見二十一来
翌週の火曜日予想通りの晴天に恵まれ、予定時刻が近づくにつれ、次々と関係者がビジターセンターの前に集まってきた。
既に到着していた小林は、協力会社の先行部隊が、昨日山頂の山小屋に宿泊し事前準備をしていると報告しながら、今日の段取りを入念に確認していた。
テレビの撮影スタッフも到着し、皆が明るい笑顔で「おはようございます」と元気に挨拶してきた。
ディレクターの細川が航を見つけ近寄ってきた。
「今日は宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」
にこやかに向かい入れ、スタッフとも元気を張り合うように挨拶を交わした。
「先日のスタッフさんと顔ぶれが違いますね……」
「今日は体力に自信のあるスタッフを選抜しました。何しろ機材も結構重いので体力勝負ですからね……」
「そうですよね、ほんと登山きついですからね……お互い頑張りましょう」
吉田が話に加わってきた。
「あの、今日はドローンでの撮影もするんですよね。実は前回もドローン撮影したんですが、プロの方の撮影を是非勉強させて頂きたいので色々教えて頂いても構いませんかね?」
「全く問題ないですが、参考になるかは保証できないですよ」
「ありがとうございます。え――と、あの――、もう一つお願いなんですが。地上のビデオ撮影とカメラ撮影も、勉強させてもらっていいですかね?」
営業らしい押しの強さでねじ込んだ。
「もちろん結構ですよ。後で全員紹介しますね」
にこやかに会話を交わした。
後ろで会話の内容を盗聴するように聞いていた由樹と羽美が、笑顔で「
「では、そろそろ出発しましょうか」
航が、皆の準備が整うのを見計らって声掛けし、頂上目指して登山口へと足を進めた。
登山後半になるときつくなることを前回の登山で経験済みなので、前半の元気なうちにと自身の撮影はせずに、テレビの撮影スタッフに質問責めをしながら、非常に和やかな雰囲気の中、プロの手による本格的な撮影に目を凝らしていた。
様々な登山靴の足の運び。後姿や息遣い。休憩地点でのリアルな会話。広がった視界から突然現れる富士山の撮影。小動物の戯れ。山道に映る木漏れ日の陰影……。
新緑の丹沢の自然な景色は勿論、五感に意識を寄せた撮影のプロのテクニックをそれぞれ勉強し堪能していた。
実際の時間と山の空気が刻む時の流れが、同化する様に過ぎていった。
皆がそれぞれの時間を消費し、塔ノ岳の頂上に到着した。
昨日から山小屋に宿泊していた協力会社の方々が出迎える中、一様に安堵の顔を浮かべた。
軽食をとりながら暫くの間休憩し、今日の最大のミッションの伐採杉の目視作業の準備を整えていた。
「準備OKですか……時間も限られているので、そろそろ出発したいんですが平気ですか……」
小林が確認を呼びかけると、皆が一応に「準備OKです」「準備完了してます」と答え目的地へと向かった。
暫く丹沢山へ向かう山道を歩くと、伐採杉の生息する地点近くの山道上の基準点に到着した。
前日、既に協力会社の先行部隊が下見をしていた為、段取り良くスムーズに事が運んで行った。
目標の伐採杉は、基準点から山道右側に三百メートルほど少し下った所にある。
安全を確保しながら、景色が段々と密林に変化する中、足元に注意を払いながら伐採杉に近づいていった。
航は勿論、Room314のメンバー、協力会社の方々、テレビクルー、全ての視線が伐採杉に集中した。
「昨日も計測しましたが、もう一度計測しますのでデジタル数値皆さんで確認しますか……」
レーザー計測器の表示板に注目を集中させ、機械の操作をし始めた。
「それでは計測しますね。え――。結果ですが……五十四メートル三十二センチ。昨日との誤差が三センチなので、間違いないですね。この巨木で問題ないと思います。それと胸高周囲は六メートル八十七センチですね。是非この数値記録してください」
計測器の表示を、少し自慢げに公表した。
改めて、先端がどこなのか……青空に届かんばかりに
「リーダーこの杉で問題ないですね」
小林が航に確認を求めた。
「この杉でお願いします。絶対に川崎まで運んで下さいお願いします」
協力会社のスタッフに深々と頭を下げると、追随し、Room314のメンバー全員が頭を下げた。
「どんな手段を使っても必ず運びます。任せてください」
自信に満ちた真剣な眼差しで航達の熱意に応えた。
「この後、明日にかけて、協力会社とヘリ運搬の為の伐採範囲や作業工程を確認しますので、皆さんは先に下山してください」
小林が、少し安堵した顔つきで皆に告げた。
「では、後は宜しくお願いします」
航がリーダーらしい真剣な挨拶をし終えると、その他のメンバーもそれぞれに個性豊かな挨拶を交わし、その場を後にした。
吉田の提案で、違った絵面も欲しいとの意図で、違うルートで下山する事になった。
撮影組の吉田、由樹、羽美が体の疲れを感じさせない足取りで、既に仲良くなったテレビクルーと談笑しながら、撮影技術を伝授してもらっていた。
航と細川は今後の撮影に関して打ち合わせをしながら足を進めていた。
「今後の予定ですが、実際の伐採から運搬作業は勿論撮影させて頂くとして、伐採までの過程も少し撮影させて欲しいのですが、どうすればいいですかね……」
「そこは、小林と直接打ち合わせして下さい。その後の工程も小林が決めますので聞いてみて下さい。小林は明日まで山なので、え――と明後日、私から伝えておきますよ」
「宜しくお願いします。あと、それと……リアル映像とは別に志山さんの単独インタビューもさせて頂きたいのですがどうでしょうか……」
「私のですか……」
「あの――やはり今回の全ての始まりは、志山さんのプレゼンが最優秀に選ばれた事が始まりなので、編集上どうしても必要なんですよね……」
「いいですけど、緊張して上手く答えられないかもしれませんよ。ほんと緊張しいなので」
「全然問題ないです。撮り直しも出来ますから。宜しくお願いします。日程は余裕がある時で構いませんので」
「もう緊張してきましたよ」
その後もちょっとしたインタビューを受けながら、無事、麓の秦野戸川公園に到着した。
ビジターセンターの前では秦野市の黒川課長が皆を労う為に待機していた。
「いやお疲れ様でした。疲れたでしょう……。ほんとご苦労様です。今日は上手くいきましたか?」
「お陰様で、伐採杉が確定しました。まだ、スタッフが残って今後の段取りを検討してますが、問題はないと思います。色々とありがとうございます」
「それは良かった。ほんと良かった。何かご協力出来ることがあれば何でも言って下さいね」
「ありがとうございます。何かあれば遠慮なくご連絡しますので宜しくお願いします」
登山の中で感じた様々な思いと、心地よい肉体疲労に混じりあう達成感。
普段あまり感じたことがない感情を、皆がそれぞれお土産にし、大切に持ち帰った。
綿密な伐採計画を立て、いよいよ本格的に伐採の準備が始まった。
目標となる伐採杉にダメージを与えない様に、先ずは、倒す位置周辺の整備の為に広範囲を伐採。
伐採した木材を撤去し、ヘリ輸送の為の整地作業の準備が着々と進行していった。
撮影の都合もあるので、天気予報と縁起の良い日を勘案しながら、目標木の杉の伐採の日が決まった。
晴天の中、いよいよ目標の杉の伐採が始まった。
テレビクルーは勿論、Room314、川崎市、秦野市のスタッフがドローンも駆使し様々な角度から一斉に撮影をし始めた。
静寂な森の中にチェーンソーのエンジン音が鳴り響き、ガソリン臭が鼻の奥に届き始めた。
撮影スタッフの緊張感と息遣いの中で、その場面が異常な空気を醸し出していた。
チェーンソーの最初の刃が目標に侵入していった。飛び散る木くずの勢いがフォーカスを自然に集めた。
皆が、倒木場面を見逃すまいと、息をのみ集中し撮影を続けた。
両サイドから二台のチェーンソーにより段々と木の中心部へと切り込みが進み、倒木へと慎重に段階を踏んでいった。
木を倒す方向とスピードをコントロールするために八本のロープを八方に貼り詰め、それぞれが体重を掛けロープを支えた。
「ここから少しずつ倒すぞ。問題ないか」
スタッフに大声で声を掛けた。
「問題ないです」
倒木に携わるスタッフが、大声で答えた。
「じゃあ。いくぞ」
倒木が始まった。
チェーンソーの躍動が、少しずつ倒木へのカウントダウンの音色へと変化していった。
「そろそろ行くぞ。安全確保しろよ」
大声で呼びかける。
「いつでもOKです」
気合の入った声でスタッフがそれぞれの位置から合図をした。
倒れる瞬間。チェーンソーの音が止む。
「引っ張れ。ゆっくりゆっくりだぞ」
静寂の森林に声が鳴り響いた。
倒木の瞬間を、全てのスタッフが固唾を呑んで見守った。
撮影班は勿論、音声スタッフが真剣な顔つきで倒木の自然音に集中していた。
倒木スタッフのコントロールにより、秒針よりも遅い速度で徐々に地上へと近づいて行った。
「倒木位置問題ないか……」
確認の声が上がった。
「このまま下げましょう」
大声で返事が返った。
巨木が地上に接する瞬間、丹沢山林の土埃と枯葉が舞い上がった。
周辺のスタッフの鼻腔に、何とも表現しずらい乾いた匂いが届き、少しだけ時間がスローに流れた様に感じた。
皆が安堵な表情を浮かべる中、小林が大声で叫び拍手をし始めた。
「成功です。ありがとうございます」
呼応するように拍手の輪が広がった。感動からか由樹と羽美は撮影を止め抱き合い涙していた。
「
航も涙目で心の底からの感情で深々と一礼した。
「これきっと上の狙い以上の出来栄えなんじゃない。出来高最高だな。大成功だよ」
吉田が航に近寄り、航の肩に手を掛け共に喜びを共有した。
暫くの間、皆が余韻に浸っていた。
今回の計画は四本を川崎に運び、秦野市から二本を有効利用したいとの希望で、計六本を公園まで運ぶ事に決定していた為、同じ工程で、今伐採した物と同等サイズの周辺の杉五本の伐採が始まった。
航が細川ディレクターに近寄り、声を掛けた。
「上手く撮影できましたか?」
「これ絶対あたりますよ……すみませんこちら目線で……」
「撮影は問題なかったですか?」
「全く問題ないと思います。いい画提供して頂いてほんとありがとうございます。この後も現場の方々にお話をお伺いしながら暫くの間、撮影を続けさせて頂きます」
「これからも、色々ありますから楽しいと思いますよ。次はここからのヘリ輸送ですね」
「撮影楽しみですよ。相当ダイナミックな映像が撮れると思うので」
「まだ実行に向けて、色々と課題があるようで小林も忙しいですが、実行日が決まったら連絡しますね」
「天候にも左右するので大変ですよね。決まったら連絡下さい」
「ご連絡します。宜しくお願いします」
確認する様に互いに頭を下げた。
それから次々と倒木していく光景を目に焼き付け、全ての伐採が終了するのを見届け皆で下山した。
航は、下山途中の道中の視界が広がった場所から神々しく輝く富士山を見ながら、登山の醍醐味に目の奥を輝かせ、いつかまたプライベートで登山しようと考えていた。
その夜の「見来」は、自身でチェーンソーを持ち次から次へと木を倒していくシーンから、いきなりミニチュアの建築模型に、その木を植えているなんだか不思議な楽しい映像だった。
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