婚したらすぐどこかに行っちゃったから。あたしにもなにも、言ってくれなかったし」


 優しい反面、薄情な一面もある父親だった。


 俺はふと想像した。父親がいなくなって、母親も忙しくなって、どんどん家でひとりぼっちになっていく蓬田さんの姿を。


「ねえ如月くん、大学って楽しい?」


 脈絡もない質問だった。でもなぜか俺は迷いなく頷いた。


「それなりには」


「高校も?」


「楽しかったよ」


「そう……あたしも、辞めずに通っておけば良かったかな。如月くんがいてくれたら、きっと学校でも楽しかったのにな」


 作り物の海を眺めながら平坦な声音で呟く蓬田さん。


 いつもの威勢の良さがない分、余計にそれが心からの言葉なのだと伝わって、いじらしい本音を聞かされた俺は妙に胸が熱くなった。ざわざわと紛い物の波が押し寄せる音が、そのまま俺の胸のうちを表すかのようで落ち着かなかった。


「まだやり直せるだろ。全然」


「もう手遅れよ。あたし、もうすぐ死ぬから」


 ——わたし、もうすぐ死ぬつもりだから。


「それって……」


 初めの頃に蓬田さんが言っていた言葉だった。あのとき蓬田さんは唇の形を歪めて酷薄な笑みを浮かべていて、俺は冷やりと背筋を撫でられるような感覚がしたのを覚えている。


 今もあんな表情をしているのだろうか。


「前にも言ってたけど、それどういう意味なんだ? 蓬田さんは病気かなにかなのか?」


「お生憎と健康体よ。悲しいぐらい元気。でも、死ななきゃなんないのよ」


「いや、だからなんで」


「だって生きてても迷惑かけるだけじゃん」


 遠くで小刻みな発砲音が響く。どこかで銃撃戦が行われているらしい。俺たちも早く移動しなければならないが、蓬田さんは動く気配がなかった。


「最初は自分でどうにか生きてやるって思ってたんだけど、あたしって頭悪いし要領も悪いしどん臭いから、なにやっても上手くいかなくて。いろんな人に叱られて怒られて、結局できたのって、婆ちゃんの家に逃げ込むことくらいだったの。社会不適合者って、ほんとあたしのためにある言葉だと思うわ。うんうん」


「ちょっと、自分のこと卑下しすぎなんじゃないか?」


「そう? じゃあ如月くんは答えられる? あたしの良いところ」


「えっ……?」


 突然水を向けられて俺は戸惑った。「そ、そうだな……」慌てて考え始める。


 蓬田さんの良いところ。良いところ……。


「そ、そんなに考え込まないと出ないんだ。ハハハ……」


「ああ、いや」


「ふんっ、いいわよ無理しなくてもっ。あたしもわかってて訊いたんだし」


 拗ねたように唇を尖らせる蓬田さんの姿が脳裏に浮かんだ。


「違うんだ。そうじゃなくて」


 一つも浮かばなかったわけじゃない。小動物みたいな可愛さがないこともないし、一般的に眼を惹くような容姿をしていることだってまあ否定できない。

 でもなぜか、それを口にしようとすると菅原さんのしたり顔がよぎって、どうしても躊躇ってしまうのだ。


「あたしだって如月くんと同じ。カッコいい大人になりたかったわ。でももう手遅れなの。大人になり損ねたらなにもかも終わり。ずっと子供のまま、いつか婆ちゃんだっていなくなって崖っぷちになったら、なにもできなくてそのままゲームオーバーってね」


「待てよ。いくらなんでも極論すぎる」


「それにもうすぐ死ぬんだって思ったらすごく気が楽になったのよ? もうなんにも頑張らなくていいんだし、残りの時間、目一杯楽しんでやろうって思えたわ」


「後ろ向きに前向きにも程があるぞ」


「今のあたしは無敵なの」


 ふふん、と得意げに胸を張るような口振りに、俺のなかでけたたましく警鐘が鳴った。


 今の蓬田さんが不安定なのは理解していたが、ここまで危うい状況だとは思ってもみなかった。ほかの人たちは気づいていないのか? 実の母親である揚羽さんも、一緒に住んでるはずの牧子さんも、ほかの蓬田さんと面識がある人たちは、このなにもかもギリギリの少女の姿を見てなんとも思わなかったっていうのか? 本当に?


「今はどういうふうに死のうか考えてるところなの。苦しいのはヤだしね」


「ちょっと待てよ」


「そうだ。あたしが死んだらあたしが持ってるゲームはぜんぶ如月くんにあげるわ。こんなあたしに付き合ってくれたお礼をしないとね」


「だから待てって!」


 しかし俺の声は届かなかった。


 物陰から突如現れた数人のプレイヤーたちから一斉射撃を受け、あっという間に俺たちの体力は底を尽きてしまった。俺と蓬田さんのアバターが電子の屑となって霧散していく。


 いつのまにか通話は切れていた。切ないくらいの静けさが俺の部屋を包み込み、窓ガラスの向こうから暗い夜の気配が近づいてくるようだった。俺はその日眠れなかった。



 

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