クライヴの誘い

 本来のリラであれば他人を何秒も直視することなどない。相手に対して不敬なことは、重々承知していた。けれど、どうしたら目を逸らすことが、できるだろうか。

 リラは、ただただ美しい絵画や風景を眺めるような純粋な気持ちで、その男性に魅了されてしまったのだった。


 その男性はリラの視線に気がついたのか、不意にリラの方を向いた。

 ふたりの視線が交わると、男性は少しだけ口角をあげて、ふっと笑った。

 その男性の美しい笑顔に胸を打ち抜かれつつ、リラは、やっと自分がその男性に見惚れてしまっていた事実に気づき、慌てて目を逸らした。


 リラは目上の方に不敬を働いてしまった自分が恥ずかしく、また国皇の言葉を全く聞いてなかった自分にも情けなくなった。まさに穴があったら入りたい、そんな気持ちだった。

 リラは、そんな自分の失態を取り返すように、直様、姿勢を正し国皇に向き直った。ただ、その頬は少しばかり紅く染まっていた。


「…して、今宵はみな楽しんでくれたまえ。」


 国皇の言葉が終わり、リラは皆と共に何事もなかったように拍手をした。


 国皇と皇后に次いで、来賓の方々が退席し、再び歓談の時間を迎えた。


 ここからが成人の宴のメインイベントである、深夜まで続くダンスパーティーだ。

 誰もがワルツがなり始める前に、意中の異性や見合い候補を探し声を掛けようと慌ただしくする中、リラは隣にいたアビーに腕をがっしり掴まれ、会場の奥にあるデザートビュッフェに連れて行かれた。


 アビーは、彼女の姉から「成人の宴のデザートビュッフェはすごい豪勢なのよ!」と聞かされており、「デザートビュッフェは行きましょうね!」と以前から話していたのだった。


 アビーの姉が言う通り、成人の宴で出されるデザートは、貴族御用達の人気のパティシエが新作のデザートを出すことでも有名だった。

 今年、人気となるであろうデザートを逸早く食べることができるなら、食べない選択肢などない。女性なら誰でもそう思うだろう。


 そして、今年もそんな噂に違わない光景が三人の目の前に並んでいたのだった。

 アビーはもちろんリラもクリスティーヌも瞳を輝かせずにはいられなかった。


「うわぁ…。」


 どれから食べてみよう、リラはそう考えていると、優しい薔薇の香りと共に後ろから肩に手をかけられた。


「何しているの?」


 リラは突然のことに、体がびくつかせた。

 慌てて振り返ると、そこには先ほど見惚れてしまっていた男性が立っているではないか。


「「アクイラ国皇子」」


 アビーとクリスティーヌが声を揃えて口にした。

 リラは先ほどまで見惚れていた男性がそこにいることと、更にそれが隣国であるアクイラ国の皇子こと『クライヴ・レオ・アクイラ皇子』であることに吃驚し口をあわあわさせていた。


「どうしたの。さっきは穴が開くほどずっと見ていたのに。」


 クライヴは片側の口角だけあげ、その紅い瞳で熱く真っ直ぐリラの青緑色の瞳を捉えた。


「……。すみません…。」


 リラは、先ほどの自分の行動が恥ずかして、思わず謝った。


「ふふ。怒ってないよ。何してるの。」


 クライヴは微笑しながら、恥じらうリラを他所に、先ほどの仕返しと言わんばかりに両の瞳をしかっりリラの瞳を捉えていた。


 リラは、間近で見るクライヴのあまりにも美しい顔立ちに、恥ずかしさを覚え後ろのデザートに視線を逸らした。


「皆でデザートを頂こうと思いまして…。」


「ふーん。俺も食べたいな。」


 クライヴは、リラの肩に置いた手をそっと後ろに引き寄せ、耳元で甘く囁いた。

 その少し低く甘い声にリラはびくっとした。耳が仄かくすぐったい。


 リラは緊張のあまり振り返ることはできなかった。クライヴを見つめれば、またその紅い瞳に囚われ見惚れてしまうだろう。


「な、何か好みのもの、もしくは苦手なものはございますか。」


 リラは不敬と思いながらも振り返らずにクライヴに尋ねた。


「リラが好きなのを。」


 リラは、その言葉に驚愕した。まだ名乗っていない筈の自身の名前をクライヴが知っているのだ。リラは慌てて振り返った。


「え。私の名前名乗りました…っけ…。」


 一国の皇子に対して、そもそも挨拶すら疎かにしていたのも失礼な話しだが、話しかけられて、すぐにデザートを選ぶように言われては、名乗る隙もないと言えばなかったのだ。

 しかし、国賓に礼儀をかいてはならない。リラはそう思い改めて挨拶をしようとした。


「し、失礼しました。アクイラ国皇子。リラ・アリエスと申します。本日は…」


「ああ、そういうのはいいよ。リラが好きなもの食べたいから選んでよ。」


 リラの言葉をわざと遮るように、クライヴはデザートを選ぶように促した。

 リラは、なぜ自分の名前を知っているのか疑問に思ったものの、目の前にいるのは国賓だ。ここはしっかり持て成さなければ、と気を取り直し、デザートを選び始めた。


 リラは、クライヴの好みがわからなかったので、味にばらつきがでるように配慮しながら、マカロンやチーズタルト、チョコレートムースなどいくつか皿にデザートを盛った。


「いかがですか…。」


 リラは恥ずかしげに、クライヴに盛った皿を見せた。


「リラが一番好きなのは?」


 クライヴは毎度のことながらリラの瞳をしっかり見つめて尋ねてきた。


「私は苺のタルトが美味しそうだなと…。」


 そういうとクライヴは、フォークを手に持ち、タルトを食べやすい大きさに切ると口に運んだ。


「甘すぎず、酸味があってとても美味しいね。」


 その優雅な指先にリラはまたもや無意識に見惚れてしまう。クライヴもそんなリラにひとつも気にした様子もなく、タルトを頬張っていた。


「リラもどうぞ。」


 そういうとクライヴは、リラにフォークを差し出した。

 ふたりがそうして、暫くデザートを堪能しているとワルツが流れ出した。


 ここからが成人の宴の本番、誰もが待ちに待ったダンスタイムだった。

 そこかしこで、我先にと意中の令嬢に手を差し伸べ踊り出していた。

 リラは社交界にはあまり興味がなかったとは言え、それでも一令嬢だ。皆が踊り始めた姿は想像の何倍も華やかでリラには眩しく見えた。


 そして、クライヴとの甘い一時の終わりの合図でもあった。

 隣国の皇子で、かつ美貌のクライヴをここにいる令嬢たちは逃す筈などないだろう。

 先ほどから気にしないようにしていたが、周りの令嬢が、ちらちらこちらの様子を伺っているのを痛いほど感じた。おそらくクライヴがリラから離れるのを待ち構えているのだろう。


(アクイラ国皇子は、どちらの方と踊られるのでしょう…。)


 リラは一令嬢だが、身分もそこまで高くはなくないため、一国の皇子と踊ることなど相応しくないと思っていた。

 クライヴは、どこぞの美しい令嬢の手を取って踊り始めるのだろう。自分にはそれを見つめるくらいが分相応だ。

 そう思っていたにも関わらず、クライヴはリラの前に手を差し出した。


「踊ろうか。」


 あまりのことに、リラは大きな青緑色の目を見開いた。一瞬、断ろうか戸惑ったものの国賓である一国の皇子からの誘いを断るのも不敬と想い、恥じらいながら小さく頷き手を取った。


 クライヴは優しく微笑むと、リラの手に優しく口付けをした。

 まだ知り合ったばかりの令嬢に皇子は敬意を意味する口付けをするものなのかと、リラは驚いたのも束の間、腰に手が回されクライヴの体温を間近に感じ、リラは一気に熱を帯びていった。


 学園の授業で何回か異性とダンスをしたことはあった。

 けれど、こんなに異性を意識し、緊張したことは人生であっただろうか。


 踊りづらい相手だと思われてはいないだろうか。

 握られた手が汗ばんでいないだろうか。


 すべてが緊張して恥ずかしく、失礼がないかと不安がよぎった。

 その一方でクライヴの紅い瞳、クライヴの甘い吐息、クライヴの体温、クライブの甘い薔薇の香り、クライヴの全てを感じ、敏感になっていった。

 リラは必死に何も考えないように強張った顔になりながら、平常心を保とうと周囲に視線をやった。


「どうしたの?そんな恐い顔して。こっち向いて。」


 しかし、クライヴはそれを許さない。


「さっきは穴が開くほど見てたのに…。」


 クライヴは先ほどの意趣返しと言わんばかりに、わざと甘く耳元で囁いた。

 リラは、また耳元がこそばゆくなりながら、仕方なく唇を噛み締め、眉を振るわせながら上を向いた。


「ふふ、やっと目があった。」


 クライヴは甘く微笑んだ。


「今日は早々に退席しようと思ってたのだけど、まさかリラに逢えるとはね。」


 こんなにも美しく、そればかりかこんなにも色気がある人はこの世にいるのだろうか。

 なぜか自分の存在が恥ずかしくなり、何となしに視線を逸らすと、たま甘く囁く声がこそばゆかった。


「もっと俺を見て。」


 クライヴは目を細めてやさしい微笑んだ。

 少し低い優しい声もリラの感情もこれでもかと揺さぶり、誰が彼に抗えるだろう。

 その言葉に従うようにリラは、再び美しいクライヴの紅く透き通る瞳を見つめた。


 身体中がクライヴで埋めつくされるのを感じた。


☆ ☆ ☆


 暫くすると、曲が終わり迎えた。

 周囲の令息・令嬢はお互いに一礼をし別れを告げていった。

 今度は本当に夢のような甘い時間は終わりなのだ。


「アクイラ国皇子、ご一緒に踊れたことに深く感謝いたします。どうもありがとうございました。どうぞ引き続き素敵な夜をお過ごしください。」


 リラも名残惜しくはあるが、周囲に習いクライヴに一礼をし、笑顔で挨拶を告げた。

 しかし、クライヴは礼も挨拶もすることなく、再びリラの手を取るのだった。


「もう一曲。」


 そう言うと、クライヴは真っ直ぐに熱い眼差しをリラに向けた。

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