第4話 遠回りの再会


 そしてその日の夕方、西の空が赤く染まり、町が茜色の陽光に包まれた頃。


 俺は今、見知った通りをただ黙って歩いていた。


 元々大学の講義が終われば、すぐに帰宅するつもりだった。俺が住むマンションはここから近いところにあるし、だからなにもおかしいことはない。


 そう。なにもおかしくない。


「あれ? もしかして、先輩ですか?」


「えっ」


 通りでばったり出くわしたのは制服姿の女子だった。俺の姿を見るや小走りで駆け寄ってくる見覚えのあるクリーム色の髪がさらさら揺れる。汐里ちゃんだ。


「汐里ちゃん」


「奇遇ですね! こんなところで会うなんてっ」


 嬉しそうにはにかむ後輩女子に、俺も慌てて笑顔を取りつくろう。


「うん。そうだね……汐里ちゃんは、今帰り?」


「はいっ。部活も終わったので」


「部活って、たしか陸上部だったっけ?」


「ですです。覚えててくれたんですね、先輩!」


「まあそりゃ、ね……」


 挨拶を交わす一方で俺はどうしようかと焦りを覚えていた。いや、べつにここでバイト先の後輩に会ったところで困ることなんてない。……ないんだけどさ。


「先輩のほうこそ、こんなところでどうしたんですか? ハッ、まさか、わたしに会いに来てくれたとか?」


「ああ、いや……違うけど」


「そうですかー、残念です。じゃあなんでですか?」


「えっと……そう、揚羽さんに呼ばれてさ」


「店長、ですか……? でもお店は反対方向ですよね? しかも今日は休業日じゃ……」


「あー、いや違った。ごめん、ただ単に今から家に帰ろうとしてたんだよ」


「たしかに如月先輩のマンションは大学の近くにありますけど、この時間ならいつもは最短で帰ってますよね? この道はすごく遠回りだと思いますけど?」


 なんでそんなに詳しいんだ……!


「そう、だっけかな? ハハハ……よく知ってるね……」


 汐里ちゃんが訝しげに見つめてくる。背中に冷や汗が流れた。


「……もしかして」


 はっと思いついたように汐里ちゃんが言った。


「前に言ってた、新しいアルバイトさんのおウチ、ですか?」


「な……」


 なんで汐里ちゃんがそのことを知ってるんだ。


「やっぱり……店長に聞きました。たしか元同級生さん、なんですよね? しかも女の子で、おまけにけっこう可愛い子だとか?」


「し、汐里ちゃん?」


 気のせいだろうか。なんだか今、汐里ちゃんの瞳がキラリと光ったような。俺が曖昧な反応していると、汐里ちゃんは険しい顔でぶつぶつと呟き始めた。


「思わぬ伏兵ですね……これは由々しき事態ですよ、汐里……」


「え、どうしたの?」


「いえ、なんでもありません! そういうことなら、わたしも付いて行きますよっ、先輩」


「えっ、なんで? というか、俺はまだ蓬田さんのところに行くなんて一度も」


「蓬田さんというのですね。その方は」


 俺の声は一切届いていないらしい。汐里ちゃんは真剣な顔で頷くと、迷いのない足取りで歩き出す。俺は慌ててそのあとを追った。






 ゆくゆくは同じ場所で働くことになるかもしれない相手なので、同僚として職場の先輩として、今のうちに一度挨拶をしておきたいんです。


 と、そんなふうに言われては俺も断ることはできなかった。


 なんだか無理やり押し切られたような気もするけどしょうがない。むしろ過度に遠慮したり頑なに拒否するほうが余計に怪しまれそうだ。


 まあ怪しまれたとしても、こっちには後ろめたいことなんて一つもないのだが……。


「なんで俺、こんなに焦ってんだ……」


「なにか言いましたか? 先輩?」


「な、なんでもない」


 そんなわけで後輩女子と肩を並べて歩くこと数分、蓬田さんの家に到着したのだった。


「え? 嘘ですよね? こんな凄い家が、店長の実家とか……」


 汐里ちゃんは俺とまったく同じ理由でショックを受けていた。


 わかる。やっぱ信じたくないよな……。


 屋根付き門扉を潜って庭を抜け、さっさと玄関の前まで来ると、俺は前と同じようにチャイムを押す。しかし当然のように反応はない。


「……だれも出てきませんね?」


 俺は心のなかでため息をつくと、迷いなく行動を起こした。


「先輩、なんで勝手に扉を開けているんですか……?」


「ここはそういうところなんだよ。汐里ちゃんも覚えておいて」


「ええぇ……」


 若干後輩から引かれた気がしたが、躊躇いなんてとう捨て去っている。俺はぐんぐんと家を練り歩く。困惑していた汐里ちゃんも置いて行かれたくはなかったのか後ろからついてきた。


 そして二階の廊下、例の蓬田さんの部屋の前へと辿り着く。


「蓬田さん、いる? 俺、如月だけど」


 声をかける。


 すると戸の向こうで、ドタドタッと大きな物音がした。


「……き、貴様! また勝手に上がり込んできたのか⁉」


 口調が変わっていた。たぶん慌ててあのお面を付けたんだろうな。焦った足音が聞こえたかと思えば、戸越しに長い棒のような影が見え、それが戸に引っかけられた。


「やっぱりいた……どうして出てきてくれなかったんだよ」


「先輩、もしかしてこの声の人が……」


「ああ、うん。蓬田さんだよ。蓬田りすかさん」


 姿は見えないが一応紹介すると、汐里ちゃんは複雑な顔で扉を見上げた。


「蓬田さん、とりあえず開けてくれない? 勝手に入ったのは悪いと思ってるからさ」


「思ってないだろ絶対! ていうか今もうひとり声がしなかったか! だれだ⁉ 揚羽か⁉」


「初めましてー、漆原汐里です。近くにある大宮高校に通っています。揚羽さんにはアルバイト先の店長としてお世話になってます。よろしくお願いしますっ、蓬田さん」


「えっ? ああ、これはご丁寧にどうも……」


 戸越しに挨拶を交わし合っている。めちゃくちゃシュールだった。


「……って、そうじゃないし! 揚羽の店の件なら前に断っただろ! だれともよろしくするつもりなんかない!」


「え? そうなんですか? 先輩?」


「ああ、まあ」


「じゃあもう一度説得しに来たってことですか?」


「いや、俺はべつにそういうつもりじゃ」


「じゃあなんで来たんだ!」


「そっ……それは」


 なんでだ?

 なんで俺はまた、ここにいるんだ?


「……先輩?」


 蓬田さんのことなんてどうでもいいはずだった。他人のために奔走することなんかより、自分のために時間を使ったほうがよっぽど有意義だって、そう思ったはずなのに。


 まるでいざなわれるように、どうして俺はまた蓬田さんに会いに来たのか。


 いや、そうか。


「話を、しようと思ったんだ」


 簡単な話だ。


「……話?」


 これが、自分のためだったから。


「うん。話」


「フ、ふんッ、貴様と話すことなんて、これっぽちもないな!」


「俺にはあるんだ。話しておきたいこと」


 んむ……? と戸越しに戸惑いが伝わる。


 汐里ちゃんも隣で首を傾げていた。


「まだ全然まとまってないんだけど、聞いてくれる?」


「フ、ふんッ! 聞く義理はない! 侵入者の話など!」


 にべもなく拒まれる。かと思ったが。


「た、ただ……そっちが話したいのなら、こっちに止める手段はないな! 勝手にすればいい! と思う!」


「あ、ありがと」


 変な笑いが込み上げてきた。でもここで笑っちゃうと、いよいよ怒らせて話も聞いてもらえなくなるだろうから、内心だけで押しとどめておく。


「蓬田さんはさ、高校のときこと、どれくらい覚えてる?」


「……話し相手になってやると言ったつもりはないぞ」


「そう、まあいいや。俺はけっこう覚えてるんだよ。あの頃のこと」


 俺は冷たい廊下のうえであぐらを掻いた。


「悪くない学校生活だったよ。理数科は三年間同じメンバーだから、クラスの団結力も強くて、いろいろ助け合ってやってこれたんだ。おかげで勉強はけっこうできたし、学園祭の演劇も裏方だったけど割と楽しめたし、体育祭のリレーもアンカーに抜擢されたりして、なかなか活躍できて、それを先生に褒められて、みんなもチヤホヤしてくれてさ」


「じ、自慢? これ自慢か?」


「自慢ですね」


「ハハ……俺もちょっと思った」


 女子ふたりからドン引きされてしまった。


「でもそうじゃないんだよ」


 そう、そうじゃないんだ。


「充実した三年間だったのは間違いないんだけど、それでも俺、ずっと虚しかったんだ。なんか物足りないっていうか、おもしろくないっていうかさ」


 なんて言えばいいか、今もわからないんだけど。


「だから卒業式の日も、まったく悲しくならなくて。楽しかった学校生活が終わりを迎えるんだってみんな泣いてるのに、俺は全然そんなことなくて、涙なんか一滴も出なかった。マジで寂しくもなんともなくて、それが思ったよりショックでさ」


「先輩……?」


「だから、まあ? その、なんていうか……」


 妙に気恥ずかしくなって、ぽりぽりと頬を掻く。


 それでも俺は絞り出すように言った。


「もし蓬田さんがいたら、きっと、もっと楽しくなったんだろうなって、思ったよ」


 俺は扉を見上げた。


「もっと、特別な学校生活にさ」


 あのまま不登校になることもなく、ずっと蓬田さんがクラスにいてくれてたら、もっと違う学校生活になった気がする。


 そんな、一生叶うことのない、今更すぎる本音だった。


「…………蓬田さん?」


 反応がかえってこない。


 物音一つしなくて、俺はふと不安を覚える。


 しかし束の間、ゴソゴソと物音がしたかと思えば、戸の向こうで棒の影が取り除かれて、そして、ゆっくり戸が開いていった。


「……ほんと?」


 ひょっとこのお面を付けた蓬田さんが、戸の隙間からひょっこり顔を覗かせる。「うわっ……!」と隣で汐里ちゃんが驚いた。


「うん。ほんとだよ」


「……そっか」


 俺たちはしばらく黙って向かい合っていた。蓬田さんはお面を付けているせいで表情は窺えない。俯いているのか正面を見ているのか。とにかく神妙な雰囲気で黙り込んでいたが……。


「「うおっ」」


 唐突に蓬田さんが顔を上げたことで、俺と汐里ちゃんは揃って驚く。


 かまわず蓬田さんは部屋のなかへ入り、以前見たカラフルなウォーターガンを胸に抱いて戻ってくると、それを俺の前に差し出した。


「受け取れ! 新兵!」


「え、なっ、なに?」


「厳正なる審査の結果、貴様は我の子分に相応しい者であると認められた! ゆえにその証である! 喜ぶがいい!」


 ぐい、と押し付けられて、俺もわけも分からずそれを受け取る。


「それを授けている間は、我と貴様は一心同体、固い絆で結ばれた同士である! この契りを汚す者あれば迷わずその引き金を引くがいい‼」


 精一杯厳かな声で言う蓬田さんを見上げながら、俺は唖然とするしかなかった。


「子分なのに同士なんですか?」


「そ、それは……ご愛敬だ!」


 ふと、両手に持ったウォーターガンを俺は見つめる。買ったばかりなんだろう、傷一つないウォーターガンは真新しくて、思っていたよりもずっと軽くて持ちやすい。


「この人チョロくないですか」


「なっ、こっ、この小娘がッ‼」


「わたしよりあなたのほうが小さいですけど?」


「うう……‼」


 友情の証ってことなのかな、これ。

 なんか……うん、ダメだ。


「……はは」


 もう我慢できない。


「っ、ふふ、ふっ、はははっ……!」


「せ、先輩?」


「ははッ……蓬田さんって、ほんと、はははっ……!」


 なんだか可笑しくなって、俺は泣き笑いした。


「な、なんだ! なぜ笑う……?」


「ごめん……でも、くっ……ははッ、お腹痛い……」


 不思議そうな目で見てくる蓬田さんの前で、俺はしばらく大笑いした。


 こうして。


 俺と蓬田さんはやっと再会を果たしたのだった。



 

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