第7話 曰く、間が良い男


「では、弊社を志望する理由をお聞かせください」


 四月某日、俺は前々から希望していたIT系の会社の面接へと赴いていた。


 都内に聳えるそれはそれは高いビルの三階、少人数で利用するにはいささか広々とすぎている室内で、男女ふたりの若々しい見た目をした面接官たちと対峙しながら、俺は緊張で声が上擦らないよう意識してあらかじめ脳内で練っていた文面を読み上げた。


「ありがとうございます。如月くんの熱意はよく伝わりました」


「親と同じ方面の仕事がしたいなんて、なかなか孝行者じゃないか。君の父親はさぞ喜んでいるだろうね」


「いえ、そんな……」


 縁なし眼鏡をかけている男の面接官に褒められ、俺は恥ずかしくなって視線を逸らす。


菅原すがわらさん、軽い口調は慎んでください」


「ふむ……そうは言うがね、あまり堅苦しすぎても考えものだろう? 極端に怯えさせて志望者の本音を聞けないのでは本末転倒じゃないか」


「厳かな空気のなかで、ほどよい緊張感を持ってもらうことが大切なんです」


「それは一次のほうで十分持ってもらっただろ? 二次試験からはよりフランクに臨んだほうが有意義な感想を聞けると思うのだが……如月くんはどう思う?」


「え? わ、私ですか?」


 突然水を向けられるが、咄嗟に思いつくことなんてあるはずもなく、結局俺はなにも答えられなかった。「ハハハ……」とぎこちなく笑うしかできない俺の前で、女性面接官がメモになにか書き込んでいる。その姿に焦りが募る。


 男性の面接官は意に介したふうもなく笑った。


「では君自身は、うちで働いて一体なにを目指すのかな?」


「は、はい。私は――」


 そのあともお決まりの質問は続き、俺はその都度答えていった。眼鏡の男性面接官は穏やかな表情で、逐一笑って聞いてくれた。そのフラットな雰囲気に徐々に緊張を解され、後半は思った以上にリラックスして受け答えすることができた。






 **






「はぁぁぁぁ~……」


 カウンター席に項垂れる勢いで俺は深々とため息をつく。


「緊張した……」


 面接を終えたのが今から三十分ほど前のこと。今は駅前の喫茶店で一息ついているところだ。


 あのあと面接室から退室しビルを出た俺は、過度の緊張から一気に解放されたせいか、どっとのしかかってきた心労に耐え切れず、休憩を余儀なくされた。


「でも、悪くはなかったかな……」


 一度アドリブ力を試されて失敗したものの、おおむね上手くやれたと思う。前日の夜から練りに練ったおかげで受け答えはスムーズにできたし、思った以上にリラックスして挑めたのではないだろうか。


 とにかくやれることはやった。あとは待つだけだ。


「ヤバい……落ち着かない」


 そわそわと気が逸るのもしかたない。なにせずっと希望していた会社なのだ。ここに就職できなかったときのことは考えたくもない。


 なおも湯気立つ珈琲を一口。「ふぅ……」苦い味が口のなかに広がる。


 そのとき、カランカラン、とドアベルが来客を報せた。


「いらっしゃい。菅原さん」


「どうも。早速だけどいつもの頼める?」


 入り口に立つのはスーツ姿の男性。聡明そうな顔立ちに縁なし眼鏡をかけていて、店員に愛想のいい笑顔を振りまいている。「……ん?」俺はおもわずその人を凝視した。なんだか既視感があるというか、一度会ったことすらあるような気がしたからだ。


「ん……あれ? 君、さっきの子だよね?」


「へっ……?」


 そして俺は気がついた。


 ——げっ……⁉


 その人がついさっきまであのビルで対面していた面接官役の人だったことに。


「たしかそう、如月くんだ。ハハハッ、これはなかなか偶然だね」


「そっ、そうですね……!」


 俺は焦りに焦った。焦りすぎてその場で立ち上がってしまうほど。


 面接官の男はカウンター席の、なぜか俺の隣の席に座って背もたれに上着をかける。「ここ、僕のお気に入りの席なんだ」とにこやかに笑われてどう返せばいいかわからない。


「そう硬くならないでいいから。座って座って」


「ハ、ハイ……」


 言われるがまま俺は席に座るのだった。






 面接官の本名は菅原幹彦すがわらみきひこ


 年齢は三十六歳とまだまだ若い会社員ながら、あの会社の人事部長を任されている優秀なビジネスマンだった。


 この駅前の喫茶店はなんでも行きつけの場所らしく、忙しい身ながら一休みするときは必ず珈琲を飲みにここを訪れているのだとか。たしかに会社から程近い場所にあるし、うちの店とは違って気軽に立ち寄れる雰囲気だったので寄ってみたのは事実だったから、偶然の再会も仕方ないと言えば仕方ないんだろうけど……。


「ここの珈琲は程よい酸味があって格別なんだ。如月くんもそう思うだろ?」


「そ、そうですね……」


 どうしてこうなった。そう思わざるをえない。


「そういえば君もブラックで飲んでいるんだね? 僕としては、こういう味は若者には少し飲みづらい気がしてたんだけど、どうなのかな?」


「お、おれ——いや、私は昔から嗜んでいましたので、やはり人に寄るかと……」


 まさかついさっきまで面接官だった相手と会ってしまうなんて。しかもなぜか同席して珈琲について語り合うことになるなんて。だれが想像できるんだ。


 ヤバい、胃が痛い……。


「さっきも言ったけど、もっと肩の力を抜いていいよ。今はもう面接中じゃないんだし」


「い、いえ、そう言われましても……」


 まだ合否は出ていない。もしもここで俺が失礼を働いたり不味いことを言ったりして内申に響くようなことがあったら、と思うと、どうしても身体が強張ってしまう。


「真面目なんだねえ。まあ気持ちはわかるよ。僕も若い頃は大人を前にすると、そんなふうに固まっていたからね」


「す、菅原さんが、ですか?」


「うん。もちろんだよ」


 菅原さんが珈琲に一口つける。


「だが、いろんな経験をして自信がついた。自分で行動して、見て、学んだことは必ず自らの血となり肉となる。大人になるとはそういうことだよ」


 まだまだ半人前だけどね、と笑って付け足す。


 俺にはその笑みがとても格好よく見えた。


「その、菅原さん……改めて、先ほどはありがとうございました。菅原さんのおかげでリラックスして臨めました」


「それなら良かった。でも、それは僕の手柄じゃないな。君が上手くいくのは、きっと君が今までいろんな経験をして、それがちゃんと君の力になっているからだよ」


 カッコいい……この人めちゃくちゃカッコいい……。


 俺はだんだん、菅原さんが自分の目指す理想像のように思えてきた。


「お、俺っ、スーツの似合う大人になりたいんです。きっちりしてて、少しも曲がったところのない、菅原さんみたいな、カッコいい大人に」


「えらく褒めてくれるね……でも僕はそんなんじゃ」


「菅原さんみたいになるにはどうすればいいですか!」


 身を乗り出すようにして聞く。興奮しすぎなのは自分でもわかったが、黙ってることができなかった。


 俺の勢いに菅原さんは驚いたようだったが、すぐに真剣な気持ちなのが伝わったらしい。やがて菅原さんは顎に手を添えて「……ふむ」と考え込んだ。


「僕の持論で構わないのなら、だが」


「は、はい。なんでしょう」


「ズバリ——愛だね」


「え?」


 至極真面目な顔で言われて、俺はおもわず瞬きを繰りかえす。


「あ、愛……ですか?」


「うん。愛だよ」


 眼鏡のレンズの億、菅原さんの瞳は澄み切っていて一点の曇りもない。俺は我にかえったように「な、なるほど……」と曖昧に頷いた。


 あ、愛か…………。


「まさかわからないのかい?」


「い、いえっ、ええと……」


「あまり真に受けないでくださいね。菅原さんは時々変なことを言い出すんです」


 カウンターの裏で女性店員さんがフォローしてくれた。「失敬だね。至極真面目だよ」「だったらちゃんと具体的に話してあげてください。こちらの方が困っていますよ」「ううむ……」店員さんに注意されて、菅原さんは考え込むように顎に手をやった。


「ふむ。今ので理解できないなら、ちゃんと説明する必要があるね」


「お、お願いします」


 聞き逃してたまるかと身体ごと菅原さんに向けて拝聴の構えを取る俺だったが、突然そこで軽快な着信音が鳴った。「失礼」と言って、菅原さんがスーツの胸ポケットからスマホを取り出す。淀みない動きでスマホの液晶画面を指で操作し、やがて「む……」と唸り声をあげた。


「どうかしたんですか?」


「いや……すまない、如月くん。会社で急を要する案件が今持ち上がってね。すぐに戻らないといけないようだ」


「あ、はい。そ、そうですか」


 もちろん止めるわけにはいかない。俺は慌てて頷く。


 結局、菅原さんの言葉の真意はわからずじまいか……。


「そんな顔をしないでくれ。大丈夫さ。今度また会えるだろう」


「え? それって……」


「この喫茶店は行きつけなんだ。君が足を運んでくれれば、いつでも僕に会えるはずだよ」


「え、でも菅原さんってすごく忙しいんじゃ……」


「まあね。だが君がここに来るときにはきっと僕もいるだろう。なんせ僕はむかしから『間が良い男』だからね。会社でも有名だよ」


「は、はぁ……」


 俺はとりあえず曖昧に頷く。


「今度は堅苦しい話じゃなく、珈琲の話をしよう。僕は酒は飲めないが珈琲(こっち)にはうるさくてね。こうして語り合える同士がずっと欲しかったんだよ。珈琲が理解わかる若者というのはとても貴重だ」


「は、はい。よろしくおねがいします!」


 俺は大きく頭を下げたのだった。



 

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