第8話 もふもふイノシシ


 日付は変わってまた休日。


 今日は『スワローテイル』でのアルバイトがないので昼間から竜野家を訪ねた。玄関の戸をガラガラと開き、例のごとくさっさと上がろうとする俺だったが、珍しく二階から忙しい足音が聞こえて立ち止まった。ドタドタと階段を下りてまもなく蓬田さんが現れる。


「き、来たわね!」


「なに、お出迎え?」


 珍しいこともあるんだなと思ったが、もちろんそういう理由ではなかった。蓬田さんはむんずと胸を張る。


「この前の敗北から学んでみっちり練習したわ! 今度は負けないから!」


 以前格闘ゲームで負けたのがよほど悔しかったのか、リベンジに燃えて日夜修行に励んでいたらしい。それでずっと俺が来るのを待っていたのだとか。


 そんなことを自慢げに語られ、俺は大仰にため息をつく。


「……いいよな、蓬田さんは気楽でさ」


「な、なによその反応?」


「いやべつに? 暇な蓬田さんには理解できないことだよ。うんうん」


「な、なんかムカつく!」


 こちとらもう社会人の一歩手前、これから先のこととか、菅原さんの言っていた言葉の意味とか、いろいろと考えるのに忙しいのに、蓬田さんときたらゲームのことしか頭にないみたいだ。気楽な人間っていいよな。ほんとに。


「今わたしのこと馬鹿にしたでしょ! 頭んなかで!」


「おお、よくわかったな」


「顔見たらわかるわ! アホ!」






「……か、勝てない……」


 数十分後、愕然とした表情でコントローラーを握る蓬田さんの姿がそこにはあった。


 すぐに部屋に招かれ、以前のように格闘ゲームを一緒にプレイし始めた俺だったが、対戦は八割ぐらい俺が勝ち越す結果となった。


「な、なぜだ……」


「なぜって、そりゃそんな仮面つけてたらやりにくいでしょ」


 蓬田さんは対戦が始まるすぐに「秘策よ」と言ってひょっとこのお面を取り出して顔に被ったのだ。そしてそのままで俺との対戦を始めたのだが、もちろんお面をつけた状態では視界も遮られ動きも鈍くなるので、結局前よりも簡単に勝つことができてしまった。


「もしかして隣の俺が見えなかったら、本来の実力が出せるとか思った?」


「ぎ、ぎくっ……!」


 この反応。どうやら図星みたいだ。


「そんな小細工するより男の免疫をつけたほうが早いんじゃないか?」


「う、うっさい! 大きなお世話だ!」


 策士策に溺れるとはこのことだ。ほんとなにやってんだか。


「はぁ……なんで蓬田さんっていつもこうなんだろ」


「こ、こうとはなんだ」


「なんかいつも空回りしてるっていうか、猪突猛進っていうか……そういえばむかしからそんな感じだったよね」


「き、貴様が我のなにを知ってるというんだ!」


「知ってるよ、それなりに。一応一年は同じ教室でクラスメイトやってたんだし。……まぁ、蓬田さんのほうは俺のことなんか覚えてもないみたいだけど」


「うっ……」


 なぜだろう、お面をつけていても視線を逸らしたのがすぐにわかった。


 俺はため息をつく。


「何度も授業妨害してみんなに迷惑かけたり、先のこと考えず行動して先生を困らせたり、あの頃からそういうところは少しも変わってないんだな、蓬田さんは」


 向こう見ずなくせに一直線すぎてすぐ周りに呆れられるんだ。いつだって。


「待て。聞き捨てならないぞ」


 しかし蓬田さんは俺の言動を手で制した。


「その『みんなに迷惑をかける』とはなんのことだ? 我はそんなこと一度もしていないぞ?」


「はぁ? なにを今更」


「事実だ。心当たりがない」


 蓬田さんは心外だと言わんばかりに胸を張る。ムカつくくらい大きな胸が黒シャツを押し上げて、俺は反射的に目を逸らしてしまった。くそっ……ちっこくて痩せてるくせになんでそんなところばっかり育つんだ。おかしいだろ。


「我は至極真面目に授業を受けていた。お利口な学生だったはずだ」


「いやいや……」


 あんなにめちゃくちゃしておいて、一体どの口が言っているんだよ。


「授業中に何度も質問しまくったり、体育の授業中に何度も倒れたり、文化祭で歌を歌うときに一人だけ馬鹿デカい声出してたりしてたよね? 忘れたとは言わせないよ?」


「む……? ああ、なんだそのことか」


 納得したふうに蓬田さんは頷く。ほら、やっぱり覚えてるじゃないか。


「『りすかちゃんビジネスフルモード』のことだな」


 ……ん?


「び、ビジネス……なに?」


「『りすかちゃんビジネスフルモード』だ。いつもはおとなしいりすかちゃんだが、それを発動させることで一日の一度だけブースト状態に入ることができる。いつもの数十倍、優秀度をアップさせることができるんだ」


 なに言ってんだこの人……。


「つまり一種の『ゾーン』のことだな。ほら、アニメとかでもあるだろ? 急に力が解放されて集中力とかスピードとかめちゃくちゃパワーアップするやつ」


「ああうん。そうなの?」


「つまりそれだ」


「いやどれだよ……」


 ヤバい。マジで言っていることが理解できない。「ま、待って。今整理するから」一旦蓬田さんの弁舌を止めて俺は混乱する頭を落ち着かせる。そして冷静な思考を巡らせ……。


「……要するに、あのときの蓬田さんはすごく真面目なモードに入ってたってこと?」


「うむ。積極的に授業に取り組むようにしていた」


 鷹揚に頷く蓬田さん。


 対して俺は空いた口が塞がらなかった。


「真面目に授業に取り組むために、何度も挙手したり、がむしゃらに走りまくったりしてたってこと?」


「その通りだ。いやあ……あの頃は我ながら頑張ったな。頑張りすぎて時々倒れたりしてしまったが、今思えばまぶしい青春を謳歌していたものだ。うんうん」


 蓬田さんのなかで当時の記憶はかなり美化されているみたいだった。「嘘だろ……」俺は蓬田さんに見えていた景色と周囲のイメージとの大きな差に愕然とするしかない。まさか、ここまで『ズレた』子がいるなんて……。


「蓬田さん、もう少し周りを見たほうがいいって、言われたことない?」


「なんだ藪から棒に……その言葉なら、そういえばあの頃教師によく言われたが、意味はよくわからなかったな。我にはちゃんと目がついているというのに、おかしいことを言うものだと呆れたものだ」


「呆れてたのは先生のほうだろ。授業中に何度も手を挙げたりしたら普通は授業妨害って見られるんだ。みんなだって一緒に受けてるんだし、蓬田さんだって先生に注意されたことあるだろ」


「……そういえば」


 蓬田さんがお面のうえから顎に手をやる。「なぜ頑張っているのに注意されるのかと疑問だったが……」なんて呑気なことを呟いていた。どんだけ鈍いのやら。


「体育だってなにも考えず全力疾走してたらそりゃ倒れるし、先生だって毎度生徒に倒れられたら気が気じゃないだろ。蓬田さんを担いで保健室に連れていくときの先生、いつも青ざめた顔してたの、知ってる?」


「し、知らなかった……」


「知らなかったじゃないよ」


 あー、なんだろ、なんか……。


「周りが迷惑がってたり、心配したりしてること、一度でも考えたことある? どうせ『とにかく頑張ってたらいいでしょ』みたいな単純な気持ちだったんじゃない?」


「は、はい、その通りでした」


「もっといろいろ考えるべきでしょ。そもそもそれで成績上がったの?」


「い、いえ……むしろめちゃくちゃ下がってました」


「なんでそのとき気づかないんだよ……!」


 だんだんムカついてきた……。


 他人のことなんてどうでもいいと思っていたのに、蓬田さんのことになるとどうしてかイライラしてしまう。感情的になってしまうのだ。


 その後もしばらく、俺は柄にもない説教を続けた。


 いつしか蓬田さんは俺の話を正座で聞いていた。……しゅん、とまるで萎えたキャベツみたくお下げの緑髪を垂れさせて意気消沈といった感じで、やがて、完全に元気を失くしたふうに蓬田さんは黙ってお面を外すと、その場でイモムシみたいに丸くなった。


「あたしはイタイ子です。すみませんでした。許してください……」


「あ、いや」


 ヤバい。さすがに言い過ぎた。


 自信喪失の四文字が身体の周りに浮かんで見えるくらい、どんより暗い雰囲気だった。どうする。これはもう完全に明日から毛布にくるまって部屋に引き篭もる勢いだぞ。……いや、よく考えればいつもと変わんないじゃん、それ。


 でもさすがにここまで意気消沈されると、こっちの胸も痛くなってくる。


「ごめん。傷つけるつもりはなかったんだ」


 蓬田さんは無言のまま。気まずい空気が漂う。


 俺は、なんだかしんみりとしてしまって。


 それで、気づくと訊いてしまっていた。


「なあ。なんで蓬田さんは、そんな急に頑張ろうと思ったんだ?」


「……」


「蓬田さん、一学期の最初の頃は、けっこう消極的だったよね? あんなに授業で頑張る人じゃなかった。……なのになんで、急にあそこまで?」


 単なる思い付きだろうとも思ったけど、それにしたって不自然なくらい、あの頃の蓬田さんはがむしゃらだった。


 まるで、なにかに焦っていたような感じがあって。


「……パパとママが喧嘩したの」


 胎児みたく丸く寝転がりながら蓬田さんは、ぽつり、と零した。


「毎晩毎晩喧嘩してて……むかしは仲が良かったのに、大好きだったのに、急にすごく仲が悪くなって……なんか、離婚する、みたいな……そういう流れになって」


 そういえば聞いた話では、揚羽さんが前の夫と離婚したのは、ちょうど蓬田さんが高校生の頃だった。厳密に言えば高校を中退する以前のことだ。


 ……にしても、揚羽さんのこと「ママ」って呼んでるの初めて聞いたな。


「あたし、それが嫌で……なんとか仲直りしてほしくて、それで、学校、頑張ろうって」


「え? なんでそうなるの?」


「わかんない。……でも、あたしちゃくちゃ馬鹿だから、もっと頑張って学校通って、成績も良くなったりしたら、パパとママの仲も良くなるかなって、思って……」


 意味不明だった。一体どんな因果関係があればそういう思考になるんだ。相変わらず蓬田さんの考えはよくわからない。俺は困惑するしかなかった。


「でもなんか逆に成績は悪くなって、そのせいでパパとママの仲が余計に悪くなって、結局離婚しちゃった」


 蓬田さんはぶつぶつと呟いて拗ねたように唇を尖らせる。


 つまり頑張ったのがぜんぶ裏目に出てしまって、それが夫婦喧嘩のトドメになってしまったと……。


「どんだけ空回りしてるんだよ」


「……うっさい」


 声にいつもの気力はない。


 蓬田さんのやっていることはまるで的外れだ。努力の方向性が間違いすぎている。明後日の方向にイノノシみたく突っ走ったあげく、いろんな人に迷惑をかけまくって、結局望んだものは一つも得られず、むしろ火に油を注ぐ結果となった。


 馬鹿みたいだ。と思った。


 合理的じゃない。計画的じゃない。


 幼稚で、稚拙で、ダメダメだ。


「…………なにしてんのよ」


「頭撫でてる。見ればわかるだろ」


 気づけば、蓬田さんの頭に腕が伸びていた。


 派手な緑色のお下げ髪、無造作に結ばれた髪質は天然ものか、ふわふわとウェーブがかっていて、撫でると指先に絡みつく。ちっこい頭は熱を帯びたみたいに温かかった。


「子供扱いしないで。そんなことされても嬉しくないし。ていうか痛いし」


「あっそ。それより蓬田さんって元は茶髪だったよね? なんで染めたの?」


「き、如月くんには関係ないし」


「そっか。でも髪質は変わんないのかな、なんかもふもふしてる」


「癖ッ毛なだけだし」


「でも触り心地いいよ」


「聞いてないし……」


 そんなふうに言いつつも蓬田さんは決して拒まなかった。


 されるがまま、ただじっとしていて、俺はだんだん大きな犬を撫でているような気になってきて、蓬田さんに気づかれぬよう密かに笑みを零した。


 そのあとも思う存分、俺は蓬田さんの髪を触っていた。



 

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