第5話 お転婆ムスメ
「な、なんだ小娘、いきなり部屋に入ってくるな!」
「どいてください。こんな汚い部屋に先輩を上げるなんて許しません」
「やめろっ、そのコーラはまだ飲めるんだ! って、おい! そこは触るな!」
「あとそれも脱いでください。素顔を隠して話すなんて失礼じゃないですか」
がし、と汐里ちゃんが蓬田さんのお面を掴む。
「ぐぁ! そっ、その手を放せ小娘! 我の魔眼が封印から解き放たれてしまえば、貴様もどうなってしまうかわからないぞ!」
「アホですか。いいからとっとと外してください」
「う、うう! ほんとやめてお願い!」
ふたりはしばらく取っ組み合いをしていた。まあ身長差のせいでほとんど汐里ちゃんに攻勢は傾いていたけど。年下女子に腕力で負けそうになっているなさけない蓬田さんはただ小鹿みたく足をぷるぷると震わせて必死に持ちこたえていた。
「あのー……おふたりさん?」
おれはそんなふたりを複雑な顔で眺めていた。おかしい。さっきまで少し良い雰囲気というか、やっとなにかが前進したような感じがあったのに、気づけば女子同士の喧嘩が始まっていた。一体なにが起こったんだ。
「なぁに騒いどんや? りっちゃん」
「あ」
そこで廊下に姿を現したのは、割烹着を身にまとった見事な白髪頭のお婆さんだった。部屋のなかで蓬田さんが「ばっ、婆ちゃん……!」と声を震わせる。
「なんやお客さんかっ? なんで言わへんかったんや、りっちゃん!」
「ち、違うっ、こいつらが勝手に!」
「言い訳はええではようこっち来んさい! お客さんに茶出すで!」
その後なぜか一階の居間へと通されたおれと汐里ちゃんは、蓬田さんの義祖母にあたる
「悪いなあ。もてなすん遅れてもうて」
「い、いえ、お構いなく……」
俺の隣で汐里ちゃんが借りてきた猫みたく縮こまっている。どうやら蓬田さんとの取っ組み合いを見られたのが恥ずかしかったらしく、よく見れば頬もほんのり赤く染まっていた。
「こちらこそすみません。勝手に家に上がり込んでしまって……」
「ほないに頭下げんでええのよ、お兄さん。うちの孫娘がずぼらなんが悪いんやし。……りっちゃん! ええからはよお茶出しや! 遅いで!」
「い、今やってるから!」
台所のほうで準備をしていた蓬田さんが、やがて湯気立つお茶とお茶菓子をトレイに載せて恐る恐る歩いてくる。すごくぎこちない動きだ。
「なんやそのぺっぴり腰は? なっさけないなぁ……」
「い、今集中してるから! 話しかけないでよ!」
テーブルに菓子を並べていく。伸ばされた蓬田さんの真っ白な手首には依然として包帯が巻かれていた。きっとそれを見つけたんだろう。汐里ちゃんが「あ」と声を出した。
「あれ、それって……」
「っ……‼」
慌てて腕が引っ込められる。
ガシャン! とその拍子にトレイのうえで茶碗が倒れ、熱々のお茶が蓬田さんの腕に引っかかった。
「あ、あっつ⁉」
「なにしとんやりっちゃん!」
「ご、ごめんなさい!」
蓬田さんは涙目で腕を冷やしに行った。
「はぁ……堪忍やでえ、お兄さんたち」
「いや、俺はべつに……」
「せっかく数年ぶりに友達が来てくれはったのに、せわしないったらありゃせんなあ」
「数年ぶり、ですか?」
汐里ちゃんが訊き返す。牧子さんは頷いた。
「せやねん。高校中退してしばらくしてからウチにあの子が来たんやけど、友達はおろか知り合いすら来たためしがなくってなぁ……なさけないことに、あんな調子でずぅーっとひとりで引き篭もっとる」
「高校を中退して、それからずっとってことは……」
「ほとんど五年、か……」
蓬田さんが学校からいなくなってから俺はもう大学三年生になった。そして今高校一年生の汐里ちゃんなら五年前はまだ小学生だ。五年は俺たちにとってあまりにも長い。
そんな果てしないようにも思える長い時間、蓬田さんは家から一歩も出ず、ずっとひとりで家に閉じ籠っていたのか。
なんて言えばいいか、わからなかった。
「母親やっちゅうのに、揚羽はたまにしか一人娘の様子を見に来うへん。ほんまなさけない娘やで」
「ははは……」
「義理の父親のほうはよく来るんやけどな」
「揚羽さんの、今の旦那さんですか?」
「せや」
蓬田さんとは折り合いが悪かったと聞いたけど、やはり再婚相手の娘のことは気になるのかもしれない。少なくとも揚羽さんよりはマメな人なんだろう。
「お兄さん、りっちゃんを説得しに来てくれたんやってな?」
「え? いや、俺は……」
「あの子、アルバイト始めてもすぐに辞めてもうて、最近は探すことも諦めとったんや。ほんま面倒な孫娘やねんけど、なんとか根気強う付き合うたってな。この通りやさかい」
「ちょ……!」
牧子さんが丸い背中をさらに曲げて頭を下げる。俺は慌てて立ち上がった。
「わ、わかりましたから! 頭を上げてください!」
こっちはべつに蓬田さんが来ても来なくてもどちらでもいいとすら思っていたのだ。そんな真摯な気持ちなんて持ち合わせていないのだから、こんなふうに感謝される権利はない。
「……ん? なによ? この空気?」
腕を冷やして戻ってきた蓬田さんが、部屋に満ちる妙な空気を察して首を傾げる。
「あんたもこのお兄さんに頭下げなさい! ほら!」
「な、なんでよ⁉」
**
翌日、大学を終えてすぐ喫茶『スワローテイル』のシフトに入った俺は、常連のお客様方の注文をこなしながら揚羽さんに昨日の蓬田さんとのことを語った。
すると揚羽さんは妙にニヤニヤしながら俺の顔を眺めた。
「ふぅん、それで婆さんに約束しちまったわけか……ま、良かったじゃねえかよ」
「は? なにがですか」
「とぼけやがって。あいつに近づく口実が欲しかったんだろ? おまえ」
「なっ……」
思わぬことを言われ、俺は動揺した。
「なに意味不明なこと言ってんすか? そもそも俺はべつに……」
「強がんなくてもいいって。気持ちはわかってっからよ。いいぜー。そこそこいい雰囲気になったら押し倒してやれよ。母親のあたしが許可する」
「なんもわかってねえだろそれ……‼ ぜんぶ誤解ですよ。俺はただ」
「みなまで言わんでいい」
揚羽さんはひらひら手を振って軽く流す。
「自分は関係ないとか冷たいこと言っといて、結局自分から会いに行ってんだから、おまえってつくづく素直じゃねえよなぁ……?」
「その顔やめてもらえます? 殴りたくなるんで……」
震える拳をどうにか抑える。いつか本当に殴ってしまいそうで怖かった。
「まあ、なんだ。一度引き受けちまったからには、しっかりやらねえとな?」
「……言われなくてもわかってますよ。それぐらい」
カラカラと入り口のベルが鳴る。
俺はすぐさま営業スマイルを浮かべて「いらっしゃいませ!」と声を張った。
夕方頃、バイトを終えた俺はその足で再び竜野家を訪れていた。
ようやく家主の許可も得ることができたので今回はチャイムも鳴らさず堂々と家へと入ることができる。二階に上がって蓬田さんの部屋まで辿り着くとすぐ戸を開けた。前みたく棒を引っかけられて入れなくなったりしても面倒だからな。
「入るよ、蓬田さん」
だが今回ばかりは己の軽率さを恨むことになった。
「………あ」
ここで先に今更だが部屋の模様を説明しておこう。おそらく八畳くらいの広さに少し大きめのベッドが一つ、窓際からは夕焼け色の斜陽が降り注ぎ、木目調の床には以前汐里ちゃんが片付けたにもかかわらず空き缶やお菓子の袋が散乱していた。テレビはなく、代わりにデスク周りに上等なモニターが二つ、高そうなキーボードも完備されていて、おまけによく見ると椅子もただの椅子ではなく大きなゲーミングチェアだった。
とまあそんな感じの、女の子の部屋というには可愛らしさの欠片もない部屋だった。
——で、だ。
本題はその部屋の中央に立っている蓬田さんなのだが。
「へ?」
なんというか、うん、まあ。
簡単に言ってしまえば、下着姿だった。
それも大胆なバンザイのポーズで黒シャツを脱いで、丁度今脱ぎました、とでも言わんばかりの体勢だ。下はまだショートパンツを穿いているが上はもうほとんど丸見え。とくに腰回りは眩しいくらい真っ白で、ウエストは想像以上にキュッとくびれていて、ほっそりとしたお腹には小さなおへそが覗いて、惜しげもなく晒された脇のくぼみが犯罪的だった。
なにより意外にも豊かな胸を包む、フリル付きの真っ黒なブラジャーに目を奪われて……なんでそんな色っぽい下着付けてんだよ蓬田さん……。
「ひっ――」
次の瞬間、甲高い悲鳴が響き渡った。
「ごめんなさい。軽率でした」
数分後、俺は人生初めての土下座を経験していた。
もうこれでもかと言わんばかりに額を床に擦り付けて謝罪の意を表すけど、蓬田さんはミノムシみたく布団にくるまって黙り込んだままだった。
「さすがに今回は俺が百悪いです。ほんとに」
「……」
布団の隙間から顔を覗かせる蓬田さんは頬を赤くしながら俺をにらむ。
「いやマジで、俺にできる償いならなんでもするからさ。許してくれない?」
「謝罪が足りない。誠意も足りない」
「ハイすみませんでした!」
三度額を床に擦りつける。
「もう二度と許可なく部屋に入らないから、機嫌直してくれ」
「ふん……」
大きく鼻を鳴らす。なんとか許してもらえそうだった。
「それで……ど、どうだったのよ」
「え、なにが?」
「み、見た感想」
「えぇぇ…………」
俺は開いた口が塞がらなかった。蓬田さんはまるで彼氏のために作った手作り弁当の感想でも聞くようにもじもじと動きながら俺の回答を待っている。
なんの罰ゲームだこれ。てかそんなこと聞いてどうするつもりなのこの子? 録音でもして脅迫材料に使うつもりなの?
「は、早く言いなさい!」
命令が下った。どっちにしろ今の俺に拒否権はない。
「えっと、その……思ったより、良いモノを、お持ちだなと」
「い、良いモノ?」
「ああ。胸とか」
「ッ……⁉ へっ、変態ッ‼ 死刑‼ 極刑‼」
「そっちが聞いたんだろ……」
解せない。命令に従っただけなのに。
「というか蓬田さんはなんで脱いでたんだ? 実は裸族とか?」
「い、今からお風呂だったの! 変態と一緒にするな!」
「風呂って、ちょっと早くないか?」
「入らないと婆ちゃんに怒られるだもん。今は趣味のゲートボールに行ってるからなにも言われないけど、帰ってくる前に入っとかないと面倒なことになるし」
蓬田さんは気まずそうに視線を逸らす。風呂嫌いなのか。猫みたいだな。
「ちゃんと毎日入らないとダメだろ、蓬田さん」
「はっ、入ってるし! 不潔みたいに言うなし! ただゲームに熱中しすぎると、ちょっと忘れちゃうだけで」
「ゲーム?」
俺が首を傾げると蓬田さんは布団から出て、てとてととデスクのほうへ歩いていった。モニターの電源をつけるとすぐにゲーム画面を表示して俺に見せてくれる。
「ふ、普段はFPSだけど、今は格闘ゲームをしてたの」
「あー、『ロードファイター5』じゃん。俺やってるよ、これ」
俺が頷くと、蓬田さんは弾かれたように顔を上げた。
「ほ、ほんと⁉」
ぐいっと顔を近づかせてくる。その勢いに俺は少し驚いた。蓬田さんはくわっと目をかっぴらいて、もはや血走ったような眼差しで俺を凝視している。小ぶりな鼻がぴくぴく動いて、ちょっと摘まんでやろうかなんて思ったりしながら、俺はもう一度大きく頷いてみせた。
「うん。仲間内でだけど。みんなでやったらけっこう楽しいよな、こういうの」
「……」
……なんか、急に物欲しそうな子犬みたいな表情になった。
猫みたいだなと思えば子犬みたくなったり、蓬田さんはいろいろと忙しい。
「よかったら、一緒にやるか?」
「こっ……コントローラー持ってくる! となりの部屋にあったはずだから!」
「ああ……うん」
「ま、待っててね! 絶対だからね!」
二つ結びにした緑色の髪を揺らしながら蓬田さんは部屋を出ていく。幻だろうか。俺にはその小さなお尻に、ふりふりと嬉しそうに揺れる尻尾が見えた気がした。
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