第4話 埼玉県の廃村

 翌日の昼、俺は時間通りに玄関の前に来た。

 村瀬むらせはもう来ていて、小森こもり三軒さんげんも俺のすぐあとにやってきた。


「みなさん、時間通りに来てくださってありがとうございます。早速ですが、出発しましょう」


 四人で車に乗り込み、小森は颯来そらのいる村へと車を走らせた。

 小森の運転は相変わらずだけれど、助手席に三軒が座ったおかげで俺は後部席になり、視覚的な恐怖感は減った。

 減っただけで、なくならないのが悩ましい。

 山道を登り、廃村へ続く脇道がある橋の下で、両手で手を振る颯来の姿があった。


「颯来さん、お待たせしました。ここまで来てくださってありがとうございます」


「そんな……このあいだは、ご迷惑をかけちゃいましたから……高梨たかなしくんにも……」


 村瀬の隣に乗った颯来は、膝の上でこぶしを握り、うつむいた。

 確かに、あの日は驚いたけれど、迷惑だなんて思っちゃいないのに。


「……っていうか、高梨くん、子どもになっちゃってる? なんで? 今日のため?」


「あ、うん、ちょっとね」


 今日のために変わったのなら、どれだけ良かったか。

 勝手に変わったとは言いにくく、俺は言葉を濁した。

 ふと見たバックミラーに、小森が映っている。

 いつものように眼鏡を上げ、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべているのが見えて、俺は心底ムカついた。


 まるで遠足にでも行くかのように、三軒と颯来、村瀬の三人が、キャッキャとはしゃいでいるのを聞きながら、俺は一人、ウトウトしながら聞いていた。

 その声がだんだんと水の中で聞いているように、くぐもった音に変わっていく――。


 ………………。

 ……。


 ボソボソと遠くで男女の話し声が聞こえてきた。


『……た? ……ねえ? 足音は立てないでよ? 人目につかないようにしているでしょうね?』


『俺だってバカじゃねえんだぜ? そんなの当然だろ?』


『じゃあ、早く! ホラ、そっちを持って!』


 声を潜める男女の会話は、俺の耳にハッキリ届いているのに、体がまったく動かない。いや、動けない。

 とにかく眠くて眠くて、意識を保っていられない。


 知らないヤツが、どうして俺の部屋へ入ってくるんだ?

 腕を取られて、自分の重みで尻が床に擦れる感覚に、どこへ連れていかれるのか、なにをされるのか不安が湧き立つ。

 やめろと言いたいのに、声が出せず、喉が震えた。


『おい、こいつ起きてるんじゃ――』


『そんなハズないから! 大丈夫だって言っているでしょ!』


 怒りを含んだヒソヒソ声は、聞き覚えのある声だ。

 まさか、そんな……と、俺は困惑していた。

 首筋にヒヤリとしたなにかが触れ、体がわずかに浮き上がる。


『――じゃあね、わたるクン』


 耳もとのつぶやきと女の笑い声が聞こえた瞬間、ガクンと落ちた感覚に、俺は驚きと恐怖で声も出せずに……。


 ……。

 ………………。


 ハッと我に返ったときに耳に飛び込んできたのは、夢の中の女ではなく、三軒と颯来の笑い声だった。

 全身に氷水をかぶったみたいに寒気がして、ガタガタと体が震える。


「高梨くん? どうかした?」


 隣の村瀬が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。


「いや……なんでもない。大丈夫だよ」


 いつの間にか、窓の外は夕暮れの空が広がっている。

 思ったよりも長い時間、眠っていたようだ。

 夢は一瞬のことだったのに――。


 あの女性の声は、茉莉紗まりさだ。

 俺が当時、結婚を前提に付き合っていた人だ。

 男のほうは、誰だかわからない。


 夢のおかげかなんなのか、思い出せなかった生きていたときのことが、薄ぼんやりと蘇ってきた。

 それはまだ断片的なもので、大まかにあった出来事だけだけれど。


――だから今、この姿か――


 姿が変わったとき、三軒が『思い入れの強い年齢っていうのがあるのよ』と言っていた。

 確かにこのころは、いろいろな意味で俺にとってサイアクの時期だった。


 思い出せないなら、思い出せないままでも構わないと思っていたのに。

 どうせ死んでいるんだし、全連に入ってから困ることはなかったのに。


「みなさん、そろそろ着きますよ」


 山間の細く古い舗道を進みながら、小森は車を止めた。


「さ、さ、降りてください。ここからは、少しばかり歩きますよ」


 こんなところは、颯来のいた村と一緒か。

 どんな理由で廃村になったのかは知らないけれど、簡単に行かれるようなところなら、人の往来も簡単で、廃れることなどなかっただろう。


 真っ暗になった山道を小一時間ほど歩き、俺たちは廃村の入り口へとたどり着いた。

 体の疲れは感じないけれど、心はなんだか疲れを感じている。


 勝手知ったる様子の小森は、迷うことなく進んでいく。

 周辺の住居は、颯来のいた廃村よりもしっかりと残っているようだ。

 きっと廃村になってから、年数が浅いほうなのだろう。だからこそ、人が住み着くのか……?


「ねぇ……なんか遠吠えみたいな声が聞こえるんだけど……」


 俺の隣を歩く村瀬が、動画配信者たちのようなことを言う。


「このご時世、狼なんていないんだし、野犬かなんかじゃあないの? 鹿とかさ」


「えぇ……? 鹿はこんな鳴き声は出さないし、野犬もこの辺りにはいないんじゃ……」


――ギエエエェェェェッ!!!!!!――


「ぎゃっ! ホッ……ホラ、聞こえた! 聞こえた!」


 村瀬は見てわかるほど、膝を震わせて小森の背中にしがみついた。

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