第6話 傷痕にまつわる


 その後はふたりでゲームをして過ごした。


 最近はあまりやっていなかったが、ゲームの類は元から得意だったので、すぐに感覚を戻してプレイすることができた。それでも部屋の様相からして生粋のゲーマーっぽい蓬田さんには敵わないだろうなと、なかば諦めながらも対戦をこなしていった俺だったのだが……。


「あ、そのコンボ繋がってないよ」


「ぎゃあッ!」


 ぎゃあって……。


 蓬田さんが叫ぶのも束の間、画面のなかで彼女の操作する筋肉モリモリのファイターが俺の操作する警官風の女性ファイターの蹴りを食らってHP(ヒットポイント)をすべて失ってしまった。『2p WIN‼』の文字がでかでかと画面に表示される。


「なんで勝てないのよぉぉぉぉ‼」


 蓬田さんは地団太でも踏みそうな勢いで悔しがった。


「絶対わたしのほうが強いのにぃー!」


「ハハハ……」


 俺も苦笑いしかできない。


 蓬田さんの言動は一見強がっているように聞こえるが、それは割かし事実で、対戦中俺は何度も追い詰められたし、難度の高いコンボも決められたし、綺麗に裏をかかれたりと、いろんな場面で上をいかれているのがわかった。


 それでも蓬田さんが勝てないのには理由がある。


「蓬田さん、対戦中チラチラこっち見てるでしょ?」


「ぎくっ……‼」


 端的に言えば、そう。


 蓬田さんは壊滅的に集中力がなかったのだ。


「俺と距離取ったり詰めたりなんか忙しいし、せっかくすごいコンボ決めてもチラチラこっちの反応うかがったりしてさ、ちょっと落ち着きなさすぎじゃないか?」


「うう……! しょ、しょうがないじゃん! こんな近いんだから!」


 蓬田さんの部屋は狭くないくせに物の配置がいろいろと不便で、ふたりでゲームをするには十分なスペースが足らず、結果肩を寄せるようにしてモニターに向き合うことなったのはそうなのだが。


「こっ、こんな近くで男子と並んだことないし! そっ、そもそも部屋に他人を入れたことも初めてなんだから! それを意識すると、なんか頭がぼーっとしちゃって」


「今更すぎるだろ」


 異性への耐性がなさすぎる。これは引きこもりゆえか、それとも蓬田さんだからなのか。


「うう……」


 顔を真っ赤にして縮こまる蓬田さん。本当に参ってしまっているようだ。これまでずっと普通に話せていたのに、ちょっと近づくだけでこんな借りてきた猫のようになってしまうなんて、やっぱり蓬田さんのことはよくわからない。


 俺は壁時計を見上げる。短針はすでに七時を周っていた。


「やば、もうこんな時間か」


 趣味に付き合ってあげるはずが、俺も割と楽しんでしまっていたらしい。気づけばけっこう長居していた。


「も、もう帰るの……?」


「ごめん。大学の課題がまだなんだ。面接対策もやっときたいし」


「め、面接……?」


「ああ、うん。俺就活生だからさ。実はそんなに余裕ないんだ」


「…………就活」


 ぎゅっ、と蓬田さんが拳を握る。


 俺は目敏くもそれに気づき、自分でもよくわからないけど、気づけば笑いかけていた。


「大丈夫。また来るよ」


「え、いいの……」


「問題ない。実は俺もけっこう息抜きになってるしさ」


 なんだか子供に接するような感覚だった。同年代なのに不思議だ。


 帰り支度もさっさと済ませ、俺は部屋を出ようとする。戸を開けて、一歩踏み出したところで「……そうだ」と俺は立ち止った。


「蓬田さんにさ、ずっと聞きたかったことがあるんだけど」


「な、なに?」


 ゲーミングチェアに座った蓬田さんがぱちぱちと瞬きをする。


「……いや、やっぱなんでもない。またね」


「え? う、うん」


 俺は部屋を出た。






「それで……ゲームをしただけで帰ってきたんですか?」


 あきれたような表情を浮かべたのは汐里ちゃんだった。


 場所は喫茶『スワローテイル』、現在は店長が買い出しに出かけておりふたりで店番中、話題提供に蓬田さんとのことを話してみたら、そんなふうに言われた。


「そうだけど……なんかおかしかった?」


「おかしいですよ」


 箒で床を掃きながら汐里ちゃんが一本指を立てる。


「そもそも如月先輩は蓬田さんを説得するために会いに行っているんですよね? どうして仲良く一緒にゲームをすることになるんですか? 意味不明です」


「そりゃそうだけど……今はそういう話を聞いてもらえる感じじゃないんだよ。俺のことも信用されてるか怪しいし、とりあえずもう少し仲良くなってからじゃないとさ」


「仲良くとは、具体的にどれくらいなんですか?」


「えっ……」


 訊いてくる汐里ちゃんの顔はなんだかとても真剣だった。まるで倒すべき敵の情報を把握する軍師のごとき真剣さだ。


「具体的に、って言われてもなぁ……」


「ぶっちゃけ付き合いたいとかあります?」


「えっ? な、なんでそうなるんだよ?」


「だって先輩、蓬田さんにはなんか甘いですし! 特別な気持ちでもないと、こんなにかまってあげるはずないですよ! 絶対おかしいです!」


「誤解だよ。俺はただ」


「ただ、なんですか⁉ ほかに理由があるならはっきり言ってください‼」


 なんでこんなに詰められてるんだ俺は……。

 これじゃまるで修羅場だ。奥さんに浮気現場でも目撃されたわけでもないのに。


「落ち着いてくれ汐里ちゃん……俺だってそんな大層な理由じゃない。ただ、ちょっと後ろめたい気持ちがあるというか」


「はあ、後ろめたい、ですか?」


「うん。……ずっと思ってたんだよ。あの頃から五年も経って、周りのみんなも目に見えて成長して、いろいろ変わっていって……だから蓬田さんだって、もうとっくに過去なんか断ち切って、前に進んでるんだろうなってさ」


 心のどこかでそう思っていた。


「でも現実はそんなに甘くなかったんだ。ひさしぶりに会った蓬田さんは、マジで悲しいくらいなにも変わってなくて、変われてなくて……蓬田さんの時間はたぶん、あの頃から止まったままなんだって、思い知らされて」


 それを他人事とは思えなかった。どうしても。


「その口ぶりだと、蓬田さんに過去なにかあったように聞こえますが……」


「まあ、そうだね」


「一体なにがあったんですか? 聞かせてください」


 けっこう踏み込んでくるんだなぁ、と俺は思った。まあ汐里ちゃんの場合、野次馬根性とか好奇心からのものじゃなく、単純に善意からなのだろうが。この子はこの子で正義感が強すぎるきらいがある。だからあまり聞かせたくなかったのだが。


「まあ、簡単に言えばイジメだよ」


「えっ……!」


「と言っても、そう感じてるのは、蓬田さんだけなんだろうけどね」


 どうにか気まずい雰囲気にならぬよう、俺はつとめて軽い調子を装った。


「汐里ちゃんも見ただろ? 蓬田さんの手首の」


「ああ、あの包帯ですか?」


「そうそう。あれ、蓬田さんが一年のときに、急に付けてきたんだよ」


 俺はむかしのこと思い出す。


「蓬田さんって、昔からあんな感じだったから、クラスじゃけっこう浮いてたんだ。普段は暗い顔して滅多に喋らないくせに授業中は不自然なくらいアグレッシブで、めちゃくちゃ空回りしてて、まあいろいろ悪目立ちしてた。それに対してクラスのみんなは、まあ面白がって笑ったり単に迷惑がったりいろいろだったな。でもとにかく有名人だったのは事実だったと思う」


 蓬田さんの話題が出ない日はなかった。


「それって有名人というより、ただのイタイ子じゃないですか?」


「否定できない」


 苦笑しながら俺は続ける。


「まあそんな感じで注目されがちの蓬田さんだったから、ある日急に手首に包帯を巻いて登校してきたときは、ちょっとした事件みたいになったな。みんな騒然としてたよ」


 当時の教室はかなり騒めいていた。みんなが所々で集まってひそひそと囁き合うなか、蓬田さんは自分の席でひとり険しい顔をしていたのを覚えている。


「いろんな憶測が立ったんだ。妄想なら許されるだろうってみんな言いたい放題だった。すぐ噂が広がって、ほかのクラスの奴らも野次馬に来たりして、あのときはみんなの関心が蓬田さんの手首に集中してたよ。そのうち『リスカちゃん』なんてあだ名がついたしね」


「りすか……」


「本人は気にしてなかったと思う。たぶん急に下の名前で呼ばれ始めたなって、ほんとそれぐらいにしか思ってなかったはずだよ。でも実際はリストカットのリスカだった」


 リストカット、人体の構造なかでもひと際繊細な部分である手首に自ら刃物などで傷を入れる自傷行為。主に強いストレスや苦痛から逃れようとしてする衝動的な行為だ。


「単に呼びやすかったし、言葉遊び楽しさにそう呼ばれたんだ」


「ヒドイ話ですね。なんだか」


「みんなに悪意はなかったよ。当時は俺だってそう呼んでたしね」


 汐里ちゃんが俺を見て言葉を失う。幻滅されてしまったかもしれない。でもあの頃はただ純粋に、みんながそう呼んでるからって理由で呼んでたんだ。


「でまあ、それだけで終わりなら良かったんだけど、授業中はもちろん体育の着替え中とかお手洗いのときとか、あんまり徹底して蓬田さんが包帯を脱がないもんだから、だんだん、包帯の裏がどうなってるのか、見てみたいって奴らが現れてさ」


「な、なんですかそれは。そんな人たちがいるなんて……」


「暇な奴らだったんだ」


 相手が蓬田さんだったこともあるんだろう。みんなが関心を寄せる秘密の第一目撃者になることに一種の名誉のようなものを感じたのかもしれない。俺には理解できないが、背徳的なことに少なくないスリルを覚えるのは若者ならではと言える。


「ただやり方が良くなかった。包帯の裏を目撃するんだって、奴らは帰り道に蓬田さんのあとをつけたり、逆に待ち伏せしたり、居眠りしてるところを付け狙ったりしてたらしい」


「はぁ? ただのストーカーじゃないですか、それ」


 これに関してはフォローのしようもない。俺も当時友達に聞いて眉をひそめたものだ。


「それでも結局見ることができなくて、まあ焦れたんだろうな。もう包帯を濡らしてどうしても脱ぐしかない状況をつくってやろうって考えたそうだ。……まあ、最初は」


「最初は、ってことは……」


「そう。それで大失敗したんだ。美術の時間に使う水を利用して、あやまって転んだ拍子に蓬田さんの手首に少し水をかけるつもりだったらしいが、なぜかそいつはマジでつまずいちまって、結果、持っていた水をぜんぶ蓬田さんの頭にお見舞いしやがった」


 教室に悲鳴が響き、何事かと見てみれば、大量の水を派手に頭からかぶって制服からなにからなにまでびしょびしょになった蓬田さんがいたのだ。


「……」


 汐里ちゃんは両手で口を覆っていた。


「翌日から蓬田さんは学校に来なくなって……まあ、それで話は終わりだよ」


「それは、なんというか……」


「本当はいつでも止められたはずなんだ。それでも俺は、他人事みたいに思って傍観してたんだ」


「……蓬田さんにかまうのは、罪滅ぼしってことですか?」


「そんな大層なもんじゃない。ただあの頃のことが妙に忘れられなくて、だからなんとなく見捨てられないだけ。本当は蓬田さんのことなんかどうでもいいんだ」


 そう、きっとそういうことだ。


「先輩……」


「とりあえず、あの手首の包帯に関しては触れないであげて。俺も包帯の裏がどうなってるのかは知らないけど、たぶん、触れちゃいけない部分だろうから」


「は、はい。わかりました」


 汐里ちゃんは緊張の面持ちで頷いた。



 

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