第4話 エレベータの悪夢
世間では、そんな問題を抱えている状態であったが、問題のマンションで、その翌日、一人の他殺死体が発見された。
発見したのは、新聞配達員で、早朝4時頃には、このあたりの配達をしていたのだ。
自転車を表に置いて、そのままいつものように、オートロックの前のエントランスから、集合ポストに回り込もうとした時、ちょうど、奥のエレベーターが見えたのだ。
どうやら、エレベーターは開いているようで、さらにその向こうの昇降ランプが、点滅しているように見えた。
「何かおかしい」
ということで、よく見ていると、エレベーターが、途中まで閉まったかと思うと、すぐに何かにぶつかり、また開いてしまう。
少しして、また閉じようとするが、結果は同じこと。つまり、
「ただ、開閉を繰り返している」
というだけのことだった。
ただ、何かがおかしいと分かってはいたが、
「何がおかしいのか?」
ということは、すぐに気づきはしなかった。
そのことに気づいたのは、
「おかしい」
ということが分かって、何かに引っかかっているそれが何かということが分かってのことであった。
そこには、誰かが倒れていて、そこに引っかかって閉まろうとしているのを、妨害していることであった。
「誰かが倒れている」
と思ってから、少しして、
「何かがおかしい」
という、その、
「何か」
という正体が分かった気がした。
というのは、エレベーターというものの、そもそもの構造を考えたからだった。
「エレベーターは、ある一定の時間開いているか、閉まるというボタンを押すことでも、閉まるのだ」
という基本的な構造に気づいたからだ。
というのは、そのエレベータは、転がっている人に当たって、一旦開いた。普通であれば、誰も閉まると押しているわけではないので、一旦全開になると、そこからは、しばらく開いているはずであった。
しかし、このエレベーターは、すぐに閉まってしまい、また、物体に接触して、すぐに開くのである。
つまりは、
「開くと閉じるというのを、同じタイミングで繰り返している」
ということであり、それが、最初は、
「何か違和感を感じる」
と思いながらも、その理由が何なのかということが分かっていなかったのだった。
とにかく、誰かが倒れているということは分かったが、オートロックなので、どうすることもできない。かといって、そこに倒れている人が本当はどういう状態なのか分からないので、迂闊なことはできない。警察を呼ぶのも危険だと思ったので、とりあえず、オートロックのところにある、非常ボタンを押した。その横には、インターホンがあったが、これは、各部屋に繋がっているものだと思ったので、最初は触らなかったが、非常ボタンを押した瞬間に、その電話がコールを始めた。
「わっ」
と思って驚いた配達員だったが、電話に出て見ると、
「こちら、○○警備、どうされましたか?」
という返事が返ってきたので、配達員は、
「あ、警備会社の人ですか? こちら新聞配達の人間なんですが、どうも、エレベータのところで人が倒れているみたいなので、とりあえず、非常ボタンを押しました」
というと、
「警察には知らせましたか?」
と言われたので、
「いいえ」
というと、
「大至急知らせてください。我々も、すぐにそちらに向かいます」
ということであった。
明らかに大げさになってしまったが、警備会社がそういうのだから、その指示に従うしかないだろう。
元々、気になっていたのに、警察を呼んでいいものかと思っていたモヤモヤがなくなる分だけいいのかも知れない。
電話を切って、110番を押した。
すると、警察も連絡を取ってくれて、すぐに来るという。
配達員は、エレベーターを見ている限りでは、明らかに、倒れている人は身動き一つしない。
「ひょっとして、ずっと誰かが倒れていると思っていたけど、実際には、人間ではなく、何かの物体なのかも知れない」
とも思った。
それならそれで、ホッとするのだが、今度は、
「人間ではないかも?」
と思うと、逆に見ているうちに、人間にしか見えないと思えてくるから、不思議なことであった。
まずやってきたのは、警備会社の人であった。制服にヘルメットという装備は、いかにも、コマーシャルで見たいでたちで、早速話を聴かれた。
「人なのかどうなのかも自信がなくなってきたんですが」
というと、
「分かりました、確認してみましょう」
といって、オートロックを、キーで解除して、エントランスに入った。
早速中に入ってみると、そこにいるのは、果たして、人間だったのだ。
その表情は、断末魔に見えた。完全にどこかの虚空を見つめていて、まったくどこを見ているのか分からない状態は、
「完全に死んでいるんだろうな」
としか思えないのだ。
「警察には知らせましたか?」
と聞かれたので、
「ええ、誰かが倒れているように見えるので、通報しましたと言いました」
というと、
「ええ、それで正解です。警察もすぐに来るでしょうね」
と言っているうちに、マンションの前に、赤い光が点滅しているように見えたのは、パトランプが回転しているからだったのだ。
パトカーから数人の刑事が下りてきて、
「どんな状態ですか?」
と聞かれたので、警備員が、
「どうやら、死んでいうようですね」
と、平気な顔をして答えた。
どうやら、こういう場面は慣れているのか、慌てることもなく、警察の質問に答えていた。
さすがに、実際にどうなっているかというところを怖くて見る気にもなれなかった配達員だったが、
「死んでいるようだ」
と言われて、第一発見者としても、見ておかないといけないと思って、覗き込んでみた。
「明らかに死んでいる」
と感じたのだが、それは、先ほど警備員が感じたのと同じ意識をその表情から感じたからだが、死んでいる人の胸には、ナイフが突き刺さっていて、胸から、鮮血が流れ出ているようだった。
まだ流れているように見えるところから、
「死んでそんない時間が経っていないとおうことか?」
と感じたのだが、それは、逆に言えば、
「ひょっとしたら、犯人とすれ違った可能性もあったということか?」
と考えると、怖くなってきたのだった。
刑事は、念のために鑑識もつれてきているようだった。
こちらも、警備員に負けず劣らずの装備をしていて、早速、検死に入っていたのだ。
いつの間にかまわりに、黄色い、
「規制線」
が張られ、いかにも、
「事件現場」
という様相を呈していて、もし、これが、もっと遅い時間であれば、このあたりに、たくさんの人だかりができていることは、容易に想像がついた。
刑事は、とりあえず、他の応援も呼んだようで、この現場が明らかに、
「殺人事件現場」
であるということは、間違いなかったのだ。
鑑識が見る限り、
「犯行時間は、今から2時間以上前ということですね?」
というと、
「ハッキリとした時間は分からないんですか?」
と言われると、
「どうやら被害者は、刺された後、少しだけ虫の息でありながら、生きていたようなんです。だから、被害者が絶命した時間は、解剖でハッキリするでしょうし、ここでも大体は分かりますが、刺されたという、いわゆる犯行時間は、今のところハッキリとしないということですね」
と、鑑識は言った。
なるほど、被害者が苦しんだ様子が見て取れる気がする。刺されてから絶命するまでに時間が掛かったということは、それこそ、
「この事件が、残虐性のあるものだ」
ということの証明であろう。
それともう一つ、先ほどの扉の開閉の疑問が近づいてみると分かった。
というのも、
「エレベーターの開閉ボタンの閉ボタンを、誰かがセロテープのようなもので、止めていた」
というのが原因だった。
子供騙しであったが、それだけに、
「このことにどういう意味があるのか?」
と考えると、不気味な気がした。
「理由が分からないというのは、不気味だな」
と、配達員は感じた。
しかも、普通であれば、元々が窪んでいるので、わざわざ何かスポンジのようなものをあてがってその上から閉ボタンを留めている。最初から計画のうちだということであろう。
刑事も、
「これは何のためにしたんだろうか?」
ともう一人の刑事にいうと、
「何でしょうね? こんなことをしていれば、上から呼んでも上にはいかないでしょうからね?」
ということであった。
「でも、もう一台ありますよ」
と一人の刑事がいうと、
「ああ、そうだね。でも、ちょっとおかしな気がするんだけど」
という。
「というと?」
と聞くと、
「だって、こっちのエレベーターには、3回までしかありませんよ」
というのだった。
それを聞いたもう一人が、
「それをいうのであれば、こっちの開いているエレベーターだって、3階を示しているじゃないか?」
という。
このビルの構造を知っている人であれば、
「ふーん、そういうことか」
と思うだろう。
警備員は、もちろんのことながら、新聞配達員も、毎日来ているのだから、それくらいのことは分かっていて当然だった。
警備員が、このビルの歪な構造を警察に説明していた。
「ということは、このビルは、3階がエントランスで、ロビーのようになっているけど、正面玄関の土手の部分から見れば、1階にしか見えないということで、地下2階があるという錯覚を受けるのかな?」
と、刑事が言った。
「ええ、そうですね。このあたりは昔から、山の麓に街ができている形になっているので、山から流れ出る川が結構たくさんあるんです。これくらいの一級河川は、一キロくらいにまんべんなくあるような感覚で、こういう感じの土手に建ったマンションというのも、珍しくはないんですよ」
ということであった。
すると、もう一人の刑事が、
「ああ、そうですね、このあたりは、天井川というのも、結構あったりしますからね」
というと、警備員が、
「まさしくその通りです。このあたりは昔から水害が多いところだったので、それなりに、街中でも、いろいろな工夫がされているところが多いんですよ」
というのだった。
「天井川というのは?」
と、よくわかっていない刑事が聴くと。
「このあたりは、昔から鉄道が結構早い時期に施設されていたのですが、川を鉄道の下で通すと、途中が急になってしまう懸念があるので、鉄砲水というものの危険を考えて、鉄道を敢えて、川の下に通すという工事をしてきたんです。それを、天井川というようになったんです」
と説明した。
配達員も、そのことは分かっていたので、話を聴きながら、
「うんうん」
と、頷いているのであった。
「そうか、いろいろと工夫がされているんだな?」
と聞くと、
「ええ、このあたりは、戦前に鉄砲水の被害が深刻だったことで、山からの水の流れには敏感なんです。だから、土手をそのままにしたうえでのマンション建設というものも必要になってきたんですよ」
と、警備員が説明した。
「じゃあ、この建て方にも、何か意味があるのかな?」
と聞かれたが、
「そのあたりは、専門家ではないのでハッキリと分かりませんが、今は、建設技術も、災害に対しての対策も取られているので、大丈夫なようにしていると思いますよ」
と答えた。
しかし、その言葉にどこまで信憑性があるか分からない。
実際に、地震による耐震基準に満たないマンションが、散見されているのを考えると、
「どこまで手抜き工事をせずにやれているか?」
ということであった。
逆にいえば、
「手抜きさえなければ、安心なんだ」
ということになるのだろう。
「専門家が計算し、その通りに作ってさえいれば大丈夫だ」
ということは、実際の実験でも証明されていることであろう。
ただ、世の中のゼネコンというものが、どのような仕組みになっているのか分からないが、
「政治家との癒着」
などという、
「グレーなウワサが飛び交っている」
ということも、まんざらでもないようだった。
それを考えると、
「何を信じていいのか分からない」
ということになる。
実際に、前述の、
「自費出版詐欺事件」
「老人を標的にした詐欺事件」
さらには、
「霊感商法などの手口を使った詐欺を行っている。政治家とズブズブの団体」
というものを考えると、
「ゼネコンの手抜き工事」
などは、日常茶飯事なことではないか?
と思えてならないのだった。
ただ、このマンションが、
「手抜きかどうか?」
というのは、今のところ関係のないことであり、目の前の事件が、大切であった。
「何か身元を証明するようなものは見つかったかい?」
と言われ、
「何とも言えないですね、免許証が見つかったわけではないですからね」
というのを聴いて、配達員が、
「あっ、そういえば」
と言い出した。
「どうしたんだね?」
と聞かれたので、
「集合ポストに引っかかっていたんですが、これは何でしょうね?」
といってそれを見せたのだが、それは、集合ポストの一人の入り口に、真ん中で支えるように、パスケースが引っかかっていたのだ。刑事はそれを取って中身を見ると、キャッシュカードや免許証、定期券などが見つかったという。
「住所を見る限りでは、マンションの住人のものではなさそうだ」
ということで、早速免許証の写真と、被害者の顔を見比べてみたが、
「どうやら、本人のもののようですね?」
ということであった。
なぜ、あんな場所に引っかかっていったのか分からなかったが、犯人が、ポケットを漁って、そこから抜いて、あそこに引っ掛けたのだろうか? 実におかしな行動であるとしか言えないのだった。
集合ポストに引っかかっていたものを、今から思えば触ってしまったことを、
「しまった」
と思った。
しかし、警察も分かっているのか、
「あとで、指紋の採取にご協力ください」
と言いながら、
「大丈夫ですよ、疑っているわけではありません、あなたが、今手で触ったので、あなたの指紋がついていますからね」
と言われたのだ。
しかし、その時、ふと、前に読んだミステリー小説を思い出した。
その話も指紋関係の話だったのだが、その話自体は、かなり昔の時代設定で、書かれたのも戦後すぐくらいであった。しかもその時代設定が、ちょうど、戦前の、しかも、大正時代から後の、いわゆる、
「東京の街全体が、焦げた臭いがまだ残ってるようだった」
という説明があったのが、印象的であった。
というのは、その設定というのが、ちょうど、大正時代の末期くらいだったので、その少し前に、
「未曽有の大災害」
があったではないか。
というのも、その時代に起こったことは、
「大日本帝国で、2度目の戒厳令が発令された時」
だったのだ。
つまりは、いわゆる、
「関東大震災」
が起こった時で、ほとんどの家が焼け落ち、皆。大八車に荷物を載せ、逃げ回っている時であった。
しかし、よく考えてみると、
「よく大八車を用意して、家財道具を積み込んで逃げることができるな?」
ということであった。
普通であれば、火がいつまわってくるか分からないのに、よくも逃げられるというもので、そんな状態の中、必死に逃げている人がたくさんいるのに、よくぶち当たりもせずに、走れるものだ」
と思うのだった。
そんな時代のことであったが、ほとんどの家が焼けて、皆避難する。もちろん、避難所になっているところにたくさんの人が逃げ込んでいて、ごった返している状態で、必死になって生きることだけを考えていただろう。
少し落ち着いてくると、今度は親戚などを頼って、帝都や横浜などの街から、どんどん、大阪だったり、名古屋などに疎開するような形になると、帝都の人口は一気に減ってくる。
そのうちに、復興が始まり、まだ燃え落ちなかった場所もあるので、そこに住んでいる人が街に残る形になるだろう。
その後に起こった大東亜戦争などであれば、
「東京が火の海になったからといって、近くの都市に疎開という形を取ると、今度は数日後にそっちが大空襲に見舞われる」
ということで、
「日本中、どこに逃げても逃げられない」
ということであれば、一体どうすればいいというのだろう。
大震災の時は、それでも、まだ東京に残っている人たちがいて、その人たちだけで、帝都の火をともしている形になっていた。
そんな状態のまるで、それまでと比べて、ゴーストタウンのようになった街で、夜などは、真っ暗な中、丑三つ時などは恐ろしかったであろう。
しかし、実際には、夕方が怖いということを、この時ばかりは思い知らされた。
夕方の日が暮れる寸前というのは、
「夕凪」
という風が吹かない時間が少しだけある。そんな時間は不思議と事故が起こることが多かったりして、そんな時間帯のことを、まるで、
「魔物に出会う時間」
ということで、
「逢魔が時」
という時間帯があるのだった。
そんな時間帯に、小説の中では事件が起きた。
というのも、発見されたのは、それからかなり時間が経ってからのことだったが、殺されたのは、その時間だったということはハッキリしたからだった。
なぜ、この時間だったのかというと、その死体が発見された時、部屋の中は薄暗かったからだ。そこは、長屋になっている一帯で、古本屋であったり、写真館でああったりと、それぞれに商売を営んでいるような長屋だった。
そのうちの一軒のお店の奥が、普段なら電気がついているはずの奥の部屋に電気がついておらず、しかも、店は開店したままだった。
このままなら、泥棒し放題という感じで、さすがに一人が気になって、店の奥の住居に声を掛けたが、誰も反応がない。
二人いたので、顔を見合わせて、
「どうしたんだろう?」
と言っていたが、そのうちの一人が思い余って、
「中に入ってみよう」
と言い出し、扉を開けると、当然部屋の中は真っ暗であり、急いで裸電球のスイッチを入れた。
ソケットに電球を差し込んだだけの、簡易な電気で、大正時代なら、これが普通だったのだろう。
すると、そこには、首を絞められて死んでいる人がいるではないか?
死亡推定時刻なども調べられたが、どうやら、死亡推定時刻は、
「電気を切っていれば、真っ暗な状態だったはずで、電機は少なくともその時についていた」
という結論になった。
となると、電気の指紋が確認されたが、指紋は一種類しか発見されなかった。
というのは、怪しいと思って最初に飛び込んでつけた人間だった。
ただ、これはあまりにも不自然だ。犯人は、なるべく自分が犯人ではないということを警察に思わせようと、最初にわざと指紋をふき取り、あたかも、そこに犯人が残しておいた指紋を消したかのようにして、その後わざと第一発見者として、もう一度指紋をつける。
もし、拭き残しがあっても、再度つけた指紋かどうかということは、大正時代に分かるわけもない。しかも、
「犯人が、自分で殺しておいて、わざと戻ってくる」
というようなことをするわけはないという理屈からも、
「第一発見者を犯人だとは思われない」
と警察に思い込ませようとしたのだ。
確かに、
「第一発見者を疑え」
というのは、よくあることであった。
しかし、だからと言って、形式的には疑ってしまう。それでも、警察のような通り一遍の捜査しかしていなければ、なかなか犯人に辿り着くことができないだろう。
ちょうど、そこに、素人探偵と呼ばれる男が現れて、あっという間に事件を解決していったのだが、やはり犯人は果たして、第一発見者であった。
ただ、この男は、事件で見えてきたほどの天才犯罪者でも、大胆な犯行を犯すほどのち密な計算ができる男でもなかった。
自分で、入ってきて第一発見者になったのも、電球に指紋を残したのも、
「ただの偶然」
であり、
「困ったやつだ」
といつも言われているような、ある意味あわてんぼうで、危なっかしい人間だったのだ。
それでも、偶然というものが、何度も重なると、完全犯罪にちかづくというもので。もちろん、完全犯罪には程遠いものであったが、逆に、
「もし、完全犯罪を成し遂げるやつが出てきたとすれば、それは意図したものではなく、偶然が招いたものだ」
ということになるのではないだろうか?
この事件を担当した刑事はそう思って、探偵が謎解きをしているのを、黙ってみていたと小説では書いていた。
そんな話を今回の事件の捜査に当たっている、K警察の桜井刑事は、思い出していたのだった。
桜井刑事は、昔の探偵小説が好きで、よく読んでいて、自分の担当した事件と、昔の小説とがたまに重なってしまうということを意識していたのだった。
ところで、今回の事件における不可思議なことはいくつかあった。
まず、
「どうして、犯人は、被害者をエレベータに引っかかるようにしたのだろうか?」
ということであった。
これがわざとであることは当たり前のことで、何といっても、扉が締まったり開いたりするように、エレベーターに、細工を施していたからだ。
もっとも、その仕掛けにどのような秘密があるのかということは、その時は、誰にも分かるはずもなかった。
もし、その理由が分かるとすれば、それは、
「犯人が捕まってから、犯人の自供によるものなのか?」
あるいは、
「その理由が分かったことが、犯人を特定するものになるのかであるが、少なくとも、今は、不可解ではあるが、事件の中で数少ない手掛かりになることだ」
と言えるであろう。
「でも、あのエレベータの仕掛けに何か理由があるんでしょうね。桜井刑事はどう思われますか?」
と、桜井刑事に聴いたのは、刑事になって4年目の、まだ若手といってもいい、迫田刑事が、ベテランの桜井刑事に聴いた。
「迫田君はどう思うかい?」
と逆に聞き返した。
すると、迫田刑事は待っていたかのように言った。桜井刑事はどうやら、そんな迫田刑事の性格を把握しているようだった。
「そうですね。私の考えとすれば、犯人は早く死体を発見させたかったんじゃないでしょうか?」
というと、
「どうしてなんだい? 普通、犯人は、死体発見を遅らせるようにわざとするんじゃないかな?」
と桜井刑事がいうと、
「どうしてですか?」
と聞くと、
「犯人の心理としては、犯行を行ったら、なるべく早く、犯行現場から離れたくなるものだろうし、死体発見が遅れれば、それだけ死亡推定時刻が曖昧になる」
というと、
「じゃあ、逆を考えればいいんじゃないですか? 犯人がその場方立ち去りたくないのは、自分は、犯人ではないと思わせるために、遠くに逃げたりせずに、その場にとどまっているというパターン、さらに死亡推定時刻を曖昧にしたくないのは、死亡推定時刻を完璧なものにする必要があった。つまり、その時間には、犯人は何らかのアリバイがあったということなのかも知れませんよ」
というと、
「なかなか面白いね。まるで探偵小説を読んでいるようだ」
と、皮肉っぽく桜井刑事は笑ったが、その時、またしても、例の大正時代の小説が頭に浮かんできた。
「だけどね、今回は発見したのが、新聞配達の人間だったから、ああいう発見のされ方だったけど、もし、新聞配達のにいちゃんが、発見していなかったら、どうなったと思う?」
と聞かれた迫田刑事は、
「うーん、そうなると、このマンションお住民で、出勤のため、エントランスに降りてきた人が最初に発見することになるんでしょうね?」
と、迫田刑事がいうと、
「そうなんだよ。だけどね。このマンションは迫田君も気づいていると思うけど、歪な設計になっている。つまり、土手と反対側のいわゆる地階に関しては、コンビニが仕切っているのであって、住居はあくまでも、地上二階から上になっているんだよ。だから、ここのエレベーターは、住居側から呼ぶと、地階までいくエレベーターが優先するはずなんだ。それが死体で塞がっている。いつも利用している人は変だとは思わないのかな?」
ということだった、
「それが何を意味しているんですが?」
と迫田刑事は聴いたが、
「今のところ、あまりにも事件が漠然としているので、何とも言えないんだけど、そのあたりにも何か事件のカギを握るものがあるのではないだろうか?」
と桜井刑事は言った。
そして、桜井刑事は、またしても、小説の事件を思い出し、今回の事件とかぶらせて考えると、今のところ一番怪しいのは、第一発見者の配達員ということになる。
だが、今のところ、彼に対しての曖昧だ。
「ただの第一発見者であり、事件と関係性があるとは思えない」
ということであった。
ところで、彼が見つけてきた、被害者と思しき人のパスケースであるが、そこにあった免許所の写真と、死んでいる男の顔を見比べれば、
「ほぼ、同一人物に間違いないだろう」
ということになった。
何と言っても、証明写真というものが、どうにも怪しい写真になるというのは、光の加減でよくあることだ。
別にプロモーションのための写真でも何でもないわけなので、本人だということが分かればいいわけで、結構光の当たり方も曖昧で、ギリギリ本人だと分かるようなものでも、全然OKであった。
自動車免許の更新など、毎日何百人とやってくるのだ。一人一人丁寧に撮っているわけにはいかないだろう。
しかも、そこで死んでいる人間の顔も、完全に断末魔の表情で、目線はあらぬ方向を見つめていて、口元は苦しみに歪んでいる。まさに、
「この世のものではない」
と言わんばかりの表情に、刑事もすぐには、判定できそうもなかった。
ただ、鑑識は見慣れているからなのか、すぐに、
「同一人物でしょうね」
というのだった。
刑事も死体は見慣れているはずなのだが、この違いは、
「それぞれに立場が違って見えるからではないだろうか?」
ということだったのだ。
「分かりました。じゃあ、我々もまずは、同一人物だということで捜査しましょう。もっとも手掛かりはこれしかないんですけどね」
と桜井刑事は苦笑いをするのだった。
「免許証を見ると、K市内在住の、陸奥敏夫、45歳ということのようですね」
と迫田刑事がいうと、
「うん、それに間違いないようだ。彼の職業は?」
と桜井刑事が聴くと、
「どうやら、タクシーの運転手をしているようですね。名刺がかなり入ってますね」
と迫田刑事が答えた。
「よし、じゃあ、まず、このタクシー会社に当たってみることにしよう」
ということになった。
「分かりました」
といって、迫田刑事が、さっそく、その名刺にあるタクシー会社に連絡を取ってみるtことにした。
普通の会社であれば、まだ早朝のことなので、誰も出社していないだろうが、タクシー会社であれば、配車行うを行う、コールセンターのような人が、一人はいるだろうという思いだった。
その間に、桜井刑事は、第一発見者に再度話を聴いてみることにした。
「すみません、捜査にご協力願いますか?
ということで、少し待たされていた第一発見者の新聞配達員は、その間に事業所に連絡を入れ、
「今ちょっと、偶然なんですが、Kマンションで殺人事件の第一発見者になってしまって、これから警察からいろいろ聞かれることになります」
ということを事業所の所長にいうと、
「しょうがない。後は私が配ろう」
とばかりに、さっきやってきた所長に残りを任せて、警察の事情聴取を待っているしかなかったのだ。
すっかり身軽になった配達員は、刑事の尋問を、今か今かと待っていたのだ。
「まずは、お名前と職業からお願いできますか?」
と言われたので、
「K新聞の配達員で、坂上といいます」
と配達員は答えた。
年齢としては、まだ、20代中盤くらいであろうか? どこにでもいる少年という感じだったのだ。
「K新聞というと、地元紙ですね」
と聞かれたので、
「ええ、そうです」
というのだった。
「あなたは、いつもこのマンションが担当なんですか?」
「ええ、そうです。毎日のようにほぼ同じ時間にやってきては、集合ポストに新聞を放り込んでいます。いつものことなので、ほとんど無意識という感じでしょうか?」
と、坂上は答えた。
それにしても、
「今の時代だからしょうがない」
と言えばそれまでなのだろうが、言われてみれば、今の時代というと、新聞配達員は珍しいように思えた。
「新聞配達も大変でしょう?」
といきなり刑事が世間話的なことを言ってきたので拍子抜けしたが、
「これは、刑事が緊張をほぐすための言い方だ」
と考えると、あり得ないことではないだろう。
「まあ、そうですね」
と答えたが、しかし、警察がもし、新聞配達員だからといって、舐めた目で見ているとすれば許せないことであった。
しかし、今はぢ一発見者という立場、あまりこちらの気持ちを相手に悟られるのは勘弁であった。
なぜなら、
「一歩間違えると、犯人にされてしまう」
ということからであろう。
「もちろん、いつもは、シーンと静まり返ったところでの、黙々とした単純作業なんでしょうね?」
と聞くので、
「ええ、まあ、そういうことになりますね」
と答えたが、少し、
「単純作業」
と言われたことに、ムッとした気持ちになったのだ。
「ところで、新聞配達は、ルートでやっていると思いますが、ここは、一日のルートのどのあたりになりますか? 最初の方とか、最後の方とかという意味なんですけどね」
と聞かれるので、
「そうですね。比較的最初だと思います。新聞配達といっても、新聞社はうちだけではないし、いつも、途中ですれ違う同業者に、手を振ったりはしていますからね」
というと、
「じゃあ、マンションのエントランスなどで、偶然一緒になるなんてこともあったりするんですかね?」
と聞かれたので、
「ええ、それはありますね。でも、最近はお互いに慣れているところなので、なるべくかぶらないようにはしていて、今のところ、その件に関してはうまくいっているといってもいいのではないでしょうか?」
ということであった。
「なるほど、配達員同士でも気まずいという感じなんですか?」
と聞かれるので、
「そうではないですよ、どちらかというと、他の住人に見られることに気を遣っているんですよ」
ということであった。
「どうして?」
と聞くと、
「理由は分かりませんが、昔からそういう暗黙の了解が続いているようです」
ということを聞いて。
「なるほど、その業界という一種の狭い領域の中では、我々が考えているよりも暗黙の了解が多いんだろうな」
と桜井刑事は思った。
「そういえば、警察というのも、そんな暗黙の了解というものが、一番多いところの代表のようなものではないか」
と感じたからである。
「じゃあ、今日もあなたが、ここは最初だということでしょうね?」
と聞くと、
「ええ、もちろん、だから、私が死体を発見する羽目になったんじゃないですか」
と心なしか、きつい口調になっていたが、考えてみれば、
「こっちは普段だったら、もう大体配り終わっているくらいなのにな」
と思っていた。
警察に協力したことを後悔しているのは本当だが、かといって、発見しておきながら、
「俺には関係ない」
といって、さっさと出ていくわけにはいかないからだ。
「ちなみに、坂上さんは、この被害者をご存じですか?」
といって、第一発見者として、初めて死体の顔を見たが、
「いいえ」
と答えるだけだった。
「この人は、陸奥敏夫というタクシー会社に勤務する運転手なんだそうですが、この糸にも心当たりは?」
と聞かれて、
「いいえ、ありません」
と答えた。
「そうですか」
と、桜井刑事はそういったが、そこに落胆があるかどうか分からなかった。
だが、もし、坂上が、
「被害者を知っている」
といえば、どうなるだろう?
ひょっとすると、一気に彼が、現時点における、
「最重要容疑者」
ということになり、決して喜ばしいなどということはないに違いない。
だから、刑事としても、
「もし、知っていたとしても、今の段階で、知っているとは決して答えないだろう」
ということは分かっていた。
しかし、もしここでとぼけたとしても、後から分かった方が、その疑いは、濃くなるのではないだろうか?
果たして、それを坂上が分かっているかどうか怪しいものだ。
とりあえず、桜井刑事は、今のところ、
「彼の証言を信じるしかない」
と思うのだった。
「刑事さん、これは殺人事件なんですよね?」
と、坂上は、
「いまさら」
のように聞いてきたのだ。
「ええ、胸を刺されて刺殺事件ということですね?」
と言った。
やはり、真っ黒いものが流れ落ちているのを見て、あまりにも黒く見えたのが、鮮血であることは、すぐに分かったと言ってもいいだろう。
「あなたが死体を発見した時、どこかで誰かがいたということはなかったですか?」
と聞かれて、
「いいえ?」
と答えたが、
「まさか、刑事は自分が犯人を見ているのではないか? と感じているのではないか?」
ということを書似ているのではないかと思った。
しかし、
「さすがにそこまではないだろう」
と考えたが、もしそうだったら、自分が疑われているということになる。
もっとも、まだ何も分かっていることはないようなので、今のところ、登場人物は自分しかいないので、そのための容疑というだけのことではないかと思うのだった。
「それにしても、エレベータに人をひっかけるようにして、その死体を放置するということに何の意味があるというのだろう?」
ということを、桜井刑事は考えているようだった。
しかも、似たような、いや
「似て非なるもの」
というべきパスケースの置き方に、どんな意味があるというのか。
桜井刑事は、今のところ暗礁に乗り上げていた。
「連絡を取って見ます」
と言った迫田刑事の方がどうなっているのだろうか?
気になるところであった。
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