見九来

 いつもなら仕込みも始めていない平日の早朝。笑集の店の中に家族四人が集合した。

 それぞれに不思議な思いを馳せていた。


「正月以外に、こうやって朝食食べるのはいつ以来だ?」

 誠が、本当は寝不足なんだろうが子供の成長をいつまでも見守れることに内心喜びを感じ、航の好きな豆腐と油揚げの味噌汁を作っていた。

「店がある日のこの時間にいるのは、小学校の運動会のお弁当作ってた時以来だよ。もう何十年ぶりだね……」

 厨房の中で四人分の食器を用意しながら、さゆりが囁く。

 航が「今までほんとありがとうね」と言いながら「餌あげてもいいよね」と水槽の金魚に餌を振り撒いた。

「今日で終わりみたいじゃん」と海が呟き、「こんな時間に金魚もビックリするね」とさゆりも呟く。


 カウンター越しに航と海が朝食を受け取り小上がりの席に運び、朝食の準備を整えた。

 家族四人着座していつものように手を合わせ「いただきます」を元気に唱え箸が動き出す。

 誠が、苦笑いを浮かべながら話し出す。

「海も巻き込まれちゃって大変だな……航は何でも海頼みだからな……」

「そう、海がいないと生きていけない身体になってしまいました……」

 箸を突き上げ、天井を見上げながら変顔でおちゃらける。

「お兄ちゃんが反面教師になってしっかり出来たから感謝してます」

 航を覗きこむように下から視線を投げかける。

「俺、先生」

 人差し指を鼻頭に触れながら、ふざけた会話で切り返す。

 

 淡々と食事を進めながら噛みしめるように航が呟いた。

「親父の味噌汁やっぱり上手いな……毎日食べたいな」

「あのな……夜居酒屋やって、朝お前の為に朝食作ってたら、早死にするわ……」

 皆がひと時の笑いを楽しんだ。


 家族四人それぞれに、様々な思いを巡らせながら懐かしい食卓の雰囲気を味わっていた。


「では、御馳走さまでした」と合掌し、食べ終わった食器をそれぞれに厨房に運んだ。

 

 奥の座敷で、早速吉田とのweb会議の為にパソコンの準備に取り掛かった。

 予定時間が近づいたので、航と海のパソコンの立ち上がりを確認し、吉田に連絡してweb会議を開催した。


 三人の画面が映るなり、完全な営業笑顔で海に話しかけてきた。

「初めまして、いつもお兄さんをお世話している吉田です」

「いつも兄がお世話になっております。宜しくお願いします」

 画面越しに満面の笑みで答える。

「どちらにもお世話になっている訳ですが、今日は勝負の日ですので宜しくお願い致します。まず、吉田のパートを海が代役してくれるので、吉田から海へ引き継ぎお願いします」

 深々と頭を下げ、二人に場を任せる。

「海さん。今回は自分のせいで負担掛けてすみません。え――と。自分のパートの内容は航から聞いてると思うんだけど、動画が終わって最初のプレゼンの内容説明なんだけど、航からも場慣れしてると聞いてるので、台本通りに航にバトンタッチしてくれれば構わないから特に気にせず海さんらしく表現して頂ければと思ってます」

 特に注文めいたことがない説明だった。

「あの。兄からどう聞いているのか分からいのですが、まず私、場慣れしてないので、今凄く緊張していてどうしようか困っている状況なのですが……。その場になれば何とかなるかな位の感じなんです……。ところで先ずは、最初の動画から切り替わる場面で、どう始めたらいいかなんですが、立ち位置、両手の位置、姿勢、切り出しまでの間、視線の方向、ライティングの狙い……吉田さんはどうする感じだったんでしょうか……」

 矢継ぎ早に説明を求めた。

「演技をするように細かい事は全く考えてなかったんだけど、立ち位置はその場の雰囲気で……切り出しの間は会場全体を見回すぐらいの間で……でも自然体でいんじゃないかな。自分の考えは気にしないで。海さんらしくやってもらった方がいいと思うけど」

 堅苦しく考えなくていい雰囲気を醸し出しながら優しく答えた。

「ありがとうございます。安心しました。吉田さんから色々と注文があると心配していたので……」

 海が少し強張った表情を崩した。

 

 一連のやり取りを聞いていた航は、二人とも真剣に色々と考えてるんだなと思いながら、自分のパートの事は細かく考えてないけど平気なのかなと、急に心配が押し寄せてきた。


「じゃあ。一回通しでリハーサルしてみようよ」

 吉田が問いかけ、時間もないので早速、冒頭の動画が流れ始めた。

 動画が終わり海のパートがスタートした。

「本日はこのような名誉あるプレゼンの機会を与えて頂き誠にありがとうございます。又、審査員の方々におかれましては、日夜、市の発展にご尽力して頂いていることに一市民として深く感謝申し上げます」……深々と頭を下げた。


 冒頭の喋り口調を聞いただけで、流石に国会議員秘書。場数踏んでる感じの表現力だった。


 一通り海のパートが終了し、航のパートへとバトンが渡された。

 前回のリハーサルでみんなに褒められたのが自信になったのか、特に緊張することもなく淡々とプレゼンをこなした。


 今まで見た事のない航の姿に驚いた様子で話しかけた。

「お兄ちゃん凄いじゃん。何か別人みたいだったよ」

 海から褒められ、やればできるじゃん的な思いと共に少し興奮していた。

「どうかな。何か訂正箇所あるかな……気が付いたことある……」

 吉田が二人に投げかけた。

 

 暫く全員の沈黙で時が流れる。

 

「全体的には凄く素敵なプレゼンだと思うのですが……最後の締めの所のインパクトが弱いかな……」

 海が話しながら、訂正するかのように言葉を取り消した。

「すみません。部外者が勝手な事言って……申し訳ないです」

「実はね同じこと俺も思ってたんだよね。えんしゅう最後だけちょっと考えてみてよ」

 海の意見に同意するように意見をぶつけた。

「分かった。本番までに少しアレンジしてみるわ……」

「後は本番で今の感じで出来るかだけだね」

「でも、きっと上手くいくから心配ないよ。海さんも傍にいるし。何度も言うけど何を伝えたいのかだけに集中することが大切だからね」

 背中を押すように話しかけた。

「分かった。じゃあ。会場に海と向かうけど、会場で何か不安になったら連絡したいから、絶対電話繋がるようにしといてね」

 パソコンの電源を落とし気合いを入れ直した。

 


 航が両親から借りた軽自動車を店先に回してきた。

 仲間のみんなと食べられるようにと用意したお弁当を海に手渡す。

 誠が二人の背中をそれぞれ叩き激励した。

「案ずるより産むがやすし」

 さゆりも車に乗り込む二人へ声を掛ける。

「航だけじゃ心配だけど海がいるから安心だよ」


 海が右手で敬礼ポーズをして。

「兄妹、に出発します。頑張って行ってきます」

 二人とも元気な笑顔で車に乗り込み会場へと向かった。


 会場に向かう車の後ろを目で追いながら。

「いつだったか……昔も海が兄妹、航海に出発しますと言ってたね」

 さゆりが誠に話しかけ、車の姿が消えるまで笑顔で手を振って見送った。

 

 航は運転しながら「見来」の中でプレゼン中の場面が、無かったことがどうしても気になり、緊張が解れずにいた。

 

 沈黙を嫌うように「お兄ちゃん最近運転してるの……何年ぶりかなお兄ちゃんの車」

 普段通りのたわいもない会話を始める。

「おばあちゃんの七回忌の法事以来かな……三年ぶりぐらいじゃない……」

「海はいいな。全く緊張してないでしょう……見てこの汗」

 ハンドルを握る手を放し、海に手のひらを差し出した。

「私だって緊張はしてるよ。でも、確かに場数踏んでるからお兄ちゃんよりは緊張してないかな……秘書の仕事って人に会う機会も多いし、それなりの地位の人とも接触する機会が多いからね……人前で話す機会も一般の人よりは多いかな……」

 通りすがりの景色に興味ありげな視線を送りながら、無表情で答えた。

「海は特に悩みってないでしょう……いつも元気だし、明るいし……」

「あのね。そんな訳ないでしょ……」

 少し語気を強めた。

「私が大学生の時にバイトしてたみなとみらいのカフェ。お兄ちゃんも知ってるでしょ……。それまでは全く平気だったんだけど、何故かある外国人のお客さんにコーヒーを運んでいったときにぶるぶると手が震えて運べなくなったんだよね。それ以来トラウマになって、今でも来客のお茶出しになると緊張して、同僚に代わってもらうんだからね」

 海にとっては人には言いたくないだろう悩みを披露した。

「ほんとに……海が……それって治らないの」

 ビックリした様子で問いかけた。

「実は、精神的な物かと思って色々試したんだけど、全て効果なくて……結局、ネット情報で本態性振戦って病気だと分かってベータ遮断薬という薬を緊張しそうな時だけ頓服で飲んでるんだよ……それ飲むと震えなくなるの。実は同じ悩みを抱えてる人いっぱい世の中にいるんだからね」

 運転中の航に視線を送った。

「ごめん。海も大変なんだね……俺なんか悩みない方か……」

 海に同情するように囁いた。


「きっと悩みのない人なんて。でも、悩みを隠してる人は

 考え深げに歩道を歩く親子ずれに視線を送っていた。


 暫くの沈黙の間、兄妹がお互い自身のパートの事を脳内でリハーサルしながら会場へ向かった。


 会場がいよいよ近づいてきた。少し重たい空気を換える様に、いつもの元気な海が気合を入れた。

「お兄ちゃん。頑張ろうね。せっかくだから後悔しない様に全力でプレゼンするよ」

「ありがとな海……なんだか勇気もらった感じだよ。なんか分からないけどこの感じ……絶対成功させようね」

 今までに感じたことがない自身の体内から出る波動を全身で感じていた。


 待ち合わせ時間の二十分前に会場に到着した。

 駐車場に車を止め、集合場所の会場ロビー左側の休憩スペースへと向かった。

 開会が午後一時なので、まだ三時間前の十時とあって、誰も関係者らしき人は見当たらなかったが、既に羽美と河瀬がすでに到着していて、パソコンの調整のやり取りをしていた。

「おはようございます」

 兄妹で声を合わせ二人の背中越しに声を掛けた。

「おはようございます」

 気が付いた二人が振り向き、背筋を伸ばし爽やかな笑顔で応じる。

「海は初めてだから、紹介しなくちゃね。こちらがうちの意匠設計部の動画を作ってくれた河瀬さん」

「宜しくお願いします」と会釈すると「妹の海です。いつも兄がお世話になっております」と会釈し返す。

「こちらがピュアハウス設計事務所の専務の出川羽美さん」

 羽美が挨拶する間を与えず笑いながら。

「羽美さんですね。兄からたくさん話は聞いてます……名前が同じうみですから……何かの縁だと思いますので宜しくお願い致します」

 フレンドリーな感じの挨拶で一気に距離を縮めた。

「こちらこそ宜しくお願い致します。海さんの事は少しだけ志山さんから聞いてたのですが、ほんと明るい方でよかった……頑張りましょう」

 満面の笑みで答え、明るく振舞った。

 

「じゃあ。時間ももったいないからここでリハーサル一度やってみる」

 航が問いかけると、透かさず羽美がおじさんにすり寄る得意技を披露する。

「実はさっき、会場の方と話したんですが、十一時から役所の方が来て色々とセッティングするとのことで、それまでの間なら機材のチェックしたければしていいよと言われたので、会場でリハしませんか」

「じゃあ。中でやりましょうよ」

 海が笑顔で呼応する。


 場内に向かいながら羽美が海に話しかける。

「施設管理のおじさん。リハーサル目的はダメと言ってたので、あくまで機材チェックということで、何か言ってきたら二人で退治しましょうね」

 二人意気投合して笑顔を突き合せた。


 大型スクリーンの映し出す画面操作は舞台下中央の座席になる為、河瀬がその場に座り、羽美は照明操作の為にスイッチングルームに入った。

 打ち合わせの通り、照明を限界まで下げるのを合図に動画がスタートした。


 大型スクリーンと大会場の音響の効果で物凄いインパクトの映像が流れ、航と海の緊張が一気に高まった。

 動画が終了し、そのままの照度の中で海にピンスポットがあたる。

「羽美さん。この位置で良いですか」

 スイッチングルームに確認を求めた。

「そのままの位置で一歩前にお願いします」

 楽し気な声質で答える。

「では、始めます。皆さんお願いします」

 張りのある声の冒頭の挨拶が始まった……。


 笑集で朝三人でリハーサルした通りの海らしいプレゼンを終え航にバトンを渡した。


 流石に大会場での本番前のリハーサルは航には荷が重すぎたのか、全身ガチガチで出だしの声が上ずってしまった。

「ちょっと緊張マックスなので中断します。さっき買った水どこにある」

 海に話しかけながらペットボトルを探しだす。

 舞台袖に置いてあった水を飲みながら、気を落ち着かせる様に暫く時間を費やした。

 その間も、海と羽美は緊張とは無縁の感じで、笑いながら航の立ち位置のシュミレーションをしていた。


 気を取り直し、航が海の指定した立ち位置に移りプレゼンを再開した。

 過去に何度も吉田から言われたアドバイスを思い出しながら、何しろ伝えたい内容だけに集中し説明を始めた。

 

 朝の三人のミーティングで課題に上がった最後の締めの言葉に差し掛かった。

 

「私事ですが、実は私の両親は笑いがつどうと書いて『笑集』という居酒屋を営んでおります。この名前は両親が店に来た人全員が笑顔で楽しんでほしいとの願いでつけたそうです。そんな店の中はいつも本当に明るく笑いが絶えません。まさしく、このホテルのこの空間に世界の人々の笑顔が集まるように、きっとそうなる事を……いや絶対にそうなると確信しております。ぜひ、私共の企画を採用して頂きたくお願いいたします」

 深々と頭を下げた。


 プレゼンを終えみんなの反応を確認するように見回し、少し不安な表情を浮かべる。


 暫くの間が空く。


 海が「お兄ちゃん最高だよ」と感激した表情を浮かべ力いっぱいの拍手を送る。

 河瀬も立ち上がり力強い拍手を送った。

 羽美は少し放心気味に立ちずさみ、感動を抑えきれない様子で胸のあたりで小刻みな拍手を送っていた。


 その様子を見た航は、少しホッとしたのか満足げに海に近寄りながら満面な笑みを送った。

 

 それから、それぞれのポジションの再確認をし会場内にいた施設の担当の方に挨拶をして、移動の為にロビーへと繋がる扉を開けると、既に役所の人間と思われる数人が施設の人と話をしながら受付の準備に取り掛かっていた。


 当たり障りない軽い会釈をして、待ち合わせしたロビーの休憩スペースに場所を移した。


 両親がお腹がすいたらみんなで食べなと持たせてくれた、おにぎりに煮しめ、唐揚げに卵焼き、まるで小学生の運動会のお弁当の様な御馳走の入ったタッパを海が袋から取り出し、蓋を開け始めた。

「まだ時間もあるからみんなで食べましょうよ」

「せっかくだからうちの両親が作ってくれた愛情弁当なので食べてくださいよ」

 航も遠慮気味な二人に話しかけた。

「では、いただきます」

 皆が手を合わせ、紙おしぼりで手を拭き好みの物に箸を伸ばした。

 航が「このおにぎりが好きなんだよな」と言いながら五目御飯のおにぎりを取り出し食べ始めると、それぞれに「ほんと美味しいね」「これ美味しいから食べてみて」と声を掛けながら楽しい時間を過ごした。

 

 お腹もほぼほぼ満たされ、御馳走さまの時間が近づいてくると、だんだんとロビーが賑やかになってきた。


 受付を済ませ会場内に入る前に、最後の気合入れを込めて吉田に連絡した。

「皆さん緊張してませんか……」

 いつもの笑顔を振りまく。

「アドバイス通り緊張楽しんでます」

 航が返し、順番に皆もそれぞれの想いを吉田に伝えた。

「ほんとみんな頑張ってね。俺今から昼寝するけど」

 冗談交じりに笑みを浮かべながら、皆にエールを送った。

 最後に航の後ろで映り込むようにみんなで手を振って画面を閉じた。


 航は不安を抱きながらも、きっと「見来」が守ってくれると信じ、本番を迎えた。

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