見十九来
季節は新緑の春。翌週水曜日、天気に恵まれ予定通り、早朝の七時にパークセンターの前に集合した。
小林が実際の伐採に携わる協力会社の方たちを皆に紹介し、それぞれ、出発に向け準備を整えていた。
「小林さん平気ですか、無理しないで途中で無理そうなら下山していいですからね」
心配しているのか、からかっているのか皆に声を掛けられていた。
「実は、山登りは自信あるんですよ。この年季の入った登山靴見てくださいよ。少しブランクはありますけど……」
「じゃあ心配ないですね。場所の選定は小林さんと協力会社の方でないとできないので、宜しくお願いします」
航が安心した表情で頭を下げた。
川崎市の撮影隊にも吉田が声掛けし、全員での登山が始まる。
「本日は予定通り、最短ルートの通称バカ尾根ルートで塔ノ岳の頂上を目指します。目的の伐採木の生息地はそこから丹沢山へ少し進んだ位置にありますので、頂上に着けば視界も広がり、その後はドローンでの撮影になりますので、何しろみんなで頂上を目指しましょう。ドローンの撮影隊は撮影ロスがあるので少し遅れますが、後を追いかけますので、小林さんたちは先に頂上目指して進んで下さい。時間が思ったより掛かるようなら下山時撮影に切り替えますので宜しくお願いします」
吉田と河瀬の二人でそれぞれにドローンを飛ばし操縦を始め、川崎市の撮影隊も一機を飛ばし始めた。
ドローン撮影とは別に地上でも、ヘッドストラップにGoProを取り付け撮影したり、ビデオとカメラでそれぞれに様々な位置から撮影を開始した。
採れたての野菜を庭先で無人販売している民家が点在する舗装された道を通り抜け、二股に分かれた登山口から、本格的な登山道へと足を進めた。
舗装された道から徐々に足元が変化していく。樹林帯に入ると舗装された道が段々と狭くなり徐々に小さな石が敷き詰められた石畳へと変わり、様々な鳥の鳴き声が聞こえ登山道の始まりを告げる。
景色は勿論だが、都会で普段感じている空気、音、匂いとは全く違う感覚が一気に押し寄せてきた。
日々の仕事に追われ呼吸をする意識すら全くない生活を送っているせいなのか、登山道の森林に触れ、自然と深呼吸をする中で体内に取り込まれていく新鮮な空気をそれぞれに楽しんでいた。
航は、最近のキャンプブームの理由が少しばかり分かった様な感覚を抱いていた。
それぞれの役割をこなしながらの本格的な登山が始まる。
航と小林と協力会社の人達は、山頂までは特別な役割がないので、出発前にこの時期から多くなると注意されたヒルの事を気にしながら、登山靴に注意を払いひたすら山頂を目指す事とした。
由樹はカメラ、羽美はビデオの役割があるので、先回りしたアングルでそれぞれに航達を撮影した。
羽美が由樹に声掛けする。
「まだ平気ですけど、これから先はユーチューブで観た感じだとかなりきつそうなので、今の内いっぱい撮影しときましょうね」
「多分もう少しすると撮影どころか声も出なくなるよね。きっと……」
少し息が上がった感じで、笑って返す。
観音茶屋を少し過ぎた辺りで、大観望経由と別のルートとの二手に分かれ、吉田と河瀬がそれぞれに撮影をこなした。
鹿の親子が餌を探している丹沢では普通の光景も目の当たりにしながら、ほのぼのとした自然の中の時の流れをそれぞれに感じていた。
出発から一時間半ほど経過し、見晴茶屋で最後尾の吉田が到着するのを皆が待っていた。
暫くすると吉田が到着し、航が話しかけた。
「お疲れさん。いい感じで撮れてる?」
「天気いいから、新緑と木漏れ日のコラボが最高の画になってる感じ」
「上に行けばもっといい景色になるんだろうけど、ここからの景色も最高だね」
「麓の街並みが良く見えるね。あっちは平塚あたりの海岸かな……あれは江の島じゃない……」
遠くの景色を指さし、少しばかりの感動を覚えていた。
「ほんと、晴天で良かったよね。曇ってたらきっと見えないよね」
暫くみんなが雑談しながら、眼下に広がる景色を堪能していた。
「ドローン隊は、ここから自然の景色を映しながらターンして登山風景を映したいので、先に歩き始めてくれるかな」
「了解。みなさん出発しますよ」
皆に声を掛け、サポート役のパークセンターの職員を先頭に一団が再び登山を始める。
ドローンを一斉に空高く飛ばし、広がる景色と登山道を進むチームを撮影した。
ここからは、急な登りで結構大変だと事前に聞いていたが、思っていた以上に体への負担を皆が感じていた。
木段道が増え、益々足に負担が掛かり、その負担と比例するように会話が無くなってきた。
最初は登山を楽しんでいた由樹も「暫く撮影休みます」羽美も「登山に専念します」と宣言し、お互いに励まし合いながら足を進めた。
紅葉時には絶景が楽しめるとの説明を受けながら、もみじトンネルと言われている場所を過ぎ、ヒノキ植林の山道を越え、急な階段を上り終え、次のポイントの駒止茶屋に到着した。
ここから次のポイントの堀山の家までは、少し平坦な道になるとの説明を受け、折れかけていた心に力を与えてもらった。
途中に富士山のビュースポットがあり、益々元気が出てきた。
堀山の家に到着した。
次の行程が非常にきついとの説明を受け、体力を取り戻す意味で小休止しする。
ドローン撮影隊が一団に追いついた。
吉田が少し疲れた感じの言い方で声を掛けた。
「ここでドローン撮影は一度止めて、みんなと頂上目指します」
「やっぱ、きついでしょ。ただ登るだけでもきついんだから……」
「もう無理。撮影ロス分取り戻そうと必死に登らなくちゃいけないからその分きついわ」
「そうだよね。解るわ。次の撮影は頂上に着いてからだね」
「そうさせてもらうわ」
この後がきついので、航と山下所長が相談し、疲労が濃い由樹と羽美に、マイペースでの登山ができるようにとの計らいで、同行しているサポート役の職員と一緒に別のグループとしての登山を提案した。
説明された通りのガレ場と長い階段地獄が待ち受けていた。
標高が高くなり、植物の種類の変化を感じながら、息が上がるのを全身で感じ、必死に一歩一歩前に足を進めた。
次のポイントの花立山荘にやっとたどり着いた。
「氷」ののぼりに心が躍る。
標高はすでに千三百メートルの地点、富士山は勿論、相模湾の海や伊豆大島も望める一大パノラマが広がっていた。
トイレを済まし景色を楽しみながら充分な休憩を取り、それぞれに頂上への最後の行程に入る準備を整えていた。
航がみんなに声掛けした。
「そろそろ出発します。あとひと踏ん張りです。頂上目指して頑張りましょう」
山荘の横から足場の良くない階段を登り、木道を歩きヤセ尾根箇所を通過すると、やがて鍋割山への分岐点となる「金冷シ」にたどり着いた。道標には山頂まで六百メートルと記してある。
本当にゴールが近づいてきた。
重い足を必死に持ち上げ最後の階段を登り切った。
塔ノ岳の山頂の山荘がまず、目に飛び込んできた。思っていたより大きな円形の広場に、平日とは思えないほど多くの人が大パノラマを堪能していた。
航は、この達成感の中で、ここで富士山を見た多くの人々が、こんどは夏に富士登山をするのだろうなと純粋に感じていた。
リーダーとして何か出来ないかと考えていた航は、この頂上で丁度お昼になる想定だったので、笑集の厨房を借りて夜中から早朝にかけ自身の手で握ったおにぎりをみんなに手渡した。皆がその気遣いに感動し、山頂で食べる手作りおにぎりと絶景に心が満たされる思いでいた。
暫くすると、思っていたよりも早く由樹たちが登頂した。登頂の喜びと感動を、由樹と羽美が抱き合い素直に全身で表現した。
そんな二人に喜びを共有するような笑顔で「お疲れ様」と言いながらおにぎりを手渡した。航のサプライズを大喜びで受け取った。
「二人とも少し休みたいと思うけど、これからが本番なので、時間も押しちゃうから先に記念撮影だけしようか」
航がみんなにも声掛けした。
「塔の岳山頂1491M」と書かれた山頂標識を囲んでくっきりと映る富士山をバックに、グループ事に記念撮影をした。
最後に全員での記念撮影の準備が整うと、写真撮影が終わるとドローン二機が同時に、青空の中へと飛び立っていった。
「皆さん笑顔で空に向かって手を振ってください」
吉田が呼びかけ、遠ざかっていくドローンを見送った。
「由樹さんと羽美さんは休憩しててね」
吉田が、二人に気を使いながら、次の準備へと取り掛かった。
いよいよ、今日の目的である丹沢山へ向う途中の伐採木の本格的な調査が始まる。
河瀬の操縦するドローンが飛び立った。モニターと地図を見比べながら吉田が指示を送る。
航と小林、協力会社の方達、秦野の職員が、真剣な顔つきでモニターを覗き込んでいた。
吉田が、小林に話しかけた。
「指定された場所はこの辺かと思いますけど……」
「そう。この辺だと思うな。もう少し木に寄ってくれるかな。ここで間違えないよね」
協力会社の方達に確認を求める。
「想定していた通りの杉がありますよ。この場所で間違いないです」
少し興奮気味に答えた。
「じゃあ。あとは足場だな」
小林が誰に言うわけでもなく呟く。
「尾根の山道からの状況を先ずは、引きで見せてくれないかな」
真剣な表情でオーダーした。皆が真剣な顔つきでモニターを注視した。
画面を見ながら、小林と協力会社とで実際の伐採の工程を想定し、どの様な準備が必要になるか熟考していた。
「山道からは三百メートル位かな……傾斜もそんなにきつくないよね」
「画面で見た限り、小林さんの見立て通りだと思います」
吉田が同意するように返した。
「この状況なら問題ないな。周辺の伐採も容易に出来そうだからヘリ運搬の足場も確保できそうだね」
協力会社の人達に言いながら少し表情を崩した。
「リーダー行けそうですよ」
笑顔で航に合図を送った。
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
深々と頭を下げ本気で感謝した。
航は、この先試練がまだまだ色々と待ち受けている事を覚悟してはいるが、大きな節目を越えたような感覚の中で、暫く目をとじ、ゆっくりと息を吐いた。
思わず燦燦と輝く太陽に目を向け「本当にありがとうございます」と呟き、「見来」の中でいつだったか見た太陽のまばゆさに感謝していた。
「みんな足パンパンですよ。登山もしないで
小林が本音とも冗談とも思えるような話し口調で皆の笑いを誘った。
「では、スーパー銭湯目指して下山しましょう」
笑顔で航が皆に声掛けした。
無事皆が下山した。公園の入り口の足洗い場で、ヒルの存在を確認しながら靴の泥を落とした。
出迎えをして頂いたビジターセンターの職員に挨拶し、それぞれに挨拶を交わし、現地で解散した。
その夜は流石に体が疲れ切っていたのか、全く夢も見ずに気が付いたら朝を迎えていた。
次の日の夜の「見来」は、素っ裸で銭湯の富士山の絵の中に鼻歌を歌いながらドローンの絵を勝手に描いている、やっちゃダメだけど、とっても楽しい映像だった。
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