ロイドの誘い
クライヴは、何の悪びれもなくそう告げた。
しかし、一度の宴で二曲以上踊ることは婚約者を意味することをリラは知っていた。
「アクイラ国ではわかりませんが、ここアベリア国では一度の宴で二曲以上踊ることは婚約者を意味しておりまして。」
「それで罰せられるの?」
「法的に何か問題があるわけではないと思いますが、社交界のマナーでして。」
「じゃあ、気づかなかったふりすればいいんじゃないかな。」
リラはクライヴの問いに終始困惑していた。
確かにクライヴの言う通りマナーに違反したからと言って、罰せられることはないだろう。
成人の宴では社交界初心者どころか初めてのものがほとんどだ。リラと同じく中流階級の貴族の令息が相手であれば、うっかり間違えたところで、周囲も笑って許してもらえるかもしれない。
しかし、目の前にいるクライヴはアクイラ国の皇子であり、誰もが見惚れるこの美貌だ。片田舎の伯爵令嬢が一国の麗しい皇子を社交の場で独占などあるまじき行為である。
罰せられないにしてしても、リラは明日からどのような誹謗中傷を受けるかわからない。ともすれば、リラだけでなくリラの家族にも嫌がらせを受けるかもしれないのだ。
ただのマナー違反、されどマナー違反。自分の迂闊な行動で、それだけの惨事になりかねないのだ。
リラは気を引き締め唇を噛み締めた。
一方のクライヴは、そんな苦し紛れのリラの言い訳をひとつも気にした様子はなく、リラの手をを引き寄せた。
まさかの行動に油断していたリラは、クライヴの胸に吸い込まれ抱きしめられるような体制になった。
途端に、リラはクライヴの熱に、甘い薔薇の香りがまざまざ感じられ高揚し、蕩けそうになった。
クライヴはそんなリラに、これでもかと熱い眼差しで送るのだった。
本来であれば直ぐにでもクライヴを押し退けて離れなければならないのだろう。リラも頭ではそのことを理解していた。けれど、こんな類稀なる美貌の男性に抱きしめられて誰が離れることなどできるだろうか。
(私もあなたとこのままあなたと踊りたい…。)
そんな欲望が沸々湧き上がるが、周囲から感じる冷たい視線にリラの理性を取り戻した。
見渡せば、周囲のものはすっかりパートナーを変えて次の曲を待っているのだ。リラたちが、まごついているせいで曲が始められないでいるようだった。
早くこの場から退かなければならない。リラは焦った。
「申し訳ございません。また次の機会がございましたら、アクイラ国皇子と踊らせていただければと思います。」
リラは決死の想いで、クライヴに眉間に皺を寄せ懇願するような表情で訴えた。
「じゃあ、婚約したら踊ってくれるの。」
「え…。」
リラはあまりのことに耳を疑った。
いましがた、クライヴの口から『婚約』という信じられない言葉が聞こえたような気がしたのだ。
リラは驚きのあまり気の抜けた声と共に腰が抜け崩れ落ちそうになった。
けれど、クライヴが、すかさずリラの腰をがっちり抱き寄せ離そうとはしなかった。
そして腰を抱く手とは逆の手でリラの顎を持ち、クライヴはそのリラの大きく潤んだ瞳を覗き込んだ。
「リラ嬢、一緒に踊っていただけませんか!?」
突如、ふたりの仲に割ってきたのは、ロイドだった。
ロイドは息を切らしながら、悲痛な表情でリラに手を差し出した。
「ロイド様…。」
リラが驚きのあまりそう呟いた。
リラはアベリア学園では、ロイドのことを学友として親しみを込めてファーストネームで呼んでいた。けれど、このように公共の場であれば、リラはロイドのことを『殿下』と呼ぶようにしていた。
しかし、突如、現れたロイドに驚き、リラは思わず呼び慣れている言い方を口にしてしまったのだった。
「『ロイド様』、ね」
クライヴは面白くなさそうに、そう呟くと、一瞬ロイドをギロりと睨みつけ、あっさりリラの手を離した。
リラは、クライヴが興醒めした様子で、あっさり手を離したことに安堵よりも罪悪感を抱いた。クライヴの急変にリラは心の整理が追いつかなかったのだ。
何か失礼なことをしたのだろうか。
嫌われたのだろうか。
社交界のマナーについては一通りアベリア学園でも学んでいたものの、この成人の宴がリラにとって初めての社交場であった。初めてのことは、何か知らず知らずのうちに粗相をしたとしてもおかしくはなかった。
加えて、他国であるアクイラ国の社交界のマナーについては、流石に授業でも細かく教わることはなかった。
リラは、そんな無知な自分が悔しくて情けなくて仕方がなかった。
それと同時に、クライヴへの興味が芽生え始めていた。
あの美貌の皇子はなぜ突如として、自分なんかに婚約を仄めかす言葉を告げたのか。
そんな疑問が沸々と浮かび上がった。
けれど、リラとクライヴの身分差は大きく、加えて国が違うのだ。この成人の宴を最初で最後にクライヴに逢うことなどもう一生ないだろう。
むしろ、今日、このめでたい日に出逢えたこと、声をかけられたことが奇跡なのだ。
そう思うと、先ほどの誘いを本当に断って良かったのだろうか、そんな後悔の念が心を蝕んでいった。
あの甘い薔薇の香りに少し低い声、何より美貌そして澄んだ紅い瞳、クライヴのすべてがリラの心を鷲掴みにしていた。
(あの人の手を取らなくて良かったのだろうか…。)
けれど、やはりただの一伯爵令嬢にすぎない自分が一国の皇子と二度も踊ることなど憚られる。後で、どんな言い訳をしても、誹謗中傷は免れないだろう。
最悪の場合には、せっかくダンスに誘ってくれたクライヴにさえ辱める悪評立つかもしれない。
そんなことになったらリラは、あまりの恥ずかしさに二度と表を歩くことなどできないだろう。
どんな形で断ったことは正解である。
リラは去り行くクライヴの後ろ姿を見ながら努めて思うことにした。
「リラ嬢。改めて私と踊っていただけないだろうか。」
そんな後ろ髪引かれるリラを見つめながら、ロイドは呼吸を整え再び手を差し出された。
ロイドとは学友と言え、我が国の皇子である、リラはその誘いを無碍に断ることはできなかった。
「はい。殿下。」
リラは小さく頷き、笑顔でロイドの手を取った。
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