第265話 ラストピース

まるで漫画のべた塗りのような感じで、俺と謎の男以外のすべての風景が塗りつぶされていく。


建物も通行人も気がつけばすべて黒に覆われていき、辺りは一面、何も見えなくなった。

街の喧騒も、風の音も聞こえない。まったくの静寂しじまだ。


まったく様相が異なるが、地球で二匹の鬼たちに襲われた時とこの空間の雰囲気がどこか似ている。


「な、何をしたんだ? お前は誰だ!」


「……それは、私のセリフだよ。君こそ誰だね? 突然現れて、場を搔き乱す。それに今の私の状態は、人間には目視できないはずなのだが、しっかりと認識できているようだね。率直に尋ねよう。誰の指示で、バルバロスに接触した? 目的は何だ」


「別に、誰の指示でもない。それにバルバロスなんて知らないよ」


「しらを切っても無駄だ。私はとても鼻が良いんだ。お前の体にはバルバロスの匂いがはっきりと染みついているし、何よりあれは、私が手塩にかけて育てた手駒だ。自爆を選択せざるを得ないような相手など、このニーベラントには限られている。なまじ優れた素質を持って生まれたがために、王位継承の妨げになると目の敵にされ、暗殺の対象になるなど不遇な身の上だった。それを私が救い、そして鍛えたのだ。手をかけてやった分、情けも湧く……」


男の姿が消えた。

そして、一瞬で俺の前に姿を現したかと思うと、首の後ろのあたりの服を掴み、腹に膝蹴りを食らわしてきた。


「ぐえっ……」


臓腑を抉るような痛みに、俺は思わず胃液を吐き出しそうになった。

膝をつき、そのまま倒れそうになったが、男は俺の髪を掴んで、それを許さない。


咄嗟に≪理力りりょく≫改め≪神秘力ミステリアスパワー≫でガードしていなければ、どうなっていたかわからないほどの威力だった。


人の姿をしているが、神であることは間違いなかった。

攻撃をされた、その一瞬に神のものと思われる気を感じた。


それは、かつての俺やウォラ・ギネが扱う≪理力≫よりもエネルギーとしてはさらに高密度で、しかもその持ち主によってそれぞれ独特の個性のようなものを感じるのだ。


だからこそわかる。

終末の日に俺が出会ったあの黒幕Ⅹとは、その姿もそうだが、まったくの別人だ。


「妙なやつだ。人間のような体をそのままに≪神気≫を帯びてやがる。それにお前、色々と混じっているな。なるほど、俺を目視できたことといい、お前の正体には興味が湧いて来たぞ。さあ、吐け。お前は何者で、どこから来た?」


「……」


男は静かな怒りの籠った眼差しを向けながら、今度は俺の顔面を蹴ってきた。


衝撃で脳が揺れ、右頬に痛みが響く。


「……質問を変えよう。お前がバルバロスに近づいた目的は何だ。何を話した?」


吹き飛ばされ、仰向けになっている俺にゆっくりと歩み寄りながら男は尋ねてきた。


くそっ、逃げ出したいが、情報を得る千載一遇のチャンスでもある。

俺は、ロードしたい衝動を必死で抑えた。


「お前こそ、何者なんだ。それを教えてくれたら、全部話す。お前は、バルバロスを背後で操っている黒幕なのか? 」


「黒幕? 人聞きが悪いな。俺はただの支援者だ。そう、人助けをするのが趣味でね。困っている者を見ると、神でも、人でも放っておけないのさ」


人助け?

わからない。そもそも、こいつはいったい何者なんだ。


「……名前だけでも教えてくれないかな。そうじゃないと、白状しようにも会話がしにくでしょ」


「……」


「俺はユウヤ。ねえ、頼むよ。このあと俺はたぶんあんたに殺されちゃうんでしょ? だったら、名前くらいは教えてくれてもいいじゃないかな。自分が誰に殺されたのかわからないまま死ぬなんて、哀れで惨めでしょ」


「……まあ、いいだろう。俺は、ボォウ・ヤガーだ。さあ、満足したら、さっきの俺の問いに答えろ。そうしたら、一思ひとおもいに殺してやる」


ボォウ・ヤガー。

偽名かもしれないけど、まずは一歩前進だ。


「まず俺の正体だけど、地球から無理やり連れてこられた異世界勇者っていうやつらしい。バルバロスとはちょっとした意見の対立があって、喧嘩になった。それでボカーンって感じに自爆されちゃったんだけど……」


「嘘だな」


傍らで見下ろしていたボォウ・ヤガーは、何のためらいもなく俺の右手の甲をかかとで踏み砕いた。


俺は悶絶し、体をよじったが、手の上のボォウ・ヤガーの足をはねのけることができない。


「吐くなら、もっとマシな嘘をつけ。なかなかうまく隠しているようだが、お前から時折、微かに感じる気は紛れもなく神のものだ。しかも正体を隠すためなのか、様々な特徴の気が複雑に混じり合い、実に奇妙な状態を作り出している。あたかも人間のような肉体を有しているが、それも違う。私も永く生きてはいるが、お前のような存在は初めて目にしたよ。それにバルバロスは、ちょっとした意見対立などでおのが身を犠牲にしたりはしない。あれが、あのような行動をとったのは私への忠誠と献身からだ。私の害になる。そう思われる状況に陥ったからこそ、自ら命を絶ったのだ!」


ボォウ・ヤガーは砕けた俺の右手の甲を、載せている足でさらに踏みにじった。


俺は苦痛に身悶えし、顔を歪ませた。


「……わかった。もう白状するよ。実は、あんたたちのたくらみについて探っていたのさ」


「企みだと?」


ボォウ・ヤガーの目の色が微かに変わった気がした。

いや、表情自体は変わってないし、そんな風に見えただけかもしれないが……。


星核せいかく……。あんたたちの狙いはそれなんだろ? バルバロスを使って、その計画に邪魔になりそうな人間を始末させたり、色々、陰でやらせてた」


本当は唯の憶測だけど、この際、もう思い切って断言してしまおう。

このままだと、どうせ殺されてしまうんだろうし、せめて相手がどう反応するのか確かめてから死にたい。


「驚いたな。誰の差し金か知らないが、そこまで事実に辿り着いている者が現れるとは……」


ボォウ・ヤガーは、そのポーカーフェイスを崩し、心底驚いたという顔で俺に馬乗りになってきた。


そして、問答無用で胸ぐらを掴むと、呼吸ができないくらいに強くその両こぶしを押し付けてきた。


「おい、お前の背後にいる者たちの名を言え。どこの組織だ。それとも女神リーザなどの指図で単独で動いているのか? 」


「ぐっ、苦しい。や……めて……、死んじゃう」


ボォウ・ヤガーは俺の頭を浮かせ、そして黒一色の冷たい平滑な地面に強く叩きつける。


何度も、何度も、何度も。


「さあ……、話す気になったか」


朦朧としかかった意識の中、頭や顔、手など他にも全身あちこちが痛かったが、俺は内心、喜んでいた。


ようやく……、すべてが繋がった。


このボォウ・ヤガーという奴はあの終末に姿を現すエックスとは異なる存在であったが、少なくとも世界滅亡に直接関わっている黒幕のうちの一人だ。


ジブ・ニグゥラ、イチロウ、バルバロス。


彼らとエックスの間を繋ぐ、最後の謎のピース。

それが、ボォウ・ヤガーだと確信した。


しかも、ボォウ・ヤガーは自分たちが星核せいかくを目標にしていることまで、その反応から明かしてくれた。

俺を始末するつもりでいるからこその油断があったのだろう。

そして、確実にそれを実行するだけの実力と自負もあるのだと思う。


そして、こうしてボコボコにされてみてわかったことがある。


このボォウ・ヤガーは確実に、あの黒幕Ⅹよりは格下の存在だ。


そう確信できるほどに、あの黒幕Ⅹはまさに超越者のさらに上を行く絶対的な力を持っていたのだ。


身をもって何度も殺された俺にはわかる。


「おい、お前。何をニヤついているんだ。 頭でもおかしくなったのか?」


ボォウ・ヤガーから、これ以上の情報を引き出すのは、たぶん力の差がある今の俺じゃ無理だ。


だけど、まったく手も足も出ないわけじゃない。


俺は逆にボォウ・ヤガーの胸ぐらを左手で掴むとそれを引き寄せ、≪神秘力ミステリアスパワー≫を全開にした状態でその鼻めがけて、頭突きを食らわしてやった。

全身全霊。

額に俺の今の全力を込める。


ぐしゃり。


完全に油断していたのか、ボォウ・ヤガーの自慢の鼻はあらぬ方向に曲がり、血を吹く。


「このぉ、くそ餓鬼……」


ボォウ・ヤガーの顔が鬼の形相になり、その目には狂気が宿った。


ざまあみろ。

散々痛めつけられたけど、一矢報いてやったぞ。


ずっと気取ってたけど、そのかおがお前の本性なんだろ。


見てやったぞ。


だが、次の瞬間。

その振り上げた拳に凄まじい気を漲らせたボォウ・ヤガーの姿を見たのを最後に、俺の意識は途切れる。


多分、即死だったのだと思う。

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