見五来

 書類選考の結果が出るまでおおよそ一か月程掛かる予定で、その後に最終選考会まで二週間ほどのスケジュールになっていた。

 部署のみんながフォローしてくれていた物の、この企画に時間と頭を取られ、普段の仕事を疎かにしていたツケが回ってきていた航は、この期間を利用して元のペースに戻すべく懸命に仕事をこなしていた。

 意匠設計部の上杉課長が訪ねてきた。

「志山いる?」

 入口付近の事務の女子社員に声を掛ける。

 女子社員が立ち上がって「えんしゅうさんお客様です」と呼びかける。


 意匠設計部では建築模型の部署を、いつも社内で下請けに頼むように接しているため「下請けさん」と呼んでいて、逆に部署内では社内の人が訪問してきた際、誰に対しても「お客様」と呼んでいる。

 

 パソコンの打つ手を止め、立ち上がりながら入口の方に目を送ると、その場で一礼してから上杉課長の方へ向かった。

「急にごめんな。ちょっと紹介したい人がいるんだけど今時間少し平気かな……」

 後ろに、濃紺のスーツ姿に小太りで少々背が低めの黒縁メガネをかけた中年男性と、妹の海とちょうど年頃が同じくらいのグレーのスーツを着た長身で一見モデル風の女性が二人立っていた。


 いつも当たり前のように、意匠設計部と下請けさんの関係で、部屋も近いので気軽に行き来しているが、大切なお客さんを連れて来るのであれば事前にアポ取りしてくるだろうから、新しい仕入れ先の紹介かなと思い、少し気楽に部署内にある唯一の応接室が空いていたので案内した。

 

 未だに大人になった感覚は薄いが、社会人もそれなりに年数を重ね、状況判断の感覚だけは身についてきたようだ。

 

 部屋に入り上杉課長が手招きしながら座る席の位置に二人を誘導した。

 立ったままで二人とも名刺入れを取り出し、直ぐに挨拶できる態勢を整えた。

「えんしゅう紹介するな。初めてだよな……ピュアハウス設計事務所の出川社長と娘さんで専務の羽美うみさん」

「初めまして。志山航しさんわたるです。例のピュアハウスさんですね」

 即座に紹介された意味を理解した。

 先ず出川社長が、名刺を持つ右手を大きく振り上げながら差し出し、大きな声で挨拶をしてきた。

「ピュアハウス設計事務所の代表をしております出川徹でがわとおると申します。この度は色々とありがとうございます」

「志山航です。よろしくお願いします」

 お互いに名刺を交換する。

 続けて名刺を両手で丁寧に差し出してきた。

「娘の出川羽美でがわうみです。よろしくお願いいたします」

 航も両手で名刺を受け取り一度机の上に置き、自身の名刺を両手で差し出した。


 差し出した手の指先が震えていた。普段の名刺交換では震えないが、何故か両手で名刺を持ち、しかも綺麗な女性の時は必ず震える。

 

 お互いが交換した名刺を丁寧にテーブルに整え着座した。

 震えた手が相手にばれていないかが気になりながら、吉田と二人で担当している事を知っている上杉課長に問いかけた。

「吉田も呼んだ方がいいですか?」

「実はさっき偶然廊下ですれ違ったので挨拶したんだ。吉田がお客さんの所へ行く出がけだったみたいで急いでいたから立ち話しになったんだけど名刺だけは交換しといた」

「ああ、そうですか……」

 

 少し一人で受け答えする事に不安を感じながら、何を話せばいいか暫く考えていた。

 営業の吉田ならきっと頭で考える前に言葉が出てきて、話が次々と展開していくんだろうな……。まあ。俺は寡黙な仕事ができるキャラの印象を与えるかと追い込まれ気味の脳内細胞を活発に動かしていた。

 

 上杉課長が紹介に至るまでの説明を始める。

「少し経緯を説明するとな。志山は、そもそもピュアさんの事を知らないと思うけど昔からうちの仕事を何かと手伝ってくれてる訳だ。特に照明系のデザインのスペシャリストで何かとうちの若手もお世話になってる訳……そこで今回の企画のパートナー企業の候補を何社かピックアップしろと指示が来て、出川社長に相談して快諾してもらった訳」

 

 名刺に目を落とし、顔つきはさも真剣に聞いている振りをしながら、うみの漢字はこっちの方がいいなぁ……妹の海の事を出汁に使って何か話を盛り上げられないか、説明は上の空で考えていた。

 

「で、ピュアさんに上が決めて連名になったわけだ。で、前からうちの窓口の羽美さんから一度担当の方にご挨拶させていただきたいと言われてたから、たまたま今日別件で出川社長もお見えになったから顔合わせに来た訳だ」

 淡々と伝える。


「上が選ぶぐらいだからきっと立派な会社に間違いないよと吉田とも話してたんですよ」

 ホームページを事前に確認し会社の規模を把握していたにも関わらずとっさに社交辞令的な言葉を使う。


「ホームページで確認してくださいよ。しょぼい会社ですよ」

 見透かしたように返し、挨拶を始める。

「今回は改めて貴社との連名という名誉を頂き、誠にありがとうございます。娘ともよく話してるんですけど、本当に弊社の名前出してもいいのかなと、今でも思ってるんですが平気ですか?」

 第一印象とは少し違い低姿勢に弱気な感じで話しかけてきた。

 少し気遣う様な物言いで上杉課長が問いかける。

「うち的には全く問題ないですが、実際に提出した企画書お手元にありますか?」

「恥ずかしながら何もないんですが……」

 遠慮がちに、本心を悟られないような言い回しで答える。

 間髪入れずに上杉課長が指示する。

「それは大変失礼しました。志山。企画書用意して」

 

 席を立ち自身のパソコンで企画書三部の印刷設定をし、コピー機の前で印刷の終わるのを待ちながら、娘の名刺の名字が出川で薬指に指輪をはめて無かったからまだ独身かな……いやビジネス名刺は旧姓の場合もあるしな……結婚するとなったら、挨拶はあの社長の所に行くのか……と綺麗な娘のことばかり考えていた。

 

 印刷を終え二人に企画書を手渡す。間違いなく企画者名にピュアハウス設計事務所の名前が刻んであった。

 四人で確認するように一ページずつめくりながら、一つ一つ内容を確認し暫く沈黙の時間が流れた。

 今まで何も話さなかった娘の羽美が少し興奮気味に、航に問いかける。

「こんな素晴らしい企画書に弊社の名前を出しても本当にいいんですか……」

 本当に感動している眼差しを向ける。 

「そんなに褒めてもらえると一生懸命作った甲斐がありますよ……」


 これ全部吉田が作ったと言おうと、とっさに思ったのだが、さも自分が大半を作った感じを強調した。

 

 続けざまに出川社長が上杉課長の顔を見つめ喜びを表現した。

「この内容だったら本選に絶対選ばれますよ。課長間違いないですよ」

 羽美が興味津々な顔つきで素朴な疑問を航に投げかける。

「すごい日本の木にお詳しいんですね」

 

 いよいよ俺の土俵に乗ってきたなと思いながら、ペラペラと要所要所で自慢話を入れ、企画書の内容に沿って丁寧に解説した。

 

「では、社長。本選に選ばれた際には又よろしくお願いいたします」

 頃合いを見計るかのように、上杉課長が話を終わらせ、退席を促した。

 席を立ち退出の支度を整えながら娘の羽美が羨望な眼差しで、社交礼儀とはちょっと違うトーンで投げかける。

「お手伝いできることがあれば何でも言ってください。出来ることなら何でもしますので」

 

 とっさに高速回転で様々な妄想が頭の中に氾濫していた。


 二人を見送るため、玄関まで一緒に歩を進めた。

 その間は、上杉課長に娘の羽美が現在の仕事の進捗状況を説明し指示を仰いでいる様子だった。その後、玄関に着いた四人はお互い深々と一礼しその場を離れた。

 

 お互いの部屋に戻る為、階段を登りながら少し笑みを浮かべアドバイスした。

「あの会社のスタッフはみんな真面目で信頼していいから、何か必要な事があったら頼んでいいよ。なんせ連名なんだから」

「わかりました。ありがとうございます。美人さんにもまた会いたいと思ってましたから」

 半分冗談な感じで返した。

 

 階段を登り切り部屋に戻る為、逆方向に足を向け歩き出した航を「志山言い忘れた」と呼び止めると。

 振り向いた顔を見つめて真剣な顔で「あの娘バツイチ」と胸の前でXジャパンポーズをし、表情を崩し去っていった。

 

 美人を目の前にして、自分の考えてることがバレバレなんだなと苦笑いしながら部屋に戻った。


 自分の机に置き忘れていたスマホに吉田からのLINEが入っていた。

『えんしゅう好みの目鼻立ちが綺麗な女性が、間もなくそちらにお伺いすると思います。心臓バクバクさせて、緊張して舞い上がらない様に心から祈っております(笑)』

 完全にディスって来た。

 苦笑いしながら、スマホを操作し返信した。

『お陰様で無事終了しました。今後もいい関係を築けると思います。余談ですがあの美人はバツイチです(笑)』


 その夜の「見来」は、羽美とではなく何故か出川社長と、笑集で「あつ森」のインテリアの話で盛り上がっている、ありえない設定の楽しい映像だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る