見二来

 社内向けの企画書は、海に手伝ってもらい何とか作ることができたが、社外宛てのプレゼン資料の作成はハードルが高すぎると困惑していた。何しろ、お酒を飲めば少しは人とそれなりに話せるけれど、そもそも人見知りが酷いので営業職は無理だと思って今の仕事を選択したのに、大勢の人前でプレゼンするなんて全く無理な事と感じていた。

 

 そこで、入社時から何かと面倒を見てくれている屋敷課長に相談にのってもらいたく、仕事終わりののみの席を設けてもらった。

 航の不安を既に察知していた課長は、航の同期で、たまにみんなで飲み会をするメンバーで営業二課の吉田勇太よしだゆうたも席に誘っていた。

 課長と航が店の店頭に着くなり、既に場所取りがてら着座していた吉田が「えんしゅう。こっち」と店の中から呼びかけてきた。

 席に近づくと「お疲れ様です」と課長に、営業っぽい元気な声で深々と一礼し、課長が奥の席に座り、二人が手前の席に着座した。

 吉田が営業の癖なのか、袋に入ったおしぼりを破り、課長に丁寧に開き渡しながら飲み物のオーダーを尋ねた。

「えーと。最初は何にしますか」

「みんな最初は生でいいよね。じゃあ。生で乾杯しようよ」

 手をおしぼりで拭きながら、いつもの柔和な笑顔で答える。

「えんしゅう。よろしく! 生みっつね」

 隣で既に準備をしている、タブレットオーダー係りの航に声をかける。

 

 課長が飲み物の届く間に話しを始めた。

「えんしゅうさん。社長賞改めておめでとう。でも、やっぱり結構プレッシャーだよね。いっぱいいっぱいなんでしょ。今日はそんな相談なんでしょ……。で、分かってたんで吉田呼んどいた。吉田にも協力してもらって二人でプレゼン頑張りな。二課の課長には、話は既にしてあるから時間使っていいから」

 吉田が笑いながら肩に手をかける。

「そういう事で、えんしゅう宜しくな」

「課長、本当にありがとうございます。いや――。どうしようかと思ってたんですよ。吉田宜しくな。本当に頼りにしてるから……」

 全身の緊張が一気にほぐれた様な、何とも言えない安堵感と感謝の気持ちを抱いていた。

 

 吉田は営業の中でもプレゼンにも定評のある気さくな明るい奴で、航にとってこれ以上ないバディを手にすることとなる。

 

「お待たせいたしました――」

 茶髪の威勢のいい若い店員が生ビールを運んできた。

 課長がジョッキーを持ち上げながら二人の前に差し出し「じゃあ。プレゼン上手くいきますように。乾杯」との声掛けに、二人とも興奮気味の大音量で「乾杯」と、ジョッキーにヒビが入るような勢いで擦りあった。


 吉田が乾杯の一口目を飲み、ジョッキーをテーブルに置くと同時に、いきなりストレートに問いかけてきた。

「さて、社長賞のコンペ資料は読んだんだけど、これからどう仕上げていく」

 吉田とは同期なので、飲み会で何度も一緒になり二次会、三次会まで一緒に飲み明かす仲なので気心は知れているが、部署が違うのでこれまで仕事での接点が全くなかった。

「全くノープランで、自信もないんだよね」

 格好付けても仕方ないので、本音を吐露する。

「正直にそういってくれた方が……信頼できるよ。営業なんてさ――みんな張ったりかましてばっかだからさ――」

 俯きながら、少しトーンダウンで考え深げにジョッキーの雫をおしぼりで拭きながら、愚痴めいた本音めいた言葉を吐き捨てる。

 

 場の空気を変えるように課長が二人に話しかけた。

「今日は部長に、事情を話して二人の労いの席なのでよろしくお願いしますと頼んでおいたので、飲み放題、食べ放題だからパッとやっていいからな」

 その言葉で無礼講の空気が一気に空間を包み込み、頼んだつまみが次々とテーブルに運ばれ、いつもの様な賑やかな飲み会になっていった。


 酔いも回り楽しくなってきた吉田が投げかけた。

「えんしゅう。いや航さ――。せっかくの機会だから本物作ってみようぜ。何か、俺たちの時代に。ん……。生きていた証というか……」

 既にほろ酔いの航はいつもの様に気が大きくなり思いの丈を吐き出す。

「やるよ。俺。アイデアはいっぱいあるから。全部、イメージは出来てる。一本杉一枚板バーカウンター。そこで楽しむ多国籍の人達。遠足で来た小学生にかっよく説明している自分もね」

 笑いながら吉田の肩をたたく。

「マジで本気でやろうぜ」

 航に握手を求める吉田の手に一瞬目配せし、振り上げた自身の手に目を移しながら力いっぱい吉田の手を握りしめた。

 


 明後日、航と吉田二人での話し合いが、初めて航の部署の隅にあるフリーランスとの打ち合わせ専用のシートで行われた。

 吉田が先日の飲み会の後の様子を尋ねた。

「こないだはお疲れ様。あれから課長ともう一軒いったの?」

「〆のラーメン食べて解散したよ」

 お客さん専用の美味しいコーヒーを特別に差し出しながら答える。

「だよね。課長は家庭第一だもんね」

 納得したように首を上下に振り頷き、テーブルを不思議そうに触りながら四方に目配せし問いかける。

「しかしこのテーブル大きいね」

「いつもは、図面とか製作途中の模型とか置いてフリーランスの人たちとここで打ち合わせしてるんだよ」

「それで、こんなでかいんだ……。でもやっぱり、えんしゅうの仕事では必要なんだね」

 なるほどといった感じで、テーブルにもう一度視線を落とす。


「大まかなスケジュールと作業分担から決めていく」

 打ち合わせを始める様に、吉田がバックからパソコンと資料を取り出しながら問いかけた。

 航が応募要領を確認しながら少し表情を曇らせ答える。

「先ずは、選考会前に事前の書類審査があるからその書類を作らなくちゃいけないから。え――と。その締め切りが二週間後の金曜日だから、ちょうど二週間位しかないね」

 スタートを切る様に、吉田の顔にスイッチが入った。

「期間的にはえんしゅうの作った、たたきがあるから問題ないと思うんだけど、まず押さえておきたいポイントがいくつかあるんだよね。先ずは、今回の募集の主旨と役所の狙い。次にこの募集に至るまでの背景。もう一つは誰が応募してくるか。この辺を整理して共通認識しておかないと作りこみの段階で必ず齟齬そごが生じると思うんだよね」

 営業で培った経験からなのか論点思考を順序だてて的確に問いかける。

 

 航は、齟齬の意味とどんな漢字だったかが気になり、話に集中できないでいた。

 昔から、なぜか真面目な話をしていると雑念が浮かんでしまう。

 

「この大型開発の今までの経緯、どこまで知ってる?」

 探るような眼差しで航に視線を送る。

「今回の件があったので、ネットで改めて関連する新聞記事とかはチェックしたけどね」

 それなりに分かっている感じを醸し出す。

「あのさ――。一応ゼネコンの営業だから色々と裏情報が入って来る訳よ。うんと。どこから話せばいいかな……」

 どう話せば真意が伝わるか思案していた。

「今回の流れの根底には、川崎と横浜が同じ県の政令指定都市でIRの件で横浜の市長交代までなって、未だに跡地利用が決まっていない事があるんだよね。県、川崎、横浜のそれぞれの思惑と利権が絡み合って俺達には想像もできないバトルが繰り広げてきたんだよね」

「横浜が絡んでくるんだ……。川崎と横浜。話し合って仲良く出来ないのかな……」

 素朴に感じた素直な思いを口にした。

「で。そう。県が調整役になって川崎と横浜のすみ分けをしたんだよね。結局、湾岸地区の跡地利用のコンセプトって被るよね。そこで、『日本一の観光拠点川崎』を旗印に先行できて、今回の臨海部開発が始動したんだよね。もちろんその棲み分けの中で、現在ある施設と競合するような大型客船が寄港できる大さん橋や国際会議場は作らないといった密約もあったようだけど……。結局川崎としては、横浜の二の舞は踏みたくないとの思いでスピード感重視の判断に舵を切った訳なんだよね。福井市長は添島前市長からバトンを受けっとったので、役人もその流れの人事だから何かと決済が早いんだよね」

 真顔で結構な裏事情を提供した。

「はい」と何故か右手を上げ質問するように少しふざけ気味に問いかけた。

「それだったらもう既に全部決まってるんでしょ。力んで今回の企画書作っても意味ないんじゃないでしょうか」

「あの――。もちろん今回の公開募集は、役所的には市民のガス抜き要素もあり、アリバイ作りの側面もあるんだよね。表向きには……でもね、実は役人が市長のフリーハンド枠を勝ち取ったんだよね。結構凄いことなんだけど」

 マジな顔で航を見つめる。

「フリーハンド枠って……」

 全く理解できない顔で吉田に視線を送る。

「分かりやすく。市長の判断のみで決済できること」

 表情を変えずに端的に答える。

 

 航は内心では市長なんだから何でも自分で判断できるんじゃないかと思いながら、口に出したら馬鹿にされると思っていた。

 

「開発全体のボスは、航も分かってるだろうけど元総理大臣の霞だけど、地権者と港湾関連との調整の核となったのが添島前市長なんだよね。もともとは敵対関係だった二人だったけれど、そこは政治家、今はお互い利用しあう関係なんだよね」

 裏事情を解説し説明を続ける。

「インフラ。特にモノレール利権は霞の息子の関連の東光電鉄。土木関係も霞が押し込んできた企業と地元港湾関連企業とのJV。もちろん全て表向きは入札だけどね。あと、全体のデザインを手掛けた建築家の牧田修も霞一派だからね。でも、それと引き換えにランドマークとなるホテルは川崎市で自由に出来るんだよね。だから表と裏はあるんだけど今回の募集は、実は市としては本気な側面もあるんだよね」

 今回の募集の意義を強調するように投げかけた。

「なんか複雑だね……。でも結論的には余計な事は考えないでプレゼンの内容考えればいいってことかな……」

 少し首を傾け、お茶らけ顔で半笑いを浮かべる。

「そういう事」

 楽し気に航に視線を送りながら、コーヒーカップを持ち上げた。


 コーヒーを一飲みし、少しの間を互いの想いの時間ときに費やす。

 

 言い足りない感じで吉田が話始める。

「それと、この募集形式だとネット応募で一般市民から様々なアイデアが来ることは間違いないんだよね。もちろん役人としては、その中の数件を実際に反映させてやりましたアピールするだろうけど、今回の選考会の選考結果は結構重いと思うよ。優秀賞数名と最優秀賞を決めるわけで、その結果次第でその企画が実際の採用に決まる可能性は非常に高くなると思うから。一応役所の逃げ道確保のために要綱では実際の採用について保証するものでないとは書いてあるけどね」

「て、いう事は、他の会社も本気モードで仕掛けてくるって事にならない」

 ちょっと不安げな感じで問い返す。

「間違いなく背景が分かってる会社はやってくるね。ただ、大手ゼネコンが自社の看板ぶら下げて来ることは避けると思うので、中小企業が集まった有志グループにカモフラージュして参加するかもね。うちの上でもそこは検討してるんじゃないかな。色々と兼ね合いがあるからね」

 パソコンのボードをたたきながら、モニターに目をやり冷静な感じで解説してきた。

「会社名じゃダメなんだ……」

 内容の本質が理解できないような感じだった。

「会社名で応募できない規則にはなってないよ。ただスーパーゼネコンに審査員もお役所的にも決めづらいでしょ。趣旨からいって。裏で最初から決まってた的な印象は避けたいんだよね。本当はそうでないにしてもね。他でも同じような感じの事って結構あるよ」

「流石に営業職だけあって知ってるね……」

 本当に関心した眼差しで吉田の顔を覗き込む。

「ということで、選考会を想定して、マジに作らないとね」

 真剣に投げかけてきた吉田の目に飲み込まれるように、気合を入れ座り直した。

 

 吉田が事前に作った資料を航に手渡す。

「まず、今回どんな人がどんな内容のアイデアを出してくるかの想定なんだけど、『国際色豊かなゲストが集う観光拠点』がテーマで、何の制約もないんだよね。極端に言えばホテル丸ごと漫画とアニメの世界でもいいんだよね」

 

 航は一瞬、内心。と思いながら悟られない様に真剣な顔をキープした。

 

「一応部門訳が、ホテル全体の愛称とコンセプト、観光拠点を象徴する空間の提供、日本の芸術文化を発信するアイデアの三つの部門になってるんだけど、外観デザインは既に街全体のデザインと一緒に決まってるから、アプローチを含む外回りは対象外だね。うちの企画は、『観光拠点を象徴する空間の提供』にエントリーすることになるんだけど、ここにみんな意匠設計をぶち込んでくるね。でもホテルの空間っていっても今回提案対象のバーやメインダイニングだけじゃないからね。ロビーや客室、共用部もあればパーティールームもある。どんな切り口で提案してくるかは不透明だからね」

 少しの間を空け続ける。

「これは読みなんだけど……。うちらの部門は書類選考の段階で振るわれて、設計のプロ集団が選考会のプレゼン権利を手にすることは間違いないよね。市民団体やNPOとかはその他の部門で選んでバランスとると思うけど。そこで、ホテル全体の空間を対象とした企画と俺たちみたいに提案個所を限定した企画とに分かれるんだけど、全体よりもメインロビーのデザインに力点を置いた感じが多いと思うんだよな……。やっぱり顔でしょ」

 

 航は言ってる内容を理解することは出来たが、何が言いたいかが解らずに少し眉間にしわをていた。


「いずれにせよそういう事で、相手も本気で仕掛けてくることは間違いないから、審査員にインパクトを与える内容にしないとね。で、次のページからだらだらと色々書いといたので読んでみて」

 航が二十ページ程ある書類を次々とめくりながら驚く。

「これ全部一人で吉田が書いたの……。スゲ――な……」

「まあ、後でゆっくり読んどいてよ。気になった点あったら今度教えて。で、いくつか押さえておきたいんだけど、まず六ページ目かな、大まかなスケジュールの中にあるタスクの項目を一つ一つ潰して欲しいんだよね」

「これね。ギネスに直接確認……杉に関する数値データ……全く問題なしです」

 右手でOKマークを作る。

「後は、ここが重要だと思うんだけど、もう少し尖った物がプラス欲しいよね。みんなが想像しやすい物で、なんかストーリー性のあるやつが欲しいよね……考えといてよ」

 少し茶化すような顔つきで航を見つめる。

 

「今日はこれから一件アポが入ってるから。来週のどこかでまとまった時間作るから、また連絡するね」

 パソコンを閉じ、席を立つと、屋敷課長に一礼し部屋を出て行った。


 

 その夜の「見来」は、何故かお寺の境内の中で、竹ぼうきで掃除してる優しそうなお坊さんから「あるがまま。あるがまま」と何度も話しかけられている不思議な優しい映像だった。

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